Evolvulus

□図書室を利用している理由
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静かな部屋に、僅かな話声と、外から響く賑やかな声。静かなノイズの中を規則的に切り込む時計の秒針。
小さな音ばかりが響く中に、時折短い電子音が混ざる。貸出図書を数える音は誰がいつ何冊貸出するかに寄る。故にその音は不規則で、時に連続して、時に数分間をおいて、この図書室にか細く真っすぐと。

「1週間後までに返却お願いします」

貸出手続きを終えた男子生徒が、軽く一礼をして出ていった。彼がいなくなることでカウンターにいた図書委員の姿が再度明るみになる。


ヘアピンを止めなおしながら、返却図書を数冊抱えて歩き出す。俺は何も見てないふりで手元の本に目を移した。
だが図書委員の彼女が通り過ぎると再度目で追ってしまって、結局どこまで読んだかも忘れてしまう。最も、適当に棚選びしただけの誰かのエッセイ本など、さっきから5ページも進んでいないのだが。

もうこれ以上読む気にもなれないので、そっと本を閉じた。
誰もいないカウンターをちらりと一瞥する。そこの壁には大きな色紙が飾られていて、そこには4月分を集計したの貸出総本数と人気の本、学年別の利用者ランキングトップ5までが掲載されている。そのうち、1年生部門一際綺麗な字で5人の名前が書かれていた。そしてその中に俺の名前がある。

1位 本堂紗代美
2位 土屋俊明
3位 水沢菊花
4位 神谷陸斗
5位 文尾黄泉子

学年で4位になったことは一見、学生として褒められるべき読書家と思われるかもしれないが、内心複雑な思いもある。というのも、本を借りるということはその数だけ本を読んでいるとは限らないからだ。特に俺の場合に限っては、この1か月で借りた本は冒頭や挿絵だけだったり、或いは全く開いてもみなかったり。とにかく一冊として最後まで読み切ったことがない。

いや、本を読むこと自体嫌いではないのだ。現代文の授業は得意な方だが、率先して読みたいほど興味はない。だから作者名はおろか、有名作品とか人気作品とかの名前すら全然知らない。

読書感想文の課題くらいじゃないと本を読まない俺が、ランキング上位を収めるほどに頻繁に図書室を利用している理由。






結局、俺が図書室に来る理由は水沢さんでしかないのだった。

どこか漫画的な展開を期待していたことは否定できない。好きな子が趣味にしているものを自分もやってみて、そのうち本当の趣味にもなって、やがて好きなことも共感しあって仲が深まっていく…そんなお約束のパターンを期待していた。

だが彼女を理由にしてもいまいち読書好きにはなれず、話しかけるタイミングも相変わらず見失ったまま。ただ借りて返して居座っての繰り返し。
仮に共通の趣味を持つことで水沢さんに近づくことができたとして、まず俺には共通の趣味を持つことすらできないという前提からの問題なのだ。




……彼女は、俺という図書室の常連をどう思っているんだろう。
実は全く本を読んでいないこの男の視線に気づいているのだろうか。気づいていたら、やっぱり気持ち悪いとか思ってたりして。






持っていた本を棚に戻した。掛け時計は閉室の30分程前の時間を刺している。次はどの本にしようか、特にどうでもいい気持ちであちこち見渡す。



風景や犬猫の写真集でも漁ってみるか…。



そう思った時だった。肩に手を置かれたのは。



「やぁ、あんさん。こんな本どうぞ」

振り返るとすぐ、目と鼻の先に本を突き付けられる。
視界いっぱいに広がり、反射的に退いた一瞬で、本の表紙と題名が明らかになる。

『セックスの愛し方』。デフォルメだが全裸の、胸と下を手で隠すだけの女性のイラストが描いてあった。



「わっわ、わぁあああっっっ!!!????」



突然のセクハラに驚いて飛び退き、この二度目となる後退りでバランスを失った俺は後頭部を本棚に打ち付けた。
俺の絶叫とガツンとした打撃音は、間違いなくこの図書室全体に轟いたことだろう。

羞恥と痛みのせいですっかりパニックになり、ほぼ思考停止状態の中、花火が舞うような視界で上記の元凶となった人物を睨んだ。

「…すっげリアクションじゃん」

謝るより先に俺の感想を言っているその人は、びっくりした表情に引きつった笑みを張り付けた。
見覚えのあるとか、そういうレベルの人ではなかった。

「確か…水沢さんと一緒にいた……」
「うん。あたし菊花のお姉ちゃん。…じゃなくって。ごめん、そんなに驚くとは思わなかった」

水沢さんの姉を名乗った彼女は、悪気のない様子であるものの軽いノリで謝った。あまり誠意を感じない謝罪に辟易したが一応先輩な上、特段親しい間柄でもないということもあり、穏便に済ますことにした。
しかし、俺が大丈夫だと言う前に彼女はそっぽを向いてしまった。

「あ、菊花」

先輩がよそ見した先から水沢さんが近づいてきているのがわかって、モヤモヤした怒りが現金すぎるほど吹き飛んでいくのを感じた。
少し早歩きで来てくれた彼女は、先輩の顔を見て、そして本棚の前で後頭部を押さえている俺を見た。

「神谷くん、大丈夫ですか?」
「あー…うん、平気」

ある程度状況の察しがついているのか、彼女から申し訳なさそうな顔でそっと労わる言葉をもらった。もらったのだ。言葉を。
今までまともに話をすることができないままのこの現状で、一言でも話ができることがどんなに嬉しいことか!
しかも彼女の方から話しかけてもらったことなて初めてかもしれない。正直、痛みなんてどうでも良くなってしまった。いやむしろ感謝さえ覚える。

「ごめん菊花。あたしが脅かしちゃったんだよ。まさかぶつけるなんて予想してなくってさ〜」
「姉さん。狭いところなので、そういうことは……」
「うん…本当にごめんね。えっと、神谷くん。頭大丈夫?」
「大丈夫ですって。結構丈夫ですから。普段から不注意でぶつかることが多いもんで」


内心舞い上がったせいで笑って返したが、後で思うと「頭大丈夫?」の訊き方はどうなのか気になるところだ。


「図書室ではお静かにお願いします…」

水沢さんは、形式上として一つ注意を残し、カウンターに戻っていった。

「…………」

俺と先輩は、水沢さんが本棚の角で見えなくなるまで見送った。
先輩が口を開いたのは、彼女がいなくなってすぐのタイミングだった。

「話したいこと、あるんだよね」

ちょっと外に出ない?
そう誘ってきた先輩の顔は、怒りを匂わすような真剣なものだった。



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