Evolvulus

□ただ、少し嫌味を含んだ空気
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4人掛けのテーブル席が六台ほど並べられた大部屋の教室。

僕は黒板から一番離れた席に座っていて、前から順番回ってくるプリントを待っていた。

家庭科室の端々に設置された棚の、ガラス戸の内側が濡れている。よく見ると、中の食器の方もいくつか濡れたままのように思える。
昼休みの前に調理実習でもあったのだろうか。
だとしたらもう少し綺麗に拭いてほしい。お菓子部所属の幼馴染が、よく「学校の食器は汚い。いつもちゃんと洗われてないの」と愚痴っていたのを思い出した。
確かに、一応学校の備品として、丁寧な扱いを受けているとは思えない。

なんて考えているうちに、あっという間にプリントが僕のいるテーブルに手渡された。

プリントには、クラスメイトの名前が書かれた行と色の名前が書かれた列が並べられていて、自分の名前の項目に好きな色を第三希望まで記入できる仕様になっている。
何の色かというと、この授業の実習でエプロンを作るための材料である布の色だ。記入欄には文字しか書かれていないが、ホチキスで止められたもう一ページにはサンプルの色がカラーで印刷されていた。

僕は「ビリジアン」の欄に第一希望を意味する1を記入し、「灰緑」に2を、3は少し迷って「こげ茶」を選んだ。
…本当は第三希望には「黄緑色」にしようかと思った。でも、見たところかなりパステルカラーで女の子っぽい印象があったから。もし第三希望が当たったら何か言われそうな気がして。

緑色は植物の代表的な色だから、濃淡関係なく好きな色だ。
日々夏が迫りくる中、道のあちこちで木や草が精力的に緑を伸ばして、あちこちが深く鮮やかな緑に溢れていく。
僕にとって、植物の急成長、唯一といっていいような夏の楽しみだ。



「みなさん、記入できました?最後の班の人はプリントを持ってきて」

先生が手に着いたチョークの粉を叩きながらアナウンスをかける。生徒が記入作業をしている隙に、黒板は先生の手によってカラフルな文字や絵が施されていた。

一番最後にプリントを回された班は、ちょうど僕が座っている4人席のところだ。通常男女2:2で座る席が、男女比の関係でここの班のみ男子生徒が3人の女子1人だ。
それはさておき、僕がちらりと班内を見渡すと、男子2名はわざとらしいとぼけた笑みでこちらを見ていた。隣の女子は我関せずとして告アバンを見上げている。

言葉は1つもなく、ただ暗黙のうちに僕がプリントを持っていく係に任命されたのだ。
…別に、雑用するのが嫌というわけではない。ただ、少し嫌味を含んだ空気が、本当に少し、息苦しい。

先生にプリントを手渡しする途中、ふと窓を見ると、どこかの学年クラスが体育をしているのが見えた。
家庭科室の位置から見えやすいのは女子の体育だ。
女子の集団が何やら話し合いながら、それぞれ二人ペアになろうとしているようだった。


「あ、」


特に何か思うわけでもなく、ただ先生にプリントを渡そうと目をそらした直後。
窓の向こうで小さく見える女子たちの中に、見知った姿が見えた気がした。

気づいたときには声に出てしまっていたが、幸いその程度の発音は誰かに指摘されることはなく流された。
僕はプリントを手渡してすぐに席についた。


「教科書32Pを開いてください。…第2章のところですが……」

――今の、梨愛っぽいな。動き方とかなんとなく。

先生が教科書を読み始めた中、僕は幼馴染のことを何気なく思い返した。

この家庭科室から校庭は少し遠いので顔まではわからなかったが、小首をかしげるタイミングとか、髪の長い感じとかが彼女らしい気がする。
…それと、ぽつんとして、誰ともペアを組めていないところも。

その途方もなく小さな一粒のような姿が、ほんの一瞬見ただけだったのに、妙に印象に残ってしまった。







「あ、草ちゃん!」

家庭科の授業の終わり、階段を下って教室に戻る途中で、梨愛と鉢合わせた。
体育着姿の梨愛を見て、やはり体育だったのかと確信する。同時に気持ちが冷たく沈んでいくのを感じた。

だけど友人に会えた喜びがないわけでもなく、僕は心の中の楽しみだけに集中するよう意識して梨愛に応じた。

「梨愛、体育だったんだね。…汗すごいよ」
「うん。暑くて倒れそう〜。水分補給いくらしたって足りないよ」
「駄目だよ。あんまり飲むと体冷えるよ」

梨愛は汗まみれの顔をタオルでぽんと拭きながら、気怠そうに笑う。

「拭いても拭いても汗が噴き出てくる〜」
「あははっ。もう着替えてきたら?」
「え〜、せっかく草ちゃんと会えたのになぁ」

不満そうな顔をする梨愛。ここらを通って更衣室に向かう女子たちの流れは、いつの間にか途絶えていた。着替えずにいるのはもう梨愛だけなのではないだろうか。
梨愛が途中で立ち止まって僕と話している間、クラスメイトの子たちは梨愛に着替えを促したり等の、なんらかの声掛けをする女子はいなかった。


これで判断するには、思い込みすぎるのかもしれない。だけど…梨愛は……。

「今日ね、豆乳でゴマプリン作るんだ。部活で。持ち帰るから、草ちゃんも食べない?」

梨愛は、僕が心配していることに気が付くことなく、ニコニコと話しかけてくる。
僕といる時が楽しいって、表情で伝えてくる。

……憶測で問いかけるのは水を差すようで、よくない気がした。

もし、梨愛が寂しいのなら、慰めてあげたいけど。

「食べる!ありがとう梨愛。楽しみにしてる」



梨愛が、何も心配しない僕といることが心地いいと思ってくれているなら、それを維持してあげたいとも思う。
梨愛が僕には言いたくないなら、それでいい。





だけど――





梨愛のお兄さんだったらどうするんだろう。





お兄さんだったら、言いたくなるんだろうな…。








梨愛と別れた後、階段の窓から覗く木の枝が目に映った。
枝先の緑が、深く鮮やかに、優しくて、ただこんな風になりたくなった。具体的なイメージもつかないまま。

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