Evolvulus
□有能な方だと思っていた。
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クラス委員に入ったことに対した理由はない。
近い将来、内申に書くことができるかもしれないが、正直なところ、あまり意図してはいなかった。
別に委員会なら何でもよかった。少し雑用なことをしたかっただけなのだから。
雨が降っている。4月にしては土砂降りの大雨。ここしばらくろくに降っていなかったからせいか、まるで均一を取り戻すかのような勢いだ。
俺は学校までは自転車で通うことにしているが、この雨では今日は自転車通学はできそうにない。不本意だが、バスに乗るしか手段はない。
できればバスには乗りたくなかった。金がかかる。
何より、抵抗感の理由はバス停の場所にあった。
青花学園前を経由するバスに乗れる最寄りの停留所には、駅に向かう路線番号も多く停留する。
市内の高校に通う俺は駅には向かわないが、市外に通う学生は別だ。朝の時間帯は、会社員や様々な他校の生徒たちでバスは大混雑しているのはよくある光景である。
…そして、その中にはきっとあの高校の制服も見つけてしまう。
俺が第一志望だったA高校の制服だ。
予感は的中した。
停留所には長蛇が寝そべっているような列が並び、駅行きのバスがアナウンスをかけながら、少しづつ人を先頭から飲み込んでいく。
並んだ人間全員を乗せきれないバスに、最後に人の隙間に埋まるよう乗車した男性が、A高の制服を着ていた。
思わず、息を飲んだ。
受け入れられるつもりだった。
落ちたものは仕方ない。受験は高校だけではない、大学だってあるのだから。
そう思って次の機会に備えていけるつもりだった。あの凍える寒さの合格発表から三か月余り、こんなにも未練がましく引きずるつもりはなかった。
だがあの日と同じ寒さを、再び俺は体感してしまっている。
自分がこんなに脆い人間だとは思わなかった…。
「おはよう土屋くん」
気を持ち直せないまま、教室まで来てしまった。
あちこちで生徒が賑わうこの部屋に入ってきた直後、呼び止められた。
「ごめん、ちょっと手伝ってくれない?朝のホームルームで配るプリントをホチキスでまとめないといけないの」
「わかった。すぐ手伝う」
見ると、同じクラス委員の神谷楓が、手で作業しながら俺に言葉をかけている。なかなか器用な芸当だ。
俺は鞄から筆記用具とホチキスを取り出して机の横にかけ、すぐに神谷楓の席に向かった。作業をするため、彼女の隣の席の人には許可を得て座らせてもらった。
「私がプリントのページまとめて渡すから、土屋くんがホチキスかけて」
「それだと神谷さんの負担が強くないか?」
「平気。私こういう作業ちょっと得意だから」
得意。その言葉は鼻にかけた物言いではなく、自然と流れてくるように聞こえた。
自分の得意不得意を理解している言い方だ。少なくとも、俺よりは。
自慢ではないが、志望校に落ちるまで、俺は自分が有能な方だと思っていた。
勉強や運動を努力するのは嫌いではなかったし、それに見合った成果も得てきたつもりだった。
年下のだらしない従兄弟(たった一つしか年齢差はないが)の世話もよく任され、今に至るまで自分なりにしっかりと勤めている。
…いや本当は自慢だったのかもしれない。
昔から周囲の大人から「しっかり者の俊明」という認識で通っていたのを、嬉しくなかったといえば嘘になる。
受験だって怠けていたわけじゃないが、それ故に己の誇りである努力を過信しすぎていたのだろう。
「やり続けたらできる自分」が当たり前になっていた。今となっては、本当に得意だったのかも怪しいものだ。
神谷楓は実際にプリントをまとめるのが得意だった。
ページごとにばらけたプリントを一枚ずつ広い、束にしてこちらに寄越す。出された束はすでに整っていて、本当にホチキスを刺すだけの状態だ。
何より手際が良い。ホチキスに挟んでいるだけの俺の方が若干遅いくらいで、最初は手渡されていたプリントも次第に机に置かれていくようになった(もちろんワンセットごとに向きをずらして)。
芯が切れて、入れ替えている隙があると、もうペースには完全に追いつけなくなってしまった。
「…手伝い、いらなくないか?」
「なんで?」
「神谷さんは要領がいいから一人でできるなと思ってな」
「それだったら、最初から頼んだりしないわ。時間もないのに」
机に重ねられたプリントをワンセット拾おうと手にかけた。
すると、神谷楓も同じタイミングでプリントを重ねたようで、俺と彼女は手と手が重なる形になった。
「あ、」
「…すまない」
「…別に」
やがて、自分の作業を終えた彼女は、次に俺と同じホチキス作業に参加する。
教室の中は相変わらず賑わっていて、窓の外でも雨粒が地面をたたき続けている。
騒がしい中から切り取られたようなクラス委員二人は、黙々と、ホチキスの音だけ響かせて配布プリントを作っていった。
作業を終えたのはホームルーム開始の3分ほど前だ。
思ったよりギリギリの作業だった。
「はいおしまい!良かったぁ、なんとか始まる前で!」
神谷楓は手を前方に伸ばし、屈伸している。俺はそのすきにプリントを抱えた。
「これ教卓に置いていくよ」
大部分の仕事をさせてしまったので、運ぶくらいは俺がやろうと思ったのだ。
「手伝ってくれてありがとう。助かったわ」
通り過ぎる瞬間の彼女の礼に、とっさに軽い会釈で返した。
感謝。なんてことないことをしたことに対しての、なんてことない言葉。
だが、朝からナイーブになっていた俺には、妙に暖かく染み渡った。そうだな…少し気はまぎれたかもしれない。