Evolvulus
□桜の木の向こうから
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小学校に上がる頃、この街に引っ越してきた。
前に住んでいたところには近所に年頃の近い子供がいなかったみたいで、さみしい思いをしていたようだ。
昔すぎてあまり覚えてはいないけれどね。それにここはあの子たちがいたおかげで楽しかったから。
学年で言えば一つ年下の、かわいい双子の男の子と女の子。
私たちは幼馴染として、今も交流が続いている。
桜の木の向こうから、人が流れるように門の中へ向かっていく。
彼らの大半は、おろしたての制服を見に包んだ初々しい新入生たちだ。
中には保護者を連れ歩いている子も結構いるので、制服の色とは違う疎らな色もこの学園に塞き止められるようにゆっくりとこちらに留まっていく。
私は門の前に立って、新入生を受付へ、保護者の方を体育館へ進むよう、案内を呼びかけ続けていた。
そんな中に、私のよく知る少女が一人、毅然とした様子で歩いて来るのを見つけた。
彼女もすぐ私の存在に気付いたのか、こわばった表情のまま瞳だけを輝かせ、まっすぐに近づいてきた。。
「おはようございます、間直先輩」
「おはよう、神谷さん。ご入学おめでとうございます」
お辞儀をされたので、同じように頭を下げた。
知り合いなのに、わざとよそよそしいような挨拶。私たちはおかしくて微笑みあった。
「もう、楓ってば急にかしこまっちゃって。ノッちゃったじゃん」
「だって学校では一応、沙里と私は先輩と後輩じゃない。敬語を使うのは当然でしょ?」
「そんなこと言って、中学では結構タメだったくせにぃ」
「まぁね。やっぱり私たちの間柄じゃあ、今更敬語なんて柄じゃないわね」
おどけた風に言って見せた彼女。幼馴染の一人、女の子の方の楓。
昔からしっかり者で、手際よく何でもこなすような子だった。
新入生らしい初々しい制服を着つつ、眼鏡の奥からは芯の強そうな大人っぽさを感じる。
あんなに小さかった楓が、随分かっこよくなったな。
まるで数年ぶりに会ったように、改まった気持ちになった。
「陸斗は?来てないの?」
「…寝坊よ、寝坊。あいつらしいでしょ?」
「嘘。やめてよね、新学期早々喧嘩とか」
「喧嘩じゃないわっ」
いつまでも起きないから置いてってやっただけよ。
なんて、一転して拗ねた口振りでそっぽを向かれてしまった。
年頃の兄妹らしいというかなんというか、決して仲が悪いわけではないのだが、ちょっとしたことですぐ喧嘩したり、ぞんざいに扱ったり。
こういうところは相変わらず困ったものである。
「も〜。今夜はうちで入学祝いするんだから、それまでに仲直りしてよ」
「喧嘩じゃないってば。……私だって、起こしてやれば良かったなとは思ってるの」
ふてくされた楓を見送りながら、私は今夜の食事のことを考えた。
楓と陸斗の家は父子家庭で、お父さんの海外出張が多いから、小さい頃なんかは特に私の家に招くことが多かった。
今日の夜もうちで入学を祝ってあげようと、少し豪勢にデリバリーでも頼む予定だ。
何を頼もうかな。ピザ?寿司?パエリア?
蕎麦はあんまりお祝っぽくないかもしれない。
オードブルはたぶん、お母さんが作るだろうし…。
「間直さん」
そうこう考えながら声掛けを続けていると、入学式実行委員を担当している先生が、校門の一番近くにいる私に声をかけてきたのだ。
「美風さんが入ってくるところ、見なかった?」
「いえ……」
「そっか、まだ来てないか…全く!実行委員が当日遅刻だなんて!」
同じ実行委員の美風さんが、入学式当日である今日、まだ一度も姿を現さないでいた。
人の入りも減り、校門前は静かになりつつある。
美風さん、確か妹分の女の子が入学するから委員になったとか、一緒に登校するんだ、とか言ってはしゃいでいたのにな。
陸斗もまだ来ないし。
楓は寝坊したと言っていたが、いったいどれだけの時間寝たままだったのだろう。
あの子は楓と逆で、どうにもボーっとしていて、その癖何か後れを取るとすぐに慌ててドジを踏むようなタイプだ。
大丈夫かな。
あれを忘れた、これを忘れたと何度も家を引き返したりとか、周りをよく見ないで衝突事故を起こしたり…
いや、後者は考えすぎかも。
とにかく大変なことになっていないといいけど……。
「あれ?」
先生がふと、通学路の遠くの方を凝視した。
道の向こうから何かが迫ってくる。
車ではない、人だ。それも一人じゃない。
三人の人間が全速力で並び走っている。
その様子は三人四脚のようだ。…いや、よく見ると、真ん中の人が両脇の二人を引きずっている?
「…あそこのあれって、美風さん?」
「…陸斗。それに、あの子……」
全貌がはっきりとするのに、時間はかからなかった。
「着いたーっ!!!」
真ん中で走っていた女子生徒が、息も絶え絶え校門の前にへたり込んだ。
真っ赤な顔で、頭も制服も乱れまくらせて、校内に飛び込んできた女子生徒二人と男子生徒一人。
彼ら全員、私のよく知る人間だった。
「えええ!?随分急いできたようだけど…大丈夫?美風さん、陸斗、菊花」
思わず出合い頭に質問してしまったが、三人とも息をするのがやっとといった感じで、まともに返答できそうになかった。
「遅くなりまして…大変…申し訳…ありませ………」
「すぃませんしたぁああぁあぁぁぁぁ……」
「ゲホッゲホッ…ごめ、ゴホッなさいっ」
三人とも、遅刻に関して謝るので精一杯って有様だ。
陸斗に至っては咽て言葉にもなっていない。
三人が落ち着いてきたことを見計らって、先生が極めて冷静に口を開いた。
「…三人とも、初日から遅刻ギリギリなのは感心できませんね。後で反省してもらいますよ」
「……はい…」
三人の声が重なった。
「間直さん、新入生の二人を案内してあげて。ほとんどの新入生はもう各教室で待機しているし、時間も近づいてきたので、委員の大半はもう体育館に向かわせました。あとの皆さんで周辺の片づけをしてください。美風さんもね」
先生はてきぱきと指示を出し、去っていった。
「……三人とも、知り合い、ですか?」
遅刻組の一人、陸斗が誰にともなく問う。
同じ疑問を先にされてしまった私は、仕方なく説明者側として口を開いた。
「美風さんと私は同じ入学式実行委員だよ。前のクラスでは出席番号も近かったの。菊花とは昔同じ習い事してたから…久しぶりだね、菊花」
「お久しぶりです」
美風さんを挟んだ反対側にいた菊花が、深々と頭を下げた。
「なんだ、間直さん菊花のこと知ってたんだ」
美風さんがあっけにとられている。なるほど、前から言ってた「もうすぐ入学してくる妹分」って、菊花のことだったの。
「あぁ、あんた。少年。悪かったね、急に引っ掻き回しちゃって。っていうかそもそもぶつかったあたりからゴメン…」
「いや、俺も急いでたんで…むしろ助かりましたというか」
「え?初対面なの?」
美風さんと陸斗のよそよそしげは対話に、私はさらに混乱した。私、今どういう人間関係に立ち会っているの?
「姉さ…美風先輩と私が二人で学校に向かっている途中で、この方にぶつかってしまって…急いでいたので、諸々後回しにして、一緒に走ってきてしまったんです」
菊花が解説してくれた。
「積もる話はまた式の後にでもしようか。とりあえず、二人を教室に案内しないとね」
私は新入生の二人を連れて、受付に向かった。
美風さんはほかの委員と一緒に周辺と片づけを任された。
「…あの、さっきはごめん」
「いえ…こちらの不注意ですのでそんな」
「いやこっちの不注意でもあるからさ」
陸斗と菊花が話しながらついてくる。
受付にはもう誰も待機していない。
もうこの先新入生が来ないことを予測して、片付けや体育館での作業をしているため、「誰かが来たことに気付き次第、委員の誰かが対応する」という適当なスタンスに変わっている。
「えっと、二人のクラスは…」
私は卓上に並べられた名簿から「神谷陸斗」と「水沢菊花」の名前を捜した。
私が名簿を見ている間、菊花と陸斗はまだ少し話をしていた。
いや、陸斗が菊花に話しかけている方に近い。菊花は元々口数が多い子ではないせいだろう。
それにしたって…。
「むしろ、ありがとうっていうべきなのかな…」
「それこそ、私は何もしていませんので…」
「じゃあ、お姉さん?に伝えておいてくれる?…あとは…なんだっけな…………」
さっき自分でお礼を言っていたじゃん。
という思いは口に出さないでおいた。
感謝の気持ちを伝えたいという気持ちは素晴らしいが、陸斗にしてはしつこいくらい誠実すぎる。
元々無口でも人見知りでもないはずだが、今日の陸斗は随分話すのに一生懸命だ。
「あ、名前あったよ」
私は名簿欄の内2ヶ所を指さして、二人に見せた。
なんと、二人はクラスメイトだ。