Evolvulus
□周りを見る余裕なんてない
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あたしと菊花は向かいの家に住んでいて、小さい頃から姉妹みたいにしているくらい大の仲良しだ。
1歳年上のあたしがお姉ちゃんで、菊花が妹。
何回もお互いの家でお泊りしたし、特小さいに時なんか、誕生日もクリスマスもお正月もいつだって二人でお祝いしていた。
厳しい菊花のご両親はそこそこ厳しい人たちだけど、あたしと一緒ならプールも電車も安全だって言われたりして。
とにかくあたしは菊花にとって公認の特別な存在。
それがあたしにとって一番の誇りなのだ。
かわいくて大好きな菊花。
そんな妹が、この春から同じ高校に入学してくる。
菊花の合格連絡を受けた時には涙が出る思いだった。
中学部から青花学園に通っていたあたしと違い、菊花は両親の教育方針により一貫ではない普通の中学校に通っていたからだ。
今回こそ菊花と同じ制服を着れる!!
あまりに嬉しくて、入学式実行委員に参加した。
もちろん、初日から菊花の制服姿が見たかったからだ。
こういうのは大抵クラスに男女一人ずつの枠になるわけだが、
入学式実行委員は在校生にとっては春休みの登校になるから、ライバルもおらず簡単になれるのである。
そうそう、委員になった時に「門の前で真っ先に会えるよ」って報告したら、菊花はこう言ってくれたのだ。
「早めに家を出るので、一緒に登校しませんか?」
って。
やばい、何度思い出してもにやけてくる。
物静かで、ちょっと恥ずかしがり屋で、感情表現が不器用な菊花が時々見せる小さな勇気。
あの時の菊花のはにかむ顔といったら。
つい抱きしめちゃったよね。
身体中ぽかぽかしてはじけ飛んでしまいそうで、
いくらでも喜べるくらいに入学式が待ち遠しくて、
楽しみで楽しみで、
なかなか寝付けなかった。寝坊するくらいに。
――ピンポーン
「ぎゃああああああああああ」
インターホンが、菊花が家の前にやってきたことを告げた。
と同時にあたしは絶叫を上げ布団をはねのけた。
やっちゃったやっちゃった!
せっかく菊花と一緒に学校行けるのに!
やっと菊花と学校でも会えるようになるのに!
最悪!出だしめっちゃ最悪!!
えーっとネクタイどこだっけ?靴下も片方ないし!?
うわごめんね菊花、初日から待たせちゃって!
あーーーもうっ髪がまとまらない!!!!!
猫の手を借りる余裕すらない身支度の間、たぶんあたしは頭の中全部声に出してた。
母が朝ごはんだけはちゃんと食べていけというので、パンをスープでさっさと流し込んで玄関を飛び出した。
「菊花お待たせ――ほわぁぁぁぁぁぁぁっ」
次の瞬間、あたしは菊花を思い切り抱きしめた。
玄関先で待っていた菊花は破壊力満点の可愛さなのだ。
新品でゆったりとした萌え袖ブレザー
しっかりと折りたたまれたプリーツと慎ましく覗く膝
服だけじゃない。背筋を伸ばし、両足を並べ、鞄を両手に携えて待っていてくれたその姿は、まさに飼い主の帰りを迎える愛くるしい仔猫や仔犬の類!
極めつけは、ドアを開けた瞬間の僅かな口元の緩み。
「可愛い!菊花めちゃくちゃ可愛い!!」
菊花を腕に閉じ込めたまま、馬鹿みたいに繰り返し「可愛い」を口走った。
だってずっと憧れていたのだ。ずっと夢見ていたのだ。
菊花とお揃いの制服で、お揃いの学校に行くこの日を。
しかし、喜んでばかりはいられない。
「ところで今何時だっけ?」
あたしは走った。
ちっとも喜ばしくない時刻を菊花に告げられるか否かの刹那。
あたしより少し遅い菊花の速度に合わせて。
必死で走ってる最中のことは基本的に頭が真っ白なものだろうから、このあたりの記憶はほとんどないのは勘弁してほしい。
周りを見る余裕なんてない。
だからあたしには、何もなかった道の横から急に人間が湧いて出てきたように見えた。
突如として飛び込んできた人に前方の視界を奪われ、反射的に減速をかけるも間が足りず、あたしたちは衝突した。
全速力だった分思い切り弾けて、バランスも整えられないまま身体は崩れ落ちた。
その割には全身の痛みが弱い。何かがあたしの身を包み、クッションとなったおかげのようだ。
起き上がろうと身を捩ると、ガサガサと耳元で煩い。沢山のものが混ざったような、何か形容しがたい、いろんな感触がする。そしてどこか湿っぽさもある。
目を開けると、薄桃色の半透明なビニール袋が目に入った。
透けて見える中身は丸めたティッシュ、潰れたお菓子の箱、敗れた折り紙の鶴、バナナの皮、ミカンの皮、チキンの骨……。
思い出した…。
今日、可燃ゴミの日だったっけ……。
加えて思い出す。最悪の事実をもう一つ。
「遅刻ーーーっ!!!!!」
気合で立ち上がる。
柔らかいゴミ袋で身動きがとりづらくともとにかく立ち上がる。
驚いて身をすくめる菊花が立っていた。
良かった、無傷のようだ。
そして愛しい菊花の前に立つ、おそらくはぶつかった相手だろう人物。
うちの男子生徒だ。
一瞬だが叫ぶ直前見えてたぞ。
なかなか至近距離でアツく見つめあっていた風じゃないか。
今ラブロマンスおっぱじめるどころじゃないから!!
「ほらほら急いで!マジヤバいから!ほら!!」
もう何も気にしちゃいられない。
頭の上のティッシュも回りだした恋の歯車も男子生徒の悲鳴も。
全て振り切って走るしかない。
そうしてあたしたちはなんとかギリギリで校門を潜ることに成功したのだった。