Evolvulus

□顔を上げた途端、
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現実味のないメルヘンやロマンに踊らされているみたいで怖いくらいだ。
彼女とはあまりにも古臭い出会い方をした。
そしてあきれるようなお約束の一目惚れをしてしまった。















昔から早起きは大の苦手だ。
早起きをしたくない一心で中学では運動部には入らなかった。
(体を動かすことは嫌いではないから、朝練さえなければ入ってみたかったけど)
それでも体育祭シーズンの朝練や、くじでクラス委員にされた時の朝会議なんかはよく遅刻しては怒られたものだ
普通の登校日だって5〜10分は二度寝してしまうのに、いつもより早く起きて支度して出なくてはならないあの時期は、俺にとっては拷問に等しかった。

そんな寝坊助の俺は、いうに事欠いて高校初日から遅刻に慌てる羽目になってしまった。
つい中学の時と同じ感覚で…なんて、言い訳を語ったところで救いようがない。
いくら近所の中高一貫校とはいえ、家からの道のりは中学よりも遠い。というか敷地が三軒ほど離れているのだ。



「私アンタを待ってられない!もう行くから!」



俺と違って早起きの双子の妹が、そう叫んでいる夢を見た気になっていた。

夢ではないと発覚したのはスマホのロック画面の数字を認識した時のことで、
そこから先は慌てすぎてどう身支度していったかは覚えていない。
とにかく着替えて食べて家を出て、がむしゃらに走って、走って、走って。
汗が眼鏡に付着して、視界の端が悪くなっても構えないくらいに、走って。

信号待ちの休憩ついでに時間を確認しようとして、スマホを忘れたことにさらに焦った。
しかし今更戻る余裕もなく、車両信号機が赤に切り替わった瞬間にまた走った。

信号を越えてさらに進むと住宅街になり、車の通りも急に少なくなった。
ずっと走っていくと公園がある。住宅街の中にしてはやや広く、滑り台やブランコなどの遊具も充実した、まさに子供の遊び場だ。
この公園に沿って曲がっていけば、あとはしばらくまっすぐ進むだけだ。

公園内の時計台が指しているのは8時25分。残りあと5分。ギリギリ間に合うかどうかだった。



ああもう!公園の中を横切ってショートカットできればいいのに!!



焦りがやり場のない怒りとなって、ついには公園の敷地構成さえ恨めしく感じてしまった。
あいにく垣根に囲まれているこの公園には、どういうわけか出入口がたった一つしかない。
でもこの後、俺はこの公園の造りにものすごく感謝したくなることが起きた。



「あとちょっとだからねっ菊花!――あっ」



時計を見ている間、後方から何かが聞こえていたが、次第にそれが誰かの声だと気づいた。
しかもかなり近い距離から、とてつもない大声で。

振り返るや否や、「ドン」だか「ゴン」だかいう鈍い衝撃がめり込んで、同時になすすべもなく地べたに倒れこんだ。
固いアスファルトに打ち付けられた痛みが全身に響く。でも受け身が取れた分マシで、完全に無防備だった最初のぶつかりの方が痛かった。



「すっすみません!!本当にすみません!!!すみません!!!!!!」



恥ずかしくて嫌になる話だが、もう本当に何に慌てているのかよくわかっていなかった。
ほとんどパニックになった俺は、すぐそこで尻もちをついたであろう人にひたすらに頭を下げた。ヘッドバンキング状態だ。

その人がいつの間にか立ち上がって、ポンと肩に手を置かれるまで、俺はまともに顔を上げられずにいた。



「あ、あの…こちらこそ、ですから。そんなに謝らないでください」



それが彼女だった。

顔を上げた途端、彼女だけが見えるような不思議な感覚だった。

まず、そこにいるのが女の子だったこと。
髪が短いこと。
同じ高校の制服だったこと。
ネクタイの色から察するに同じ1年生であること。
おそらく平均よりも低い背丈であること。
おとなしそうな、優しそうな顔立ちをしていること。
それから多分、美人の部類に入るような子だってこと。
そして、彼女も急いでいたのだろうこと――ん?



「遅刻ーーーっ!!!!!」



彼女以外の全てを思い出したと同時に声が響き渡った。しかし叫んだのは俺じゃない。そして目の前の彼女でもない。
彼女のすぐ傍ら、アパートの前に積まれたゴミ袋の山から、噴火のごとく飛び出したもう一人の女子高生の声だった。



「ほらほら急いで!マジヤバいから!ほら!!」



ゴミまみれの女子は目の前の彼女の手と――何故が俺の腕を片手ずつ掴んだ。
理解が追い付かないまま、俺と彼女はあれよあれよと人間ジェットコースターに高校まで攫われていったのだった。





嵐のような朝の出来事で、何かを感じるような余裕もないはずだった。
自分でもなんであの一瞬で、あれだけでって思う。

だけど多分、いや確実に俺はこの時に菊花に恋をしたのだろう。

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