或る画家の回想
□星の鼓動・U
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「………あ」
私はクリス様の漏らした声に目をあげると、彼女はもうすっかり膨らんだお腹に手を当てていた。
「…今、蹴ったわ」
「はっ?」
「赤ちゃんが、動いたのよナディーン」
私は反応に困り、言葉を探したが、見つからずクリス様のお腹を見つめ続けた。 クリス様はおかしそうに私を見て、ふと笑い、愛しそうにお腹を撫でた。
私は急速に恥ずかしくなり、赤らめた頬を隠そうとわざとスケッチブックを覗き込むふりをする。
―――平和だった。
***
―――結果としてクリス様の懐妊の知らせは私の周囲を変化させた。
べつだん、故郷で妊婦を見たことがないわけではなかったが、故郷に居た頃の私は周囲に関心を払っていなかったもので、クリス様の膨らんでゆくお腹を見るのは物珍しく感じた。
そして、クリス様もまた変わっていった。
いや、もしかしたら本来の彼女に戻ったと言うべきなのか。
はじめて会ったときに浮かべていた物憂げな表情はなりを潜め、代わりによく笑い、明るく振る舞っていた。
そして、お腹を心底愛しそうに撫でるのだ。
その慈愛に満ちたまなざしは、これが母になるべき女性の慈しみなのか、と私の目に焼きついた。
そこで私は、ひとりの儚い女性としての彼女の一面しか知らなかったのだと気づかされた。
母になった女性としての彼女の姿―――それは何にも代え難い、美しい光景だった。
私は子が生まれ、抱いた時の彼女を絵に描きたいと切に思った。
―――その光景を見ることは、生涯叶うことがなかったのだが。
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