或る画家の回想

□間章 総帥の依頼
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それは―――クリス様のご懐妊が分かってから、数週間がたった頃に、起きた。

***

その男性はシャイン・レンブラントと名乗った。

私の下宿している宿『妖精の羽休め亭』に現れた彼は、礼儀正しく素性を明かした―――ヒューゴ様の付き人兼ジルクリスト邸の執事である、と。

「主からの依頼を、ナディーン様へ伝えに参りました」

私と向き合うよう腰を下ろしたレンブラント氏のまなざしからは理知的な色が伺え、教養ある人物であることが垣間見えた。

「依頼…というと?」

ヒューゴ様の依頼、穏やかではない響きだった。レンブラント氏は柔和な微笑みをちらと浮かべ、頷いた。

「…はい。携帯用の肖像画の制作をお願いしたいのです」

「携帯用、の肖像画…?」


―――曰く。

ヒューゴ様は、今現在オベロン社の足固めに、ダリルシェイドを拠点に世界各地を回っている。
オベロン社の更なる発展の、ために。

クリス様はひとことたりともそのようなことは仰らなかったが、ヒューゴ様がオベロン社総帥として飛び回り、ジルクリスト邸には殆ど戻っていないことは察していた(私がヒューゴ様と会うのは、彼がオベロン社の幹部らしき人物と慌ただしく会話をしながら屋敷を出る途中に遭遇する、というのがほとんどだった)。

で、あるからこそ。旅行鞄に携帯が可能な肖像画を手元に置きたいのだ、とレンブラント氏は締めくくった。

「如何ですかな、ナディーン様。お引き受け下さいますか…」


ヒューゴ様の、奥方への確かな愛情の証を私が描く。

ジルクリスト夫妻の関係について他人であるナディーン・フォスタースが語れることは少ないのだが、ヒューゴ様の心はクリス様へ向いているのか、という疑問を私は密かに抱いていた。 (むろん、ヒューゴ様の考えを一介の宮廷画家ナディーンが理解することなど出来やしないのだろうが)

だが、今、ヒューゴ様のクリス様への愛情が確かに存在していることは明らかになった。

あの寒々し過ぎた夫婦のやりとりを鑑みたら、―――私はこの依頼が出されたこと。それが意外だった。

しかし、依頼そのものに不満は無い。これまでクリス様のスケッチは何枚も描いたが、正式な肖像画を制作するのははじめてだった。

描きたい、と思った。


「……わかりました。その依頼、引き受けましょう」


かくて、私は微かな違和感を抱きながらも、ヒューゴ様からのはじめての依頼を引き受けることになったのである。




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