★Gintama

□☆Nightingale
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私はこの星で生まれ育ち、長じて看護師として働いていた。

江戸のさる総合病院で忙しく日々を過ごし、同じ場所に勤めていた四つ年上の医師と恋に落ちた。

身寄りのない私にとって、彼は恋人であり兄であり庇護者であり……何物にも変え難い大切な存在だった。
けれど恋は盲目とはよく言ったもので、私は気付きもしなかったのだ。
彼が良心的で快活な医師を演じる裏側で、違法ドラッグの密売人として暗躍していた事に。

「俺はね、小夜。俺達のように身寄りのない子ども達を無償で助ける。そんな医者になりたいんだ」

大きな背中、逞しい肩。
愛おしむように丁寧に私を愛してくれた手で、彼は麻薬を売り捌いていた。
身寄りのない子ども達を助けたい。
そういった口で

「金がねぇなら売れねぇよ!この俺にハッタリかまして、タダで済むと思ってんのかゴルァ」

薬が欲しいと縋って来た浮浪児に唾を吐きかけ、痩せさばらえた身体を蹴り飛ばしていた。

私は果たして、彼の何を見、何を愛していたのだろう。

まだ熱を持った身体を引きずるように船内の廊下を歩きながら、私はあの夜の事を想う。

「小夜、今日は休みだろ?俺も早く帰れそうなんだ。一緒に飯でも食いに行こう。それまでいい子で待っててくれな」

そう言って出かけて行った恋人はあの日、連絡一つ寄越さず、いつまで経っても帰って来なかった。
深夜を回る頃になって私は居ても立ってもいられなくなり、彼を探しに外に飛び出した。
その選択が仮初めの幸せを、自ら破壊する事になろうとも知らずに。

「……俺ももう、お前さんには売れやしねぇなぁ」

小走りに向かった病院の裏庭、院内関係者の専用通路に辿り着いた私は、そこで見てはいけないものを見てしまった。
彼の真実の顔ともう一つ。

「あっ、アンタはっっ……」

闇に佇む男の姿を。

「オメェさん、ガキには売らねぇ。俺に誓った約束を違えやがったな?ククッ……いい度胸してるじゃねぇか」

「いやっ、こ、これはそのっ、思いがけずこのガキが金を積むって急に言ってきやがったもんだから、つい……」

取り乱した恋人の声は、私の知っているそれとは別人のようだった。

「へぇそうかい。の割にそこのガキ、俺には既に、廃人寸前に見えるんだがな」

重く垂れ込めた雲の下で、外灯の光も届かない暗闇の中で、男の視線がちらりと動く。

「……れよ……薬……くれよぉぉ!」

地べたに這い蹲りながら、それでも鉤爪の形にした指先を恋人に伸ばす少年の唇からは、だらりだらりと涎が零れて糸を引いていた。
それは麻薬に身体を蝕まれた者の末路そのものの、哀れな姿だった。

「ちっ……違うんだ!これはっ、このガキが勝手に……っっ」

両手を振って必死の形相で言い募る様は、やはり私の知る恋人のそれとは似ても似つかない。
けれど震える両手を握りしめながら私は、心の奥の闇の底から、もう一人の私がひどく冷ややかに、これこそが彼の本性なのだと囁く声を確かに聞いていた。

「そうかい。それなら」

どれもこれもを少年のせいにして媚び諂っていた恋人は、意外にもあっさりと頷いた男にほっとした顔をして。

「腐れた言い訳の続きは……地獄で閻魔に聞いてもらいな」

皮肉めいた一言と共に、煌めく刃に首を跳ね飛ばされた。
物陰に身を隠し悲鳴を押し殺す私の耳に、その首が地面を転がる重たい音が、刺さって消える。

「……っっ!!」

彼をひたすら待つ間、飲み物しか口にしなかったはずの胃が激しく波打ち、吐き気を堪え思わずしゃがみ込んでしまった私の影が、長く長く地面に伸びた。
明るい光は月のもの。
気付けば雲は晴れ渡り、作り物めいた大きさの金色が、空から私を見下ろしていた。
無情で無慈悲に美しく、冴え冴えと照る満月の下。
私に愛を告げた金木犀の樹の根の傍で。血塗れになった恋人は、続けて刃に刺し貫かれた浮浪児を罵っていた時とも、私に愛を囁いていた時とも違う、ひどく間抜けな表情をして私を見ていた。
ポカリと開いた口が洞となって、私を飲み込もうとしているように、見えた。

「……おい。そこの女」

呼びかけられて、「はい」と応えてしまったのは何故なのだろう。
泣きもせず、逃げもせず、怯えながらも自ら月明かりの中に歩み出てしまった私が。
返り血を浴びて佇む隻眼を、美しいと思ってしまったのは一体何故なのだろう。

ーーただ一つ言えるのは、そこには恋人を殺された悲しみも怒りも、存在しなかったということだけ。

「お前は、誰だ。こいつの女か?」

刃についた血糊を拭き上げながら、男は問うた。
口の端についた血を真っ赤な舌で舐め上げて、いっそ楽しそうに、揶揄するように。
私は凍りついた舌を緩める術を知らなかったから、コクリと黙って頷くことしか出来なかった。

「この病院に勤めてるのか?」

また、コクリ。

「お前も医者か?」

今度は横に首を振る。

「なら、看護師か」

三たび頷いた私に、男はふと息を吐いた。
ただ鼻で笑っただけなのに、その仕草は月明かりを背負った彼を、大層淫靡に見せていた。

「ククッ……ならばお前、俺と来い」

それは、勧誘ですらなかった。

傲慢で冷酷な、命令だった。

けれど。

「はい」

私はまるで熱に浮かされたように、また首を縦に振っていた。
振る首をもう持たぬ恋人の屍がすぐ側に転がっていたというのに、寄る辺ない子どもが無残に息絶えていたというのに、私の視界にはもう、彼しか映っていなかったのだ。
後に知る、鬼兵隊隊長ーー高杉晋助、その人しか。
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