★中・短編★
□唯我独尊男の我儘
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そう言って、歩き出す谷口の数歩後ろをイガラシは歩く。肩を並べて歩くのは、余りにおこがましい。
まずお目にかからない、謙虚な姿である。
(あ、あの兄ちゃんが…)
慎二はますます目を見張る思いだった。
その彼の前を、二人は和やかに談笑していく。
「しまったなあ。皆の練習の手を休めるつもりは、なかったんだが」
「今更言いっこなし」
歩きながら、イガラシは思い出した。
「そういえば谷口さん、今年の夏はベスト8まで進んだんですよね? おめでとうございます」
「なんだ、知ってたのか。やっぱり新聞か?」
「はい。」
頷きながら、ふとその言葉に疑問を感じた。
(やっぱり?)
「もしかして丸井さん、そちらに伺ったんじゃ?」
「流石イガラシ。よく判ったな」
「伊達に二年、一緒にはいませんよ」
「それもそうか」
ははと笑いながら頭を掻く。イガラシの視点がふと、その手に落ちた。同じように視線を動かした彼は、何か納得したような表情をした。目線は兄に向けたまま、自身の目の前で数回、右手の握って広げてを繰り返す。
「知ってるんだろ?」
「ええ。でも……」
(?)
慎二には、何の事やらさっぱりだった。だが、谷口さんは苦笑して、立ち止まると今度は右手を兄にさし伸べる。
「そんなに心配なら、確認してみろよ」
「…はい」
恐る恐る。
イガラシは何か神聖なものに触れるようにその手を取り、そっ…と左親指で右人差し指に触れる。
あの日。
負傷して爪を剥がし。
尚且つ折れても投げ切った、右手人差し指。
伸び切って、二度と曲がらないと思われた指だ。
(本当に、大丈夫なんだろうか……)
イガラシは真剣な目をタカオに向けた。
「投げて見せてくださいよ、谷口さん」
手を離した途端の言葉に、タカオは目を見張る。
「え?」
「丸井さんは見たかもしれませんが、俺は見てないんです」
「…おいおい」
再び歩きながら、タカオは呆れた。変な所で対抗心が出てきたようだ。イガラシがムキになっている。
「大丈夫、ちゃんと投げられるよ」
「だから、それを投げて見せてくださいよ」
「無茶言うなって」
グラウンドに入りながら、タカオは苦笑した。
「第一、グラブもスパイクも持ってないんだぞ」
「部室には、ちゃんと予備があります」
「…おーい…」
「だからピッチング。久しぶりに見せてくださいよ」
押して押して押しまくりのイガラシである。
はー…と、呆れのため息をつくタカオ。
いつの間にか周囲に集まっていた一二年部員の殆どが、呆然と目の前の光景を見ていた。
『誰かに我儘を言う、イガラシキャプテンの図』
(あ、ありえない…)
一二年生が、殆どこの世の終わりを実感する中。
三年達はやっぱりと、多少苦笑混じりである。
無言の目線の攻防。
最後には結局、タカオが折れた。
「しょうがない、言い出したら聴かないんだから」
自分の言葉にパッと顔を輝かせる様が妙に幼くて、顔がほころぶ。
「様子を見に来ただけのはずだったんだが…」
言いながら勝手知ったる部室へ歩き出した彼を、遠藤が慌てて追い掛ける。
「谷口さん、道具入れの場所、変えたんです。案内しますよ」
「すまんな」
「とんでもないです」
しばらくして、戻ってきた谷口さんはグラブとスパイクは身につけていたが、姿は制服のままだった。
「受けてくれ、久保」
「はい」
暫らくキャッチボールで肩を作ると、タカオはマウンドへ昇った。
「何球だ?」
一球だけじゃ気がすまんだろ?
目で言われ、イガラシは赤面した。すっかりお見通しである。
「…試合の練習球数くらいを…」
「よし」
言うなり、ワインドアップから直球が来た。
相手役を努める小室のミットが軽快な音をたてる。
(懐かしいな…)
フォームがちっとも変わっていない。三年の心はこの瞬間、夏のあの日にタイムスリップしていた。