★中・短編★

□唯我独尊男の我儘
1ページ/4ページ

全国中学野球選手権の、夏の大会を制覇したイガラシ達。

 だが、あまりにも身体を酷使しすぎたせいか、利き手の握力がすっかりなくなってしまっていた。
 ボールはおろか、鉛筆さえ待てない有様で、当然ドクターストップである。
 しばらく安静にしていれば元どおりになるとお墨付きはもらったが、その間は当たり前だが三角巾姿である。

 それでも日常生活は待ってはくれない。授業だって刻一刻と進んでいく。
しかし度々こんな事態になった事があるのか、彼は少しも慌てなかった。
 文字くらいなら何とか書ける程度には、左手を鍛えていたからだ。
 授業中、カリカリと器用に左手でノートをとるイガラシの姿に、教師陣が呆れた目線を送ったのは言うまでもない。

 が、しかし。
 流石に野球はそうはいかない。両手が使えなければノックも出来ないのだ。
 こんな姿では士気に影響するし、行くかどうか迷ったが、結局、お目付け役が必要だろうと部活に顔を出すことにした。

これはそんな日々の、とある一日の一コマである。

 ―――

 ノックはもっぱら久保や小室に任せ、グラウンドへ厳しい目を送っていたイガラシは、遠慮がちにユニホームを引っ張る感触にそちらを振り返る。所在無げに立つ、ユニホーム姿の慎二がそこにいた。
「なんだ、慎二じゃないか。早く練習に行けよ」
 ちょっと睨み付けると、慎二は何とも云えない顔をして外野を見る。
 何かに怯えているようなその様子に、ふと眉をひそめた。
「…どうかしたのか?」
「あそこに、さっきから人が隠れてるんだ。」
 指さす方向は、フェンス代わりの立ち木並木。
「うん?」
「こっそりこっちを見てるから、何だか気味が悪くて……」
 見れば確かに、ボール避けの並木に隠れるように人影が見える。
イガラシの顔が一気に引き締まった。
 この頃は、不審者がらみのニュースも多い。万が一を考え、イガラシは慎二を連れてこっそり裏から回ってみた。
「気を付けろよ、慎二」
「わかってる」
 気配を極力消して、ゆっくりと近づく。見えてきたシルエットは学生だ。学帽からそれと分かる。
もっと近づいて、イガラシはある事に気付いた。
(…あれ?…)
 一方、その人も背後からの気配に気付いたらしい。少し慌てた様子でその場から立ち去りかける。

 イガラシは慌てた。

「待ってください、谷口さん!」

 声に、足を止めたその人へ駆け寄る。
(えっ?!)
 兄の言葉に驚いたのは慎二である。嬉々として駆け寄っている様子にさらに仰天する。
 ゙谷口さん゙と兄に声をかけられたその人は、見つかっちゃったかと云うように困った様子で頭をかいている。
 一緒に駆け寄りながら、慎二は自分の身体が引き締まるのを感じた。
(この人が……)
 流石に、名前だけは知っていた。

 初代墨谷二中主将。
 あの伝説の、青葉再試合を制したキャプテン。その人が、今、目の前にいる。

(い、意外に小柄なんだ)
 緊張しきりの慎二の様子に気付かず、イガラシは嬉しそうに言葉を続けた。
「ここまで来て、黙って見てるだけなんて、谷口さんも水くさい……。」
「ごめんごめん。」
「しかも、気付かなかったらそのまま帰るつもりだったでしょ?」
「あっ、いやっ、そのー…、…うん。」
「やっぱり…」
 ちょっと怒った振りを装って、イガラシは谷口の顔を覗き込む。
「そういうトコ、谷口さんらしいですけど、下手したら不審者で警察に引っ張られてますよ?」
「そう言うなよ。」
 苦笑しながら肩を竦めると、タカオは心配そうに三角巾に吊されたイガラシの利き手を見やる。
「えらく痛々しいけど、大丈夫なのか?」
 イガラシは笑って、
「ええ。安静にしてれば元に戻ると医者は言ってましたから」
「ならいいんだが」
 ホッとしながら左手を差し伸べる。
「そうそう。全国制覇、おめでとうイガラシ」
「ありがとうございます」
 お互いがっちりと握手をかわす。
その瞬間、グラウンドから声がかかった。
「二人ともそんなトコで何を……、」
 言いながら歩み寄ってきた小室は、次の瞬間素っ頓狂な声をあげた。
「ああっ?! 谷口さんっ?!」
「ええっ?!」
 その言葉を聴き付け、ばたばたと走り寄ってくる元後輩達に、谷口はあーあと吐息(トイキ)混じりの声を出した。
「結局こうなったか…」
「仕方ないですよ。諦めてください、谷口さん」
「…確信犯だな? イガラシ」
「ヘヘ、ばれましたか」
「仕方ない、乗ってやるよ。」
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ