胡蝶の夢

□薄雲の貴女
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貴女と初めて会ったのは太閤様のお城。
僕が従三位・権中納言兼左衛門督叙任の挨拶をしに来た時だった。





見た事無い女の人だから太閤様が最近娶ったという側室なのは直ぐに分かった。
凛々しくて綺麗な人……彼女の印象は先ずそれ。





「誰?」
「あ……済みません、邪魔をしてしまって……僕、あ、いや、私は羽柴秀俊と言います。太閤様の養子です」
「別に直さなくて良いわよ。そうなの。太閤様の……では私は貴方の義理の母上なのね。私甲斐、つい最近太閤様に輿入れしたの」
ああ、先の小田原合戦にて奮戦したという姫君。この方が……。




成田殿の御息女、甲斐姫。




「宜しくね、秀俊」






敵だった人に輿入れしても気丈に笑う貴女。
それが初めての出会いだった。
























あれから義兄の秀次に謀反の疑いが掛けられ、巻き込まれてしまった僕は亀山を没収されてしまった。
その上小早川家に養子に入り、義父上が隠遁されてしまったのを機に、僕は小早川家の当主となった。
それは、甲斐姫様は僕の義母ではなく、義理の叔母となった時でもあった。




その間にも折に合わせて甲斐姫様から文が送られてきた。
変わりは無いか、大丈夫か、彼女の優しい言葉が詰まった文。
でもどうしても、僕は返す気には、なれなかった。










秀頼様がお生まれになられてから、次第に太閤様の様子がおかしくなっていたのは流石の僕でも分かっていた。
だけれども、朝鮮を攻めるという無謀な事まで言い出すなんて……。






「秀俊」
大坂に叔父上にご挨拶に参り、筑前に帰ろうとしていた時だった。部屋の外から聞き覚えのある声が聞こえる。




「甲斐……義叔母上」
「甲斐姫で良いわ、秀俊。お邪魔するわよ」
甲斐姫様は僕の制止も遮ってズカズカと入ってくる。何時になっても気の強さは変わっていない。
変わるのは、僕ばかりで。




「秀俊……本当に行くの?」
「太閤様の御命令ですから……」
「……近頃の太閤様はおかしいわ! 淀殿がお子を生み落とされてから、あんなに可愛がってた秀次殿や女子供まで……終いにはこんな……」
「太閤様には太閤様のお考えがあるのだと思います。僕には……何とも申し上げられません」
「秀俊……」
たくは無かった。




甲斐姫様の顔に哀しみが浮かぶ。僕だって本当はこんな戦したくない。
でも……僕には太閤様に逆らえるだけの力は無い。




「では、僕は行きます。甲斐姫様もお達者で」
帰れないかもしれないから、僕は敢えてそう言う。
命が惜しい等、遺して行く貴女には言えない。




「秀俊……必ず帰って来てね」




返事は……返せなかった。











あれから太閤様がお亡くなりになり、次第に情勢が変わってしまった。
治部殿と武蔵大納言殿の対立が顕著になり、とうとう関ヶ原にて開戦されてしまった。
僕は……悩んだ末に東軍へ。
確かに太閤様が築いた豊臣家を裏切りたくは無かった。
何より……遺した貴女を苦しめたくは無かった。




だけど今の僕は小早川の当主で、沢山の家臣もいる。家を遺す為には仕方が無かった。「こたびの戦の最大の功労者は、最後には我等を選ばれた秀秋だな! 良くやってくれた、秀秋」
「……はい」
武蔵大納言殿から最大の賛辞を贈られたけど、僕の心は浮かない。
今占めているのは、貴女の姿。














「ゴホッ、ゴホッ……」
僕は秀秋から秀詮に名を変え岡山で病を患った。
もう長くは無い。身体は悲鳴を上げている。
あれから裏切り者の烙印を押され、越中守に家臣を殺され、僕はもう限界だった。





心残り等殆ど無いが、一つだけあるとしたら……。










「あの方に……もう一度だけ……会いたかった、な……」










赦されぬ想いだった。告げる事も叶わぬものだった。だけれども……。













「見てもまた 逢う夜まれなる 夢のうちに やがてまぎるる わが身ともがな……か」
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