パンドラの夢

□小さな勇気
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帽子越しに頭をグリグリ撫でられながら不思議な事を言うNKに首を傾げるが、何でもないと逸らされた。
「ところで、何でさっき重ーい溜息吐いてたの?」
「え?」
「物凄い悄げた顔して言ってたじゃない。簡単に諦められないって。何が諦められないの?」
「あ……でも……」
今会ったばかりのNKにこんな愚痴紛いな事は聞かせるのは流石に躊躇われる。
こんな話されてもきっと迷惑だと思ったが、先にNKが先手を打つ。
「赤の他人に言った方が、寧ろ客観的な意見が聞けて良いんじゃない? 関係無いアタシだからこそ話せる事もあると思うわよ」
「NKさん……」
「安心して、誰かに言い触らしたりしないから」
「…………良いですか?」
確かに独りでグルグル悩んでいても解決しそうに無い。
彼女がそう言うならと赤血球は好意に甘えて洗いざらい白状する事にした。











「……成る程。アンタはあの好中球が好きだけど、先輩達に反対されてるって訳ね」
「はい……」
しゅんと落ち込む赤血球に対しNKは。
「アホらし」
と持っていたコーヒーをグッと飲み干した。
「ふぇっ!?」
意外な言葉に目を丸くする赤血球だが、NKは全く揺るがず立て板に水の様な言葉の奔流で赤血球を言いくるめた。




「あのね、アンタは先輩や後輩に息をするなと言われたら、はい分かりましたって聞けるの?」
「え、いえ……」
「そうでしょ? 恋も呼吸なんかと同じよ。恋なんてものは、自分でも分からないまましてるもんなの。それなのに止めろと言われて止められる訳ないでしょ。本人ですらそうなんだから、他人がどうこう出来る問題じゃない。大事なのは、アンタがどうしたいか」
「私が……」
「どうなの? アンタはあの好中球の事、言われただけで諦められるの?」
「……いいえ」
それはハッキリと言える。まだ何も始まっていないこの想いを、終わりにするなんて出来ない。
「なら、どうしたいの?」
「……やっぱり、私先輩達を頑張って説得します! それで白血球さんはそんな人じゃないって分かって頂きます! 幾ら掛かっても頑張ります! だって私、先輩も後輩ちゃんも大好きですから!」
「……良いんじゃない?」
力強い赤血球の返事にフッと笑うNKの顔はとても綺麗で、赤血球も頬がやっと緩んでいく。何だかスッと肩の荷が下りた気分だ。
「ありがとうございます! NKさん! 私何をすべきかやっと分かりました!」
「良かったわね」
「あの……また一緒にお茶してくれますか?」
「気が向いたら、してあげる。じゃあアタシは仕事に戻るから」
「はい! 本当にありがとうございました!」
立ち上がり大通りに向かうNKの背にペコリとお辞儀をすると背中越しに手を振ってくれた。
相談して良かった。後は2人と話すだけだ。
やるべき事が決まった赤血球はグッと台車のハンドルを掴み、一直線で肺に向かう。
胸に固い決意を秘めて。


















「あ、お疲れ!」
「お疲れ様です、先輩」
心臓の手前で見掛けた後輩、NT4201に先輩であるAA5100が声を掛ける。
心臓は肺循環への入口で沢山の血球が合流するので顔も合わせ易い。
2人も台車を畳みつつ、心臓の混雑に備えていた。
「あの子、諦めてくれたかしら」
「どうでしょうか……」
「如何せん私達とは違うし、それに……好中球の寿命を考えると……」
「……はい」
「先輩! 後輩ちゃん!」
深刻な表情で顔を突き合わせる2人に呼び掛ける声がして振り向くと、そこには話の中の当人が強い決意を抱えた目で立っていた。
「どうしたの?」
「……お話があります」
「……あの好中球の事」
「……はい」
「取り敢えずお2人共、道の端に寄りましょう。循環の邪魔になっちゃいますし」
後輩のアドバイスに素直に従った2人は道の端の人が少ないエリアに向かう。
此処なら邪魔はされないだろう。周りを確かめて赤血球は宣言した。





「先輩、後輩ちゃん」
「何?」
「何でしょう?」
「私……白血球さんの事、諦めたりしません」
赤血球の一言に5100番が毛を逆立てんばかりに激昂する。グッと赤血球の肩を掴むと、何とか改めさせようと説得を試み始めた。
「……! 何であんたって子は……言ったでしょ!? 白血球はアタシ達とは違うの! あっさりと細菌に殺されたりしちゃうかもしれないのよ!?」
「先輩、落ち着いて下さい!」
余りの気迫に慌てて4201番が止めに入るが、5100番は止めようとしない。
赤血球は努めて冷静に返す。
「それは私達赤血球だって一緒です」
「それに、アイツ等は嬉々として細菌を殺す異常者じゃない!」
「白血球さん達は嬉々として殺してる訳じゃありません!」
「アタシ達にだってあのナイフを向けてくるかもしれないのに!」
「もし私が感染してみんなに危険が及ぶ位なら……私は、あの人に終わりにして欲しいです!」
「……!」
赤血球の強い言葉が彼女の胸を打つ。新人の時から見て来たが、こんなにも大人びた表情をする子だっただろうか。
何時までも半人前の可愛い後輩だと思っていたのに……何だか急に遠くに行ってしまった様で。
「先輩や後輩ちゃんに危害を加えるなら、あの人に止めて欲しいんです。あの人なら……白血球さんなら、絶対にそうできるって私信じてますから」
「…………何時離れ離れになるか分からないのよ?」
「はい」
「先に死んじゃうかもしれないのよ?」
「私も細菌に溶血されたり、擦り傷に落ちちゃうかもしれませんから分かりません」
「……バカな子なんだから、あんたって子は……」
肩を掴んでいた手を離し優しく赤血球を抱き締める。
やはりあの厳しい言葉は、自分を心配していた故だったのだ。
「先輩」
今まで黙って成り行きを見ていた4201番が声を掛ける。其方を向くと同じ様に憑き物がとれたような穏やかな表情をしていた。
「私も5100先輩も心配してたんです。あの好中球を好きでいる事で、先輩が傷付いてしまわないかって。免疫細胞達の殆どは、私達赤血球より先に亡くなってしまいますから……」
「後輩ちゃん……」
「でも、何となくこの結末も分かってた様な気がします。だって先輩は、どんな困難でも諦めませんよね。あの時の様に」
後輩と出会ったあの日、この世界から大量の血液が流れ出てあわやという事態になった時も、心も体もボロボロになりながら赤血球は諦めなかった。最後までこの身体の可能性を信じた。
最後まで何があってもやり遂げる。そう教えてくれたあの日と同じ目で。




「先輩がそう言うなら、信じます。まだ好中球は……ちょっと怖いですけど、でも先輩の好きな人ならきっと悪い人じゃないでしょうし」
「アタシも取り敢えずは応援するわ。でも、あいつがあんたを泣かせた時はその時は……力付くでも止めるからね」
やっと認めてくれた……諦めないで良かった。
安堵感が体を包む。これで、大好きな2人も、彼も諦めなくて済んだ。
「……ありがとうございます、先輩、後輩ちゃん」
「一時保留、だからね!」
ビシッと突き付けられた指に目を丸くしながらも最高の笑顔を浮かべた赤血球に2人はクスリと微笑んだ。
























数日後、何時もの通り表皮の細胞へ栄養素を届けた帰り道、偶然2人と出くわしアイス休憩を取る事にした。
久し振りの3人の休憩に赤血球も気分が良い。
「あら? あんたシャンプー変えた?」
「え? 分かるんですか!?」
「それ位分かりますよ。あと先輩、リップ新調しましたよね。それってあの好中球に可愛く思われたいからですか?」
「2人共良く分かりますね……」
恥ずかしそうに真っ赤に染める赤血球はすっかり恋する乙女で。歯痒い気持ちで眺める5100番はちょっと悔しそうに言った。
「あーあ、可愛い恋しちゃって。で、愛しの彼には会えたの?」
「今日はまだ……」
「私さっき見かけましたよ。十二指腸付近で」
「え!? 良いなぁ、後輩ちゃん」
「十二指腸の酸素の配達今日確か一件あったから行ってくれば?」
「良いんですか!?」
「配達業務で行くなら良いでしょ。早く行きな」
「あ、ありがとうございます!」
慌ててアイスの棒を屑籠に投げ捨てて酸素を取りに肺に向かう。そんな赤血球を見送って一言5100番が羨ましそうに呟いた。
「あーあ、アタシも誰か良い人いないかな」
「何時も一緒にいるあの男性赤血球さんは彼氏さんじゃないんですか?」
「あれ元カレだもん。今は友達」
「え!?」











恋する乙女達は、今日も元気に働いている。






















〜End〜
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