小話集

□夏夕べ
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「ここは……どこ?」

緋鉛はぼんやりと立っていた。
そこは彼女にとって未知の場所、僅かな不安に駆られたものの、それでも笑顔は絶やさなかった。
すごく楽しい雰囲気で満ち溢れていたから涙なんて出なかった。


不意に奇妙な喪失感がし、辺りを見渡す。

はやく……はやくさがさないと。

その思いが募り、ごった返す人混みを避けるように回れ右し、右足を踏み出す。
しかしその直後、パタリと足を止める。


「なにをさがしていたのかな?まあいいや」

笑顔でくるりと半回転し、緋鉛はごった返す人混みの中へと向かう。
色とりどりの七夕飾りを眺め、屋台を回る内に彼女の抱える不安はどこかへ消えてしまった。


「たのしいね、ねえつぎはなにをしようか?」
「お嬢ちゃん……どうしたんだい?」


笑顔で隣にいるはずの『誰か』に声をかけたら見知らぬ男性で、緋鉛は戸惑い口ごもる。
口の中でもごもごと「ごめんなさい。なんでもないの」と言うのが精一杯で、逃げるようにその場から立ち去った。



走って、走って、ただがむしゃらに走り続けて気がつけば金魚すくいの屋台の前にいた。
周りは森に囲まれ、おどろおどろしい雰囲気の中に一つだけぽつりとある屋台。
緋鉛にはそこに救いがあるように感じて、フラフラとした足取りで進む。


ゆらりゆらりと無数の金魚が泳いでいた。
緋色に混じって一際輝く蒼……それを目にして緋鉛は見開き、『そうえん』と名前を呼ぶ。
「緋鉛……呼んだ?」

「そうえんなの?」

先程までいた屋台はどこにもなく、代わりに腕の中にすっぽりと包まれていた。

「そうだよ、おはよう。駄目じゃないかこんな所で眠ったりしたら」


半ば呆れたような口調で蒼鉛は、まだ状況を飲み込めずにいる緋鉛の髪を優しく撫でる。
すると緋鉛はぽつり、ぽつりと今まであった出来事を語り始める。
蒼鉛は黙ってそれに耳を傾け、時折互いの存在を確かめるかのように頬をそっと撫でる。


「怖い夢を見たんだね。でも僕が守るから、大好きだよ緋鉛」

「そうえん!私もそうえんのことだいすきだよ」

「ありがとう。出掛けようか嫌なことを忘れるために」

「うんそうだね」


【終】

 

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