短編

□東方列王子記
4ページ/19ページ



 ほろ酔いの気分で、霊夢は喋った。よく喋った。するりするりと、言の葉が紡がれてゆく。その口調には熱こそ籠らなかったとはいえ、楽しげに、語る。

 対して子規は、頷いたり、驚いたりと、合いの手を入れる。そのタイミングというのがまた絶妙であって、ますます霊夢の口は回り出す。

 いつもはさして話上手というわけではない霊夢だが、子規はとにかく聞き上手である。

 時には黙っていたり、かと思えば急かしたりと、その時その時によって聞き方を変えてゆく。

 アマチュアであっても、子規は怪異譚の蒐集家だ。聞くということが、最もウェイトの大きい作業ですらある。


「――それで、私はその時どうしたと思う?」

「ふふ。どうしたんだい?」

「あら、分からないの?」

「全然。皆目見当もつかないよ。降参だ」

「聞きたい?」

「とっても」


 なんて、おふざけ半分に話をしたり。初めての異変の話からは特に時系列もなく、流れのままに、思い付いたままに話をする。

 子規の持ってきた瓢箪の中身が空になり、霊夢が神社に置いてある酒を持ってきた頃には、霊夢は三つほどの話を終えていた。


「私ばかり話しているってもなんだかあれねえ……子規さんは外の世界を回っているんでしょう? だったらしっかりなにか面白いネタの一つや二つはあるんじゃない?」

「ふふ、そうだね。僕は蒐集家であって、噺家ではないのだけれど、それでも話すことくらいは出来るかな」

「勿体ぶらないで」

「はいはい。じゃあ、そうだね。わりとライトな話からしようか」


 攻守逆転。今度は子規が語ることになった。しかし、子規自身が関わってきた怪異譚というのはヘヴィ過ぎるので、人伝の、蒐集した話ばかりになってしまうが。

 しかし、それでも霊夢にとっては興味深い話であったらしい。いや、霊夢の気を引きそうな話を子規がチョイスしたというのもあるのだが。子規が話せる怪異譚は、おおよそ一万ほどである。それだけあれば、相手によって話を変える程度のことは造作もない。

 短い話から長い話まで。笑い話から深い話まで。子規は言葉を繰り、囀ずる。


「ふうん。外にも幻想の存在っているのねえ」


 枝豆を摘まみながら、霊夢はそう子規に言った。


「そうだね。彼らは手を変え品を変え、確かに息付き、根付いている。時は流れ、移ろうもの。彼らは、そこにいる」

「そこに?」

「そこに。いつでも、どこでも」


 ゆるり、と時間が流れてゆく。

 少し空気を変えようと、二人は場所を縁側に変える。

 月。月が出ていた。


「外にも、かあ。外の世界のことなんて知らないけど、でも、そういうのが存在出来ないのが外の世界じゃなかったのかしら」

「その認識はほんの少しだけ異なるかな。話の通り、君たちの言う外の世界でも、存在を保ち続けているものたちは割といるんだよ。数もそう少なくはない。幻想郷にやってきた、幻想と化してしまった者たちとの違いも、調査対象かな」

「子規さんは、なにかに遭ったこと、あるのよね?」

「僕にそれを訊くかい? 眼球に怪異を宿す僕に」


 黒い眼帯は、子規の右目を覆い隠していた。そして、それが隠しているのは、人の目ではない。

 醜悪な、蠅の瞳。禍々しくおどろおどろしく、不気味で歪な、瞳。あまり物事に動じない霊夢であっても、眉を顰めた、そんな、瞳。


「遭ったよ。遭った。会って、逢って、遇った。夥しいまでの怪異たちにね。彼らは混沌の坩堝の中に溢れている。人の形をしたものたちだって沢山いた」

「子規さんから見て、私はどう映るのかしら? 人間? それとも妖怪?」

「……人とも言えるし、怪異、というよりは、幻想とも言える。あるいは――」


あるいは。博麗の巫女。

あるいは。


「とはいえ、これは僕の主観だから、信用してはいけないよ。僕が君を人だと認識したとしても、それは、人間であることに未練を持つ愚かな男の情けない自己防衛なのかもしれないのだから」

「随分、自分を卑下するのね。……そういうのはあんまりみないわ」

「ここに生きるのは、人ではないようなものたちばかりだからね。君の交遊関係も考えると、そういうのはいないんじゃないかな」


 くっ、と盃を傾ける。里では飲むことのない味だ。おそらく、神社で作られているものなのだろう。

 昔はよくあったことであるらしい。


「私の交遊関係がなんだっていうのよ」

「人外ばっかりじゃあないか。それも、妖怪ばっかり。巫女さんなのにね」

「なんで、神社に妖怪が蔓延るのかしら……奴ら、お賽銭も持ってこないし……」

「信仰してるわけじゃないからね」


 本当に、遊びに来ているだけなのだ。神社としては傍迷惑な事この上ない。これが信仰しているのならば、話が違っただろうに。

 ちなみに、妖怪でも神への信仰というのは出来るらしい。現に、幻想郷にはもう一つ神社があるが、そこの信徒は人間よりも妖怪の方が多い。それはそれでいいのか、とも思うが。


「そのお陰で、余計に人間の参拝客は減るし……」

「そもそも、立地条件が悪いしねえ」


 人里から遠く離れた山の中にあるのがここ、博麗神社である。

 道中には普通に妖怪が出る。妖怪に襲われてしまえば、何の力も持たない一般人には一溜まりもない。それが神社から足を遠ざける要因となっているのも確かだろう。

 それにも理由があるのだが。それも幻想郷の存亡に関わるクラスの。しかし、霊夢からしてみれば、知ったことではない。死活問題なのだから。


「納得いかないわ……私がいないと幻想郷って成り立たないんじゃなかったのかしら」

「そうらしいね。僕は部外者だから今一分からないけどさ」


 幻想郷を幻想郷足らしめている、要の一つが、彼女。そんな彼女が妖怪退治の第一線で活躍する。それも、エキスパート中のエキスパートだ。そこには矛盾があることに子規が気付いていた。


「あー、もう。今度異変が起こってもサボってやろうかしら」

「はは。それは困るなあ」

「ちょっと子規さん、いい加減じゃない?」

「そうかな?」

「そうよ!」


 霊夢は出来上がっていた。もはやただの酔っ払いである。絡み酒のようであった。

 以前彼女の酔ったところを見たときにはまた別の酔い方をしていたように思えたが。ひょっとすると、いくつか酔いに種類があるのかもしれない。

 いつも同じように酔うというわけではないのである。


「けど、君はそれでも異変を収めるのだろう?」

「そうね。私は博麗の巫女だもの」


 酔いがあれども、その姿は毅然としていた。博麗の巫女。それが、博麗霊夢を構成している、全てなのだ。在り方、だ。


「そう、君は博麗の巫女だ」

「そう、よ――」


 くたりと、霊夢は子規の肩に寄りかかる。めっきり近くなった距離だと、霊夢の寝息がよく分かる。規則正しい、深い呼吸。その中には、酒精の匂いがあった。

 気付けば、随分と飲んでいたようだ。外の世界ではまだ飲酒可能年齢に経っていない少女。まあ、大正までは未成年者飲酒禁止法なんてものはなく、かなり奔放に飲酒は行われていたのだから、意外と関係無いのかもしれない。


君は博麗の巫女だそうだろうけれど博麗の巫女だけなのか


 霊夢の体を、子規は抱える。軽い。余りにも軽い体だった。

 羽毛のような、そんな軽さ。彼女は『浮く』ことの出来る、そんな能力を持っているが、それとは違う。


「……………………」


 思考。


「ていうか、僕、男なんだけど……」


 信用されているのか、男として見られていないのか、霊夢が無知なのか……彼女を腕に収めたまま神社に一組しかない布団を敷き、そして、溜め息を吐いた。

 人として最低限の節度は持っているし、医者としても当たり前の心掛けを持っているが、釈然としないような。それだけ信用されていると言い換えられるが。

 夢心地からすっかり夢の中へと旅立った霊夢を寝かせる。ここまでは順調だった。しかし、子規が彼女から離れようとしても、それは敵わなかった。

 いつのまにか、ばっちり白衣を、その下のスーツを握られていたのだ。再度の溜息。


「こういう、お約束っていうのはいらないんだけどなあ……」


 やれやれと、されどあまり困った風な様子もなく、子規はそっと霊夢の指を解く。霊夢が僅かに身動ぎをしたが、酒での眠りは深い。そのまま意識を浮上させることなく、眠り続けていた。

 霊夢に布団をかけた後、散らばった酒瓶や、盃を片付け、ほっと息を吐く。


 ――ザッ――ザザッ――ザ――


「ん?」


 ――ザ――ザザザ―ザッ――


「……そんな物騒なことを言わないでくれ。そんな気は毛頭ないよ。少なくとも、今はまだ、ね」


 ――ザッザッ


「いい子だ」


 どこかの誰かと話をしながら、大きな旅行鞄を持ち、子規は玄関の引き戸を開け、一歩、外に出る。


「おやすみ。霊夢ちゃん」


 扉を閉めた。




 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ