短編
□東方列王子記
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Stage 1
春色大怪
二礼二拍手一拝というものがある。神社参拝における基本中の基本の作法であるのだが、実は、明治くらいに出来た、比較的新しいものであったりする。とはいえ、そこに必要なのは、信心であるので、参拝の形は以外と関係なかったりするのだが。鰯の頭も信心から、である。特に、日本人由来の適当な信仰心では、余計に。
とはいえ、マニュアルがあるというのならば、それに従うのが無難である。これもまた日本人の心。
そういうわけで。
まずは、賽銭を入れることから始まる。本来ならば、手や口を洗ったりするべきなのだが、この神社には手水舎がないので、その辺りは省略。
財布の中から適当に小銭を見繕い、下手で投げ――
「あら、ありがと」
賽銭箱に入る前に、巫女に回収された。
「……………………」
速い。速かった。視界に入るまで、気付けない速さだった。
「こいつを語る前に言っておくッ! 僕は今、博麗の巫女をほんのちょっぴりだが体験した……いや……体験したというよりは まったく理解を超えていたのだが……あ……ありのまま、今起こった事を話す! 僕は賽銭箱の前で小銭を思ったら いつのまにか(巫女の)手の中に収まっていた。な……何を言っているのかわからないと思うけど、僕も何をされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなものじゃあ断じてない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったよ……」
なんて、妙な真似をして。
「ああ、うん。せめて、形だけでもいいからさ。しっかりお詣りをさせてもらえないかな? 霊夢ちゃん。遠からず、君のものになるんだからさ」
「そう? 近くに手に入るのなら、それに越したことはないわ。なんなら、もう一度お賽銭投げればいいんじゃない?」
「そうしたら君がまた取ってしまうんだろう?」
無駄なお金を使う主義じゃないんだ、と、肩を竦める青年。
それに対し、腋を露出させる独特のデザインをした紅白の巫女服を着た少女、博麗霊夢は、手の中に収まった小銭四枚をちゃりちゃりと鳴らす。
「当たり前じゃない。賽銭箱は神社のもの。神社は私のもの。なら、賽銭箱に放られた賽銭は私のもの」
「神社は巫女さんのものじゃないと思うんだけどね」
神社。神の社。神の住み場所。そして、巫女はその神に仕える存在である。『外』でも、神社が巫女のものだなんて中々にあることではない。というか、ない。
「ウチの神社、そもそも神様もいないし、なにを祀ってるかも分からないのよね」
「それでよく巫女を出来るね」
神様の代わりに何か違うものがいるようだが。
ちらりと神社の一点に視線を向け、戻す。
「巫女なんてやろうと思えば誰だって出来るわ」
「博麗の巫女がそれを言うんだ……」
ぶれない霊夢に、白衣を纏った青年はやれやれとやや大仰に肩を竦めた。彼女がそうであることは、ここしばらくの付き合いで分かっているが、この態度だけを見ると、本当に巫女なのどうか疑いたくもなる。
そもそも信心があるかどうか。いや、ここにおいて、信心というのは大変微妙なものになるが――しかし、こんな信仰をしているのは、彼女だけであろう。
「わざわざここに来たってことは、何か用があるんでしょう? 子規さん。上がっていきなさい。お茶くらいは出してあげる」
「お言葉に甘えさせてさせてもらうよ」
そういうわけで。青年、春夏秋冬子規は結局お詣りをしないままに、博麗神社にお邪魔することになったのであった。
「ねえ、霊夢ちゃん」
「なにかしら」
「わざわざ出されたものにケチをつけるつもりはないのだけれど、このお茶、一体何杯目のお茶なのかな?」
子規が啜った湯飲みには、それは薄い、とかく薄い、水にごくわずかな緑の着色料を入れたのではないかと思うほど薄い、もはやこれはお茶という飲料に含まれない、お茶風味の水が入っていた。
客人に出すものではないだろう。下手をすれば、嫌がらせである。
「そうね、大体……二十杯目くらいかしら」
「そうかい」
それがどうかしたの、と言わんばかりに、霊夢は子規と全く同じものを飲む。
ああ、なるほど。これが彼女にとっての普通なのかと、子規は理解した。いいのか、それで。博麗の巫女。とも思ったが。
「それで、ご用件はなんなのかしら。子規さん」
「うん。そうだね」
子規は品のいい湯飲みを置き、居住まいを正した。
「まあ、僕はこれで医者なんだけど……」
「知ってるわよ」
間髪入れず、霊夢はそう言った。
彼女の卓袱台の反対側に座る白衣の男。いや、白衣であることは、医者の証明ではない。白衣なんてものはこの土地には存在せず、ただの物珍しい衣服に過ぎない。
彼が医者であると認識されているのは、あくまで彼の行いによるものである。
「なんだか刺々しくないかな?」
「別に。ただ、分かっていることを繰り返されても、鬱陶しいだけよ」
「それもそうだけど、まあ、枕の部分だから、聞いて欲しいかな。僕はこれで一介の医者であるわけだけれど、怪異の蒐集を趣味にしているんだ。ここのところようやっと身辺のことが落ち着いてきたから、妖怪退治のエキスパートである君に話を訊こうと思ってね」
医者とオカルトというのは、存外に関わりが深いものである。特に、ここでは、密接に、ほぼ重なっていると言ってもいい。
科学と呪術の中間点。それが医術。とはいえども、子規は、科学側の医療を使用する。外からやってきた彼ならば、当然である、が。
「ふうん? ああ、貴方はそう言えば、自分からここに来たんだったわよね。そういうのが目的ってこと?」
人間が、この地にわざわざ自ら訪れるなど、正気の沙汰ではない。その点を鑑みれば、この男は異常であると言えよう。
「まあ、そうだね。僕はプロではないけれど、プロでないからこそ、プロだとやらないことをやったりするんだよね」
「嘘ね。嘘の匂いがするわ。いえ、違うわね。嘘ではない。けれど、本当のことは言っていない、といったところかしら」
「そうなってしまうのかな。目的はこれだけじゃないからね。医者としても、まだ生き長らえる人が無闇に死んでしまうような環境というのは、あまり容認は出来ない、かな」
「あ、そ」
それもまた、フェイク、なのか。掴み辛い、というのが霊夢の子規に対する印象だ。自分も自分で中々に掴み所がないだろうと思っているが、なんというか、自分とはタイプが違う。
これ以上、この話題は不毛なものにしかならないだろう。機を見るに敏感なのである。
それに、その程度で警戒を解く、解かない、ではない。
「でも、貴方、人里に住んでいるのよね? だったら、稗田の乙女が書いた……求聞史記? だっけ? とか、寺子屋の先生にでも聞けばいいんじゃない?」
「うん。霊夢ちゃんの言う通り、彼女たちは博識ではあるけど、何分その情報は学術的だ。そちらはそちらで十分に重々に重要ではあるけれど、それと同等に生の声っていうのは価値があるからね」
「そうね……話すのは吝かではないわ。けど、人に頼みごとがあるっていうのなら、それ相応の対応ってものがあるわよね?」
「……どうぞお納めください」
白衣の内ポケットから、熨斗袋を子規は取り出し、恭しく霊夢に手渡す。霊夢はそれを開けもせずに懐に仕舞い込んだ。厚さを見れば何枚入っているかはある程度分かる。
これが狐狸の類いならば葉であるかどうか確かめる必要があるが、相手は子規。こんなところでそんな下らない真似をしはしないだろう。
「それと、どうだろう。こんなものを用意してきたんだけど」
「あら」
次に子規が取り出したのは、大きな瓢箪だった。そこに何が入っているのかは、言うだけ野暮というものだろう。
「気が利くわね、子規さん。そうね。会話をスムーズにするための一番の潤滑油はそれだわ。ちょっと待ってて頂戴。今、おつまみ持ってくるから」
「期待しておくよ」
神社の居住スペースに案内されてから暫く。笊にこんもりと乗った塩ゆでの枝豆と二つの盃を、霊夢は持ってきた。
瓢箪の栓を飛ばし、盃に波々と注ぐ。透明な、水に見えるほど透き通った酒だ。
乾杯をし、口を付ける。酒精が喉を焼く感覚が心地よい。
徐に、霊夢は話し出した。
「そうね。私が解決してきたのは大なり小なりあるけど、まずは大から始めましょうか。一般に、異変と名付けられるもののことね――」