短編
□くいものがたり
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今日はどんよりとした曇り空が広がっている。
鼠色の雲から、ともすれば、今にも雨が降ってきそうな空模様だった。それも、じっとりとした、洗濯物には決してよくないような、そんな雨だろう。洗濯には向いていない、そんな日。
とはいえ、実際は雨は降っていない。今にも降りそう、というだけで、一滴も雫は落ちてきていない。けれども、僕は傘を差していた。それも、ビニール傘とかではなく、真っ黒な蝙蝠傘である。一分の隙もないほど黒で占められたそれからは、大陽の光を通さないと言う気合いが、これでもかというほどひしひしと伝わってくる。
半分不審者のような格好をしてしまっているけれど、これにだって理由と事情があるのだ。
元凶といっても差し支えのない彼女に視線を向ける。
「ん? なんじゃ、なにを見ておる」
「んー、今日も忍ちゃんはかわいいなーって思って」
「よく分からんことを言うのう、貴様様は」
「二重尊称……そんなものもあるのか」
お前様とは全然違うだろう、これは。
そう。そうなのである。僕が蝙蝠傘を持っている理由は彼女にあった。
忍野忍。怪異の搾り滓である彼女。
その対になる暦はここにはいない。戦場ヶ原さんとお勉強デートの真っ最中である。
本来ならば、暦と離れることは出来ない忍ちゃんなのだけれど、そこはそこ。抜け道があっちゃうのである。
詳しくいうと長くなるので割愛させてもらうけれど。
「急ぎたい気分は分かるけどさ、あんまり離れないでくれないかな? 灰になっちゃうとか、やだよ?」
極めて限定的なものだから、忍ちゃんは吸血鬼の力をろくに使えないし、僕から離れることも出来ない。
こんな曇り空でも、傘を差す理由である。
「なら貴様様が急げばよい話であろうよ。ハイヤー!」
「ごめん。これでも大分急いでいるんだ」
「こんな蝸牛に追い抜かれてしまうような歩みでか?」
「蝸牛と聞いて。お呼びですか? 春夏秋冬さん」
「いや、お呼びではないかなー。またね、真宵ちゃん」
「そうですか。それではさようならです」
……忍ちゃんは、足に引っ付いている。いくら少女とはいえ、コアラのようにがっしりとしがみつかれたら、満足に動けるはずもない。
「儂は歩きたくないのじゃよ、貴様様よ。疲れることはしたくない主義なんじゃ」
「いや、大分疲れそうじゃないかい……せめておんぶでどうかな?」
「断る。貴様様の背中はちょいと乗りにくい。それと、怪異殺しと言われた儂がそんな間抜けな格好を出来るはずもあるまい」
「そっか。間抜けなんだ……」
なんだろう。やっぱり怪異とは微妙なズレを感じる。
「しかし、こうしているのも、少しばかり怠くなってきたのも確か。ふむ、そうじゃのう、貴様様よ。儂を肩車させてもよいぞ?」
「肩車は間抜けじゃないのかい?」
「うむ。吸血鬼界隈ではそういうものなのじゃ」
「そういうものならしょうがない、ね」
本当かな……なんて思いつつも、忍ちゃんを肩に乗せる。忍ちゃんを乗せるというよりは、忍ちゃんが乗るという感じだったけれど。
よじよじと登り、肩に乗る忍ちゃん。パイルダーオンとか言わないでくれ。
「ほれ、行くのじゃ、貴様様。全速全身じゃぞ? 儂を呼ぶ声がするのじゃ! ミスドが呼んでおる!」
「只今ハロウィーンキャンペーン中だもんね」
大仰にやって、これである。ミスドくらい、頼めば買ってきてあげるよと言ったのだけれど、現場で食べるからこそ、美味しいらしい。
そして、我が儘な吸血鬼さんは、今日じゃないと絶対に嫌じゃと仰った。そういうわけで、僕はミスドに向かっているのだ。
蝙蝠傘差して、女の子肩車して。通報されないかが心配である。
「早く、早く」
「いたいいたい、叩かないで、忍ちゃん」
全盛期に較べれば、戦車の砲撃がやわらか戦車の突進に変わったみたいなものだけれど、痛いものは痛い。
マウントポジションよりも酷いポジションを取られたんじゃないだろうか。
いや、本当、痛いです。
「口ではそう言っておるが、どうじゃ。その実、嫌じゃあなかろう」
「いや、嫌だよ、普通に……ああ! ちょっと! 髪! 髪引っ張らないで! 痛い痛い!」
「儂を肩に乗せるという誉れを蔑ろにするような奴には、こうじゃ!」
「ちょ、噛みつくのはやめて、洒落になら、うなああ!」
僕は、ミスドに向かっているはずなんだ。
ドーナツを、買いに行っているだけなんだ。
その、はずなんだ……。
「などと貴様様がいっておる内にババーン。ミスドに到着じゃぞ」
……BABA――z__N
「痛いっ!」
「早く行け! ミスドは待ってはくれんぞ!」
「待つどころか動かないと思うんだけどなあ」
「ドーナツはこうしている間にも去っていくであろ! 忌々しい! 他の客の口へ胃へ腸へ行くのだぞ! 世界のミスドは儂のものじゃ!」
「……吸血鬼って一体……」
血を吸う鬼って、なんだったっけ……