短編
□混物語
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春夏秋冬子規は、平然と積極的にボランティアをするような人間である。これは、なにも、子規という人間が素晴らしい人間であるとか説明するものではない。社会奉仕をするということは、外出することが多いということである。
実際、子規が居候宅に居ることは存外に少ない。だから、今日も、子規は町中を自転車で走っていた。ならば。これから起こる結果は、起こるべくして起こったとも言える。偶然と必然の境界など、有ってないも同然の紙一重。ならば、ただの事象。事柄。
見るべくして見て、会うべくして会ったのだ。
出逢いか、遭遇かは、酷く、曖昧だけれど。
「え……?」
子規はそれを見て、その光景を疑った。次に、自分の目と眼を疑った。更に、脳を疑い、自らの常識すらも疑い、最後にもう一度目の端に映ったそれを疑った。
それほどまでに、子規にしてみれば有り得ないものだったのだ。いや、有り得てはならないものだった。
まず、認識したのは、金の髪だった。この田舎町において、金髪の持ち主を見掛けるというのは、まずないこと。それも、染めたものではなく、自前のものとなると、本当に限られる。
そして、太陽のように輝く金なんてものを持っているのは、心当たりは一件しかない。加えて、それが少女だと。
「忍ちゃん……?」
忍野忍。吸血鬼の成れの果てが、町中を闊歩しているなんて、そんなことが有り得るものか。
子規の内側で、目まぐるしく何故、が浮かび、そして、消えてゆく。
けれども、答えは出ず。そして、何よりも、それ以上に問題が存在していた。道路を裸足で歩く忍のすぐそばに、一人の男がいたのだ。長い髪を、頭頂部で一纏めにした、美男子。
吸血鬼の搾り滓、残骸のような吸血鬼。その危険性。腐っても吸血鬼なのだからなんて言葉で片付けることは出来ない。
だから。
「その子から離れてください」
「ん……?」
「なに……?」
無関係な彼を危険から遠ざけようとしたのは、子規からしてみれば、当然のことであった。
「その子から、離れてください」
もう一度、子規は繰り返す。
かつては怪異の王とまで呼ばれる存在。ただの人にどんな危害が及ぶか。なまじその思考が不明なだけあって、忍が次にどのような行動に移るのか、分からない。
最悪のパターンも考えてある。その時は、やはり子規も最悪の一手を打たなければならない。
焦る子規とは反対に、言われた男は、ぽかん、としていた。
それも仕方のないことだろう。身も知らぬ人間から唐突にそんなことを言われれば、誰だって戸惑う。
「ああ、……と、アンタ、こいつと知り合いなのか?」
「知り合い……まあ、そうとも言えるし、そうとも言えず、それ以上ともそれ以下とも言えるけど……取り敢えず、面識はあるよ。そして、保護者も知ってる」
「だとさ」
男は、忍に目を向けた。忍野忍がいるという事実で気付きにくかったが、彼女はゴーグル付きヘルメットを被っていなかった。
「ふーむ、儂はお前のようなのを知らんのじゃが」
「だとさ」
忍から視線を子規に移した男。だが、子規はそれどころではなかった。
「しゃ、喋った……? 忍ちゃんが……? 忍ちゃんが喋った……?」
「なんかショック受けてるぞ。やっぱり、お前実は知り合いなんじゃないか?」
「いや、この反応はどうみても違うじゃろう」
忍ちゃんが喋るなんて……。実はこれは、夢なんじゃないかと、子規は思い始める。
忍は、この数ヵ月の間、沈黙を保ち続けているのだ。この外出といい、有り得ないことばかり。
ここまでの混乱は久しぶりのことである。
「ていうか、僕達の関係はそりゃあ生温いものじゃないけど、まさか存在の否定をされるなんて思ってはいなかったよ。っていうか、シカトの方がまだましだった……」
「こんなこと言ってるが? っていうか、お前、故意でやってるとしたら、やめた方がいいぞ。人間性が疑われる」
「吸血鬼の儂に人間性を求められても困るんじゃが……じゃが、儂は本当にこの人間……ではないの、貴様。何を飼っておる」
「その大雑把な説明は春休みにやっているし、詳細な解析はつい先日君の家でやったじゃないか」
「春休み?」
春休み。
「え? それもなかったことにするの?」
「いや、待て。そもそも、お前は誰なんだ」
埒が開かない。そう、男は思ったのだろう。疑問符しか浮かばない会話に、終止符を打った。
「直江津高校三年、春夏秋冬子規です」
「聖翼神学園高等部三年、中村亞偉だ」
ここで。二人は奇妙だということに気付く。聞いたことのない学校なのだ。近隣の学校ならば、名前くらいは聞いたことがあるもの。だが、聞いた覚えのない学校名。
片方は忍が知らぬのに知るといい、片方は知らぬ間に忍と知己である。
なにかがおかしい。
だが、男、亞偉には、ちょっとした、いや、かなり大きな心当たりがあった。というか。多分、否、絶対に正解だ。
「おい、忍」
「うむ。成功じゃ」
「アホか!」
亞偉は思い切り、忍を叩いた。
それから暫くして。
「ええ、と、話を纏めると、君たちはこの世界とはまた別の因果率からやってきた中村くんと、忍ちゃん。そして、世界の壁という大層なものを破ったのは、忍ちゃんの悪戯……」
「知的好奇心と言えい」
知的好奇心だろうと、悪戯だろうと、そんなもので世界を渡るなよと。
しかし、平行世界論とは。これが手の込んだどっきりでなければ、可笑しな齟齬や擦れ違いはそれでしか解決できないだろう。
それに。忍野忍。あれならば、なんでも出来てしまいそうで。よく見れば、子規の知る忍とは微妙に顔立ちが異なる。
「ってわけだから、お前の知る忍野忍は、学習塾跡にいるはずだ」
「ううん、とびっきりの珍事件のような、怪事件のような……大事のような」
しかし、大雑把な話を聞くと、通っている学校の違いも大きかったが、その他、細々としたところが異なっているようであった。
子規の知る名前がちらほらと出ていたし、そのどれもが、若干の違いを持っている。これで騙しだったら、ラズベリー賞を与えたい。
しかし、亞偉の話す、もう一つの、アナザーの世界。もっとも大きな違いは、それこそ、春夏秋冬子規と中村亞偉の存在であった。この二人の存在だけが、まるで違う。他のものたちは、ほぼ同じなのに。平行世界の証か。
「さて、俺たちも、別段ここにいる必要性はないわけだから、ほら、忍、帰るぞ」
忍の戯れに付き合っただけに過ぎない亞偉としては、早々に帰りたいものであった。元々、乗り気ではなかったし。
「無理じゃ」
「はい?」
しかし、返答はそんなあっさりとした、端的な言葉だった。
「儂も飽きたからさっさと帰ろうかと思って色々試しているのじゃがの、どうもうまく行かん」
「自分勝手に連れてきて自分勝手に帰ろうとした結果がこれか! これなのか!」
「えっと、うん、まあ、大抵のことは何とかしてくれる人に心当たりがあるからさ、そこに行こうか。こっちの忍ちゃんの様子も確認しておきたいし……」
と。ドン、と押された。それが、亞偉によるものだと理解すると、今度は、忍が飛んできた。子規の上にぽて、と 落とされた忍。そして、車が突っ込んできた。
「え」
亞偉に迫る車体。
ブレーキ音。
そして、
・・
ドン。
子規たちが飛ばされた反対側。そこに、車が突っ込んでいた。
血が飛ぶ。
交通事故。
「……ッ!」
「行く必要はないぞ」
「なぜ!?」
駆け出そうとした子規は、忍に止められた。こういったケースでは、どれだけ早くに初期治療を施せるかどうかで、生存率/死亡率に大きく関わってくるのだ。医療の心得を持つ子規は、その重要さを知っている。だからこそ、亞偉の下へ急ごうとしたのだが。
「あれはあの程度では死なん」
「な、にを……」
「心配して貰って悪いが、俺はこの程度なら問題ないんだ」
平然と。平然と子規の前に現れたのは、亞偉だった。平然。しかし、平然としているのは本人だけで、制服はボロボロであった。加え、赤がべったりと着いている。
「そんな血塗れの状態で言われても……」
そこで。子規は、血の跡しかないことに気付いた。傷がないのだ。
似たようなことが出来るのが、知り合いに、というか、居候先の長男だ。
「……君もまた、随分な境遇にあるみたいだね。いや、それは……」
子規は口を噤んだ。
「見ようによっては吸血鬼以上かもな」
その辺りを、亞偉は分かっている。自らの体のことは、知っている。
「……とにかく、君は先に忍野さんのところに行っていてくれ。その姿でいられると、色々と不味い。僕は、取り敢えず事故の証言をするから」
とにかく。ドライバーが心配であった。
「やあ、会長くん。元気いいねえ。なにかいいことでもあったのかい?」
学習塾跡。立入禁止の看板が立ち並ぶ、そんなところの四階に子規が行くと、いつもの問いかけを、アロハシャツの中年、忍野メメはしてきた。
そのことに奇妙な安心感を子規は抱く。
「いいこと、とは一概に行きませんけどね。悪いこと、とも一様に言えませんけど」
「はっはー。そこのポニテくんに話は聞かせてもらったよ。なかなかに面白い事態になっているみたいだね。忍ちゃんが平行世界移動ねえ……ま、無理とは言わないさ。こうして、忍ちゃんが二人いるのを見れば、信じざるを得ないね。世界には同じ顔をした人間が三人いるっていうけれど、生憎忍ちゃんは吸血鬼。そんなのが二人も三人も居てくれたら、うん、世界は二十四時間保ってくれたら上々ってところじゃないかい」
吸血鬼。怪異の王。それだけでも大概だが、それだけでは問題ではない。吸血鬼自体はいるのだ。問題であるのは、忍野忍、怪異殺しとまで呼ばれた彼女のパーソナリティ。
春休みに全開の彼女の一端を見た身としては、二人もいる、というのは恐ろしいことこの上ない。
で、その二人の一人は、なぜか、向かい合っていた。体操座りする忍と、それを見下ろす忍。どちらがどちらの忍かは言わなくても分かる感じ。
「でも、いいんですか、あれ。ドッペルゲンガーが現在進行形で出来ちゃってますけど」
「いいんじゃない? 人が見ると死んじゃうらしいけどさ、ほら、忍ちゃんもう死んでるし」
「それは、そうですけど……」
まあ、目に見えた問題はないが。だが、怪異の場合、見えない方が恐ろしい自体になりがちなのだが。
「うーん。気にしなくていいと思うよ? どうせこれ番外編だし」
「メメタァ! メメタァ! メメタァ!」
「んで、俺達はどうすれば帰れるんだ。忍野……さん」
「無理しなくていいよ。忍野って呼んでくれ。向こうの僕も、そういう風に呼んでいるんだろ?」
無理矢理言ってる感が満載だよ、と忍野は言う。まあ、その通りだが、と亞偉は思う。
別人でも、忍野は忍野。亞偉の知る忍野と本質は変わらない。
「じゃあ、忍野」
「はいはい。ポニテくんが帰れなかったのは、割と簡単な理由でね、ようはタイミングの問題なんだよ、タイミング」
「タイミング?」
「そ。世界と世界を渡るなんて芸当をしてくれたんだ。いくら忍ちゃんと言えども、そうそうほいほい楽々出来るものじゃないさ。こういう呪術系のものはね、時機っていうものが大切なんだよ。忍ちゃんが行動を起こしたその時が、丁度そのタイミングだった。いやはや全く、驚かされるばかりだ」
「その、タイミングっていうのはいつなんだ?」
まさか、百年とか言わないだろうなと、最悪のケースを想定した亞偉だったが。
「んー。一週間もすれば出来るんじゃない?」
「あ、そう……」
なんだか、呆気なかった。
すごく、気が抜けた。
そういうわけで。
「あ、子規ちゃんおかえりー」
「おかえりー……って、その人誰?」
「こちら中村亞偉くん。なんでも自分探しの旅の途中らしくてね。暫く泊めてほしいんだよ」
「よろしく」
阿良々木家に居候が増えました。