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□夏の涙
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それから俺たちが友となるのに時間はかからなかった。
近藤氏には抵抗があり、作家と編集者としてのケジメはつけていたが、付き合い方としてはなんの気兼ねもないまさに友だった。
彼が訪ねて来るのが楽しみであり、時間があれば共に散歩や買い物をして、飯を食べることもしばしばであった。


半年ほど過ぎたある日、3月を目前にして大雪が降った。近藤氏は、雪を身体に溜めて俺の元へ原稿を取りに来たのだ。

「傘はどうしたんだ、近藤さん?」
「いやー、駅の側で捨て猫がいて可哀想だったもんだから…。」
「……まさか?アンタ猫に傘、くれてやったのか!?」
「はぁ。」
あきれた…何、それ?

でもその方が、アンタらしいな。この底なしのバカなお人好しに胸が温かくなった。

「そのままじゃ風邪ひくから、風呂入ってけよ。」
「え、でも悪いっスよ。」
「俺んとこ来て風邪ひかれたら、俺がアンタに無理させたみたいに思われるじゃねぇか!」
「いや、そんなことは…。」
「いいから、ほら早く!ちょうど俺も足暖めようと沸かしたとこだから…。」
「じゃ、すんません。」
申し訳なさそうに頭を下げると、彼は雪を払い着物を脱ぎ始めた。

彼はガタイがいいものの、無駄な肉はなくしなやかな身体つきだった。浅黒の肌にいくつか刀傷や痣がある。

……傷?

「近藤さん、アンタその傷どうしたんだ?」
「え?あ、これ?昔のもんですよ。も少し若い頃に陸軍にいたんでね。」
「軍?」
「小さい頃から剣術やってたから、それもあって少し軍へ。でも肺を患って辞めましたけど…。」

「そうだったのか…。」
「じゃ、風呂借ります。」
「あぁ。」
俺は彼の身体を凝視できず、そっぽを向きながらそう返答した。
朗らかで明るい男の中に、そんな殺伐とした一面があったのか…。あの笑顔の裏に、どんな狂気を潜ませているのか。ほんと興味深い漢だ。

ほどなくして彼は風呂から上がる。俺の着物を貸すと、手早く着替えた。
普段とは違う艶やかな雰囲気になぜか俺の心拍数が跳ね上がる。どうしたんだ、俺?なんか変だ。


「…生…先生?」
「え?」
呼ばれていたことにやっと気づき、ハッと顔を上げると至近距離に近藤氏の顔があった。
顔の紅みが増す。

「先生、大丈夫スか?熱でもありません?顔真っ赤ですよ。」
武骨に見えるその手が、俺の額に宛がわれた。見た目よりも柔らかく、肌のキメも細かい優しい手をしている。
「いや…何でもないよ。ありがとう。」
何より気持ちのいい手だった。


その日を境に、俺の中の何かが変わった。
彼が来ると心拍数が上がり、彼の身体を隅々まで眺め、彼の言葉を心地よく感じるようになった。
いつもの人懐っこい笑顔を向けられ、名を呼ばれるととても嬉しくなる。


これは、何なんだ?まさか…、まさか!?
いや、そんなハズは…現に俺は女を買うことだってある。
世では色男と呼ばれる俺だが、実は色恋沙汰が面倒でここ数年、特定の相手とどうこうすることはなかった。それより商売女を相手にしている方が気楽だったからだ。
……でも、胸が暖まることも得るものもない。ただ男の性(さが)を全うするだけ…。
じゃ…この状況は?
腑に落ちねぇよ。


4月に入り、桜が綺麗だからと近藤氏に誘われ近所の河原にでかけた。
満開の桜が散りはじめ、美しい桜吹雪が舞っている。
この部分だけ切り取れば、戦時中とは思えない雅な光景だった。
その桜吹雪の中、俺に背を向け前を歩く彼の姿は散りゆく桜より凛として美しく幽玄なものだった。しかし不意に、散る桜と共にどこかへさらわれてしまいそうな衝動にかられ思わず彼の袖を引いた。
あまりの突然なことに、近藤氏はとても驚いた表情を見せた。
「どしたんですか?」
「あ…いや…なんでもないんだ。ちょっと、その…」
明らかに俺の顔は火照り、物言いたげな潤んだ瞳をしていたと思う。
でも言葉が続かない。

何かを悟ったかのように、彼は優しく微笑み言葉を紡ぐ。
「大切な人のことでも思い出してたんですか?」
「え?」
そう言われ驚く俺の顔を見て、クスリと鼻で笑う。
「まるで大切な人を失ってしまうような儚い顔をしてますよ。」
その言葉は重かった。

「大切な人…か…。」
「前に俺が軍にいた頃。戦地に赴く恋人を見送る女性を何人か見ましたが、ちょうど今の土方先生みたいな顔してましたよ。」
「えっ?」
「…なんとなく、桜って綺麗だけどせつないですよね。」
そんな表情(かお)をしてたのか…俺?
優しく微笑むその男の顔に、胸が締め付けられる想いがする。でも何も知らない君は俺の背中を2回ほど叩き、また前を歩いていった。


まちがいない。俺は恋をしている。
でもどうすることもできない。だって俺たちは…。
また胸が締め付けられた。
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