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□練習曲 ーエチュードー
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「勲、今のはなんて曲だ?」
「あ、おじいちゃん。今のはツェルニーの30番だよ。」
「そうも聞こえたが、ちょっと違ったんじゃないのか?」
「あ、僕が変えてみたの。」
「お前がか?」
「うん。だっていつもおんなじだと飽きちゃうんだもん。」
祖父は、驚きの視線をその幼子に送った。
そしてその幼子は楽しそうに笑った。
【練習曲 −エチュード−】
「何度言ったら分かるんだ、勲!楽譜通りに、ちゃんと弾きなさい!」
「……はぁい。」
「周一、いいじゃないか。勲はその原曲を弾けるんだから、たまには遊ばせてやれば…。」
「父さんは、黙ってて!」
「しかし、この子には才能があるんだ。もっと伸び伸びと…。」
「わかっているよ!才能があるからこそ、その才に溺れないためにも、基礎練習が大切なんだよ。父さんは余計な口出ししないでくれ!将来、一流のピアニストになるためには、今が大事なんだ!」
「お前の気持ちもわかるが、勲はまだ小さい。遊び心も、才能を伸ばす大切な…。」
「いいんだ、おじいちゃん。」
大人たちの会話を、その幼子は遮った。
「ごめんなさい、お父さん。ちゃんと弾くよ。」
小さな指から流れるよな旋律が奏でられた。
父は満足気に微笑み、祖父は複雑な面持ちだった。
「勲さん、今日はお父様たちが帰国なさる日ですので、お早めに帰宅なさってくださいね?」
朝、登校しようと玄関で靴を履いていたら、後ろから家政婦に声をかけられた。
「…今日は、ツレと図書館でテスト勉強する約束してるから…。」
鞄を肩にかけ、慌てて玄関を出る。
「勲さん!お父様たちの今回の滞在期間は2日なんですよ!」
家政婦の声を振りきるように、勲は走り去った。
放課後の音楽室で、勲はピアノ演奏に没頭した。
何かを振り払うかのように、無我夢中で鍵盤と向き合った。
陽が傾き、音楽室が薄暗くなってきた頃、ドアが開いた。
「近藤、下校時間はもうとっくに過ぎてる。テスト期間も済んだから、部活で残るならいいが、お前確か剣道部だろ?早く帰りなさい。校内じゃ、もうお前だけだぞ。」
「はい、すいません。」
教師に言われ、勲は鞄を片手に音楽室を出た。
それからコンビニを2件回って雑誌の立ち読みをし、駅前のマクドで食事をして、帰路についた。
「ただいま。」
スタスタと歩みを進め、居間には入らず洗面所で手を洗う。
「勲、おかえりー。遅かったわね。元気にしてた?」
背後から声をかけられるが、勲は振り向きもせず声を発する。
「あぁ、特に病気はしてないよ。」
「ごはん、食べてないでしょ?作ってもらってあるから、食べなさい。テスト勉強してたんだって?ピアノは練習してるの?」
母親は嬉しそうに話を続ける。
「メシはいい。食べてきたから…。今日は疲れたからもう寝る。」
母親の横をすり抜け、勲は歩き出した。
とりあえず居間に行くと、父親がソファーで新聞を読んでいる。
「おぉ、勲、おかえり。また背が伸びたか?最近の日本の中学生は、どれくらいが平均なんだ?」
「知らねぇ、おやすみ。」
「勲、久々にお前のピアノを聞かせてくれ。今回も2日しかいないんだ。前回は聞けなかったからなぁ。ちゃんと練習してるんだろうなぁ、お前?ヨーロッパの音楽院の連中は、弾きどおしみたいだぞ。お前もだなぁ…。」
「ごめん、今日はテスト勉強で疲れたから…明日にして。おやすみ、父さん。」
勲は足早に居間を出て、自室にこもった。