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□狂想曲 ーカプリッチョー
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カラン。
少し古びた木製のドアを開ける。
「あ、すいません。まだ準備……。なんだ…お姉さん。」
薄暗い店内で、赤毛の青年がモップがけをしていた。
「こんばんは、神威くん。」
「今日はデェト?」
「まぁね。」
私は歩みを進め、カウンターに座った。
【狂想曲 ―カプリッチョ―】
「何飲む?」
無精髭のバーテンが声をかけてきた。
「阿伏兎さんにまかせる。」
「んー、アンタといい勲といい、いつもそんな注文してくれるから、オジサン困っちゃうよ。」
そう言いながらも、阿伏兎さんはカクテルを作り始めた。
しばらくすると、かわいいピンク色をしたカクテルが目の前に置かれる。
「ありがと。」
口をつけると、甘く炭酸の効いた液体が口の中を刺激する。
「おいし。」
「今日のデェトが、楽しくなるリキュール入れといたから。」
阿伏兎さんは、ニカリと笑う。
「ありがと。」
和やかに話していると、神威くんがドアプレートをかけかえたのか、お客がチラホラと入店してきて、気がつくとある程度、席は埋まっていった。
「阿伏兎、今日は勲、こねーの?」
金髪の常連ホストが声をあげる。
阿伏兎さんは、私に向け指をさした。
「あぁ、そゆことね。じゃあ一曲くらい期待できそ。」
私を見るなり、金髪ホストは満足気に笑った。
「す、すいません、志村さん!仕事が押しちゃって。」
勢いよくドアが開き、長身のサラリーマンが駆け込んできた。
「いいえ。大丈夫ですよ、近藤さん。」
私がやんわりと微笑むと、彼は私の隣に座った。
「それよりも、皆さんお待ちかねですよ。」
「へ?」
近藤さんが周囲を見渡す。
皆、彼を見ていた。
「勲、一曲頼むよー。」
金髪ホストが声をかけると、近藤さんは困惑する。
「金時ィ、見てわかんない?今日はデェトなんよ、俺!そういうのは、一人ん時に…。」
「あら、私も待ってるんですけど…。」
「え?」
にこやかに笑顔を送る私を、近藤さんは驚いた顔で見た。
しばらくして息をつく。
「なーにそれ、皆でグルになってぇ。」
彼は上着を脱ぎ、Yシャツの袖をまくった。
「志村さん、何がいい?」
「じゃあ、クラシック。」
「おいおい、お嬢さん。うちはバーだよ、クラシックって。」
阿伏兎さんが慌てる。
「了解。」
「了解って、おい、勲!」
「阿伏さん!大丈夫だよ。」
神威くんが落ち着いた様子で、阿伏兎さんを制止した。
「勲さんの実力は、そこなんだし。」
「ま、まぁそうだけど…。」
近藤さんがピアノの前に座ると、パラパラと拍手が贈られる。
近藤さんの指から軽快なピアノが奏でられた。
これは…たしか…ヨハン・シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」だわ…。
スゴい、クラシックがこんな楽しげなジャズに変わるなんて…。
ピアノを奏でる彼はとても楽しそうで、そのごついガタイから想像できないような、繊細な旋律を紡ぐ。
「さすがは勲、いいねぇ。」
「これは初めてな感じの曲だな。」
「あのサラリーマン、何者なの?」
皆、口々に近藤さんの話題を出す。
いいでしょ?
ステキでしょ?
3高(高身長、高収入、高学歴)で、優しくて、ピアノがプロ並みにうまい……私の自慢の彼。
顔は好みの問題もあるけど、私は大好き。
皆の視線を集める彼を眺めながら、私は優越感に浸っていた。
不意に女性客が目に入る。
うっとりした様子で彼を見ていた。
私の中に黒いものが渦巻く。
その時、演奏が終わり、彼は私の元へやって来た。
私だけに向けられる笑顔。
黒いものが和らいだ。
「こんな感じで、どう?」
「ヨハン・シュトラウスの美しく青きドナウですよね?」
近藤さんは、眼を丸くする。
「よく知ってるね。」
「そりゃリクエストしたのはこっちですから…。」
「今まで、曲は知ってても、曲目まで知らない、て人が大半だったから、驚いたよ。あ、阿伏兎、いつものロックで。」
今まで…?
それって今まで付き合った女(ひと)たちのことを言ってるの?
再び私の中に黒いものが渦巻く。
彼は自分の前に置かれたグラスに口をつけた。