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□前奏曲 ープレリュードー
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嫌な雨…。

お気に入りのミュールは汚れるし、何よりも気分がどんよりするわ。
私は雨の中、傘をさしながら帰路についた。





【前奏曲 ―プレリュード―】





仕事帰り、何ら変わりないいつもの帰り道をとぼとぼ歩く。
変わったことと言えば、仕事で凡ミスして凹んでいることくらい。
気晴らしにお気に入りのアイスでも買って帰ろうとした。






……?



どこからか、軽快な音楽が聞こえる。
しかも……ピアノ?

私は不思議に思い、その音に導かれるように歩いていった。
私の帰宅ルートの途中にガラクタを集めた資材置場がある。


音源はそこからだった。


覗いたその先に、更に不思議な光景を見る。



ずぶ濡れのサラリーマンらしき男が、Yシャツを二の腕までまくりあげ、雨のガラクタ置場にあるピアノを鼻唄交じりで楽しそうに弾いている。
ゴツそうな浅黒い肌をした私より歳上な感じで、その楽しそうな様子と繊細な腕前に、しばし聴き入ってしまった。










どのくらい経っただろう、私はミュールや服がずぶ濡れになっていることもいとわず、そこに立ち尽くしていた。
そして彼が弾き終わると、思わず拍手をしてしまったのだ。

その拍手に彼は驚き、ハッとこちらを見ると、互いに眼が合い、共に顔を紅らめる。
私は、その場を全速力で後にした。









「で、その人に一目惚れしたワケ?」

同僚のおりょうが、唐揚げを頬張りながら言う。

「ち、違うわよ!」

「なにィ?堅物お妙が気にかかったんでしょ?」

「そんなんじゃないわ、ゴツい男だったもの!ただ…。」


「ただ?」

「凄くピアノ上手かったし、何よりも楽しそうで…いいなぁ…て。また聞きたいかなって。」

「ふーん、恋したワケじゃないんだ。」

「あ、当たり前でしょ!」

でも、彼の弾くメロディとあの楽しそうな顔が頭から離れないのも事実だった。









「志村くん、これ今日のプレゼンで使うから、10部作成して、第2会議室へ届けてもらえる。」

「はい。」

上司に言われ、資料を作成し第2会議室のドアをノックした。
声がかかり、ドアを開けると別の上司と背を向けた男性が眼に入る。


「あぁ、ありがとう志村くん。」

「はい、こちらが資料になります。」


傍まで寄り、上司に資料を渡す。

「近藤くん、次回のプロジェクトの企画書だよ。どうかね?ぜひ海外事業部の力をお借りしたくてね。」

上司は対面している男性に資料を手渡した。
手渡された男はパラパラとめくり、顔を上げニヤリとした。



……!!

私はその顔を見て固まった。


「なかなか面白い企画ですね。早速土方たちに話してみます。」


そう言いながら私の視線に気づいたのか、チラリと横目に私を見て、彼もまた固まった。



「近藤くん、どうした?あ、志村くん…もういいけど…。」


私は上司の声で我に返ると、

「し、失礼しました!」

と慌てて会議室を飛び出した。









「で、逢えたワケだ…雨のピアノマンに…。でもうちの社員だったとはね、世間って狭いわ。」

「何、その“雨のピアノマン”って?」

「いやー、ロマンチックに名付けてみたんだけど、ダメ?」

「何、勝手に盛り上げてんのよ、おりょうちゃん!それにあの人、海外事業部の人で、“近藤”て言うみたいよ。」

「か、海外事業部!?」


「何よ、急に声張り上げちゃって…。」


「海外事業部って言ったら、エリートコースよ!」

「あ、そうなんだ。」

「んもー、お妙はホントに呑気なんだから!この際、お近づきになっといたら?」

「だから、関係ないってば!」


豪快に笑うおりょうを恨めしげに睨みながら、胸のドキドキは早まる一方だった。


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