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□悋気
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あー、帰りてぇ。


近藤は要人の護衛で、とある旅籠に来ていた。
当の要人は襖を隔てた隣室で芸者遊びに興じており、近藤は抜け出すこともできずにいる。

こんな状況でゆるりと食事がとれるハズもなく、なんとも居心地の悪い心持ちがした。






【悋気(りんき)】








はぁ…。


ため息をつき、膳を遠ざけると浴衣のまま寝転がった。
周囲には不審がられないよう宿泊客を装っている。




このまま寝ちまおうかなぁ…。




そんな折、廊下から誰かが走ってくる音がする。
近藤は傍らにある愛刀を素早く手に取り、要人のいる部屋側の襖に張り付き神経を研ぎ澄ませた。




すると突然、近藤の予想しない側の襖が開く。



「すいません、かくまってください!」


開いたのは自分のいる部屋の出入口の襖だった。



「え?」


驚き、近藤は固まった。



「!?」

と同時に声の主も固まる。浴衣を着た志村妙が立ち尽くしていた。


「お…お妙さ…。」
「こ、近藤さ…。」



しかし互いのセリフを言い終える前に、廊下の奥からまた足音がしてくる。


「お妙ちゃーん、どこだよォ?」


聞きなれない男の声が、妙の名を呼ぶ。
声のする方を見て、妙は顔を歪めた。


「ヤバ、来た。」


近藤は胸にチリッと黒いものを感じた。


「キャッ。」

近藤の手が妙の腕を掴み、妙はそのまま部屋へ引き込まれた。
そして気がつくと近藤の大きな胸の中に包まれている。


「え、あっ…。」


近藤の左手が腰に回り、右腕は妙を包む。
彼の少しはだけた浴衣から、鍛え上げられた筋肉が見え隠れした。
その胸から伝わる近藤の体温と鼓動に、驚きと恥ずかしさが同時にこみあげ、妙は頬を染める。
近藤の大きな背中が盾となり、廊下からは妙の姿は見えない。



「妙ちゃぁーん?」


ちょうどその時、妙を探す男が2人の部屋の前を通った。


男の声に一瞬気をとられ、近藤で見えない廊下に視線を送ると、近藤が右手を頬に添え、妙は近藤の方を向かされた。
真顔の近藤が瞳に映る。



「あ、の…。」

「愛してます…。」



そのセリフに妙は瞳を見開き、頬は益々紅みを増す。



「…こん…。」

声を発しようとした妙の唇に、近藤は自分の人差し指を当てた。


「ここにいてください…。」


近藤の口から静かにセリフが滑り出てくる。


「…他の男(ヤツ)のことは考えないで。」



その切なく、精悍な顔に妙は目眩を感じた。
普段なら殴り飛ばす距離だが、今はそれもできずその雰囲気に呑まれ、潤んだ瞳で彼の一言一句に聞き入っている。


「…俺といてください………あなたが俺だけのものならいいのに。」


妙は息をするのも忘れた。

廊下の男も、男女が人目を憚(はばか)らず、甘い雰囲気に酔っていると思ったのか、そそくさとこの部屋の前を通りすぎ遠ざかっていった。











足音が遠ざかったのを背後に確認するかのように、近藤はチラリと後ろを見た。
しかし妙を抱き締める力を緩めない。


「こ、近藤さ…?も、もう…。」





「アイツ、誰なんですか…さっきまでなにしてたんですか?」

「え?」



顔をあげると、やや拗ねたような顔をした近藤が視界に入る。


「べ、別に何もありません!アフターで食事してただけです。」

「だって、こんな旅籠で浴衣着て…。」

「仕事で汗かいたし、お酌してたら、お酒をこぼされて…湯を使わせてもらったんです。別に変な意味は…。」


「お妙さん、それは無防備すぎます!そんなのアナタを帰さないための常套手段に決まってるじゃないですか!なのに…。」

「私そんな軽い女じゃありません!もう帰るつもりだったし…。」


「軽いとかそんなんじゃなくて、アナタはかよわい女性ですよ。男がその気になったら…。」



近藤は妙を抱き締める腕に力をこめる。
互いの身体が、より密着度が増す。

妙は近藤の身体を意識した。



「…ィヤ…。」


妙が慌てて近藤を軽く突き飛ばすと、近藤は2、3歩よろけた。

「き、危険なのはアナタでしょう?何、勝手に妬いてるんですか!」

「そりゃ、妬きますよ。だって俺は…。」


そう言うと、近藤は言葉に詰まった。






「…いや、いいです。すいません、何でもないです。」


近藤は俯いた。


そんな近藤を妙はジロリと睨み付けた。



「…何でもないようには見えませんけど?」

「いや、気にせんでください。」

妙に背を向けると、近藤は窓に向かって歩き出し、外を眺めるようにして立った。


「なんなんですか?さっきの勢いはどうしたのよ。」

近藤は振り返り、やんわりと微笑んだ。


「だって…俺はアナタのなんでもない。咎める権利はないでしょ?男の嫉妬なんてみっともないし…。」

「みっともないのは、いつものことでしょ。」

「ははは…厳しいなぁ。」


力なく笑い、落ち込んだように視線を落とす近藤を妙は見つめた。







「妬いたから、あんなことしたんですか?」


その言葉に、近藤はビクリとして視線をあげる。


「…はい。大人げなくてすいません。」


「じゃあ、演技じゃなくて本気だったんですね?」

「は、はい……。」


大の男が、先生に叱られ白状する子供のように、上目遣いで本音を語りだした。
その様子を見て妙はクスリと笑う。
近藤は顔を紅らめた。


「しょうのない人ね…。勝手に嫉妬して、えらく大胆なことしてくれたけど…。」

妙は近藤のいる窓際にゆっくり歩いてくると、彼の隣に立った。










「助かりました……ありがと。」



月明かりの中、妙の優しく微笑む顔が浮かび上がった。

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