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□紅い河
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「うあぁぁぁ!」
断末魔の叫びが、そこに轟いた。
目の前の男が力なく水面に倒れ込む。
近藤が血の滴る刀を一振りすると、周囲の石垣にその血が飛び散った。
月が雲から顔を出し、近藤の影が花街の一廓にある小さな河の中に伸びていく。
【紅い河】
近藤はお上の命(めい)で、とある天人の護衛についていた。
しかし女と盛り上がり行方を眩ましたその天人に嫌気がさして帰路につこうとしたところ、宵の闇に紛れ、数十人の攘夷志士が近藤の前に立ちはだかった。
数分後、近藤の周りは動かなくなった人が折り重なり、足元を流れる河の水は紅く染まる。
「ふぅ…。」
紅い水面を見ながら疲れた面持ちで、深い溜め息をつくと、背後で人が鼻で笑うのを感じた。
振り返り見上げたその先に、月を背にした誰かが橋の上から近藤を見下ろしている。
女物の着物を纏い、片眼に包帯を巻いた…どうやら男のようだ。
表情はよくわからないが、こちらをみながらキセルをふかし、嘲笑している風に見える。
「何だい、兄さん?見てて楽しいもんじゃなかろう?早くいい女でも抱きに行きなよ。」
遠くでは女の客引きの声や酔いどれた男の笑い声がした。
自分を見下ろす男は、声を発することなくジッとこちらを見ていた。
一息溜め息をつくと、近藤はその男に背を向ける。
脚にまとわりつく水を踏みしめ岸へ向かい歩き出し、刀を鞘に納めようとした。
しかし次の瞬間、再び抜刀して身をよじる。
キンッ!!
互いの刀が硬質な音を立てた。
橋の上の男が、近藤の抜刀した刃先にいる。
「どういうつもりだい、アンタ?」
やはり男は声を発しないが、明らかに嘲笑していた。
「俺を恨みに思うヤツはごまんといるが、アンタもその類い?まいったな…。」
「恨み?俺が恨みに感じるのは、何もてめぇだけじゃねぇよ、近藤。」
近藤の目尻がピクリと動く。
2人して一歩も怯まず、刃はギリギリと音を立てる。
「俺はただ…この世界を壊したいだけさ。」
片眼から放たれる殺気に満ちた眼光に、近藤は疼きを感じた。
「……?…お前、まさか鬼兵隊の高…杉?」
一呼吸おいて2人は互いに離れ、刀を構え直すとどちらともなく脚を踏み出し、刀を付き合わせる。
その音が水を弾かせる音と共に、河の中で激しく響き合った。
どれくらい剣を交えただろう。
両者、水なのか、汗なのか、濡れ鼠の如く全身を湿らせ、それでも互いの気迫と殺気は落ち着くことを知らず、鋭い眼光で睨み合っている。
風が河を吹き抜けた瞬間、高杉が一歩を踏み出し、それに合わせ、近藤が一歩引いた。
その時、近藤は河に倒れている攘夷志士に足を取られ、よろけた。
高杉はその隙を見逃さず、近藤の胸元を狙い刀を一突きする。
やったか…?
高杉は布を突き抜ける感覚を感じた。
が、それが実体でないことが直ぐ様わかると、表情を歪めた。
刀の先で真選組の隊服がはためく。
近藤は肩にかけていた上着を残し、しゃがみこむと高杉を蹴り飛ばした。
近藤の隊服を刀の先にはためかせながら、宙を舞い、浅い水面に盛大な水しぶきをあげ、高杉は倒れ込んだ。
「ハァ…ハァ…。水も滴るイイオトコだな。」
「けっ、さすがに局長殿ともなると簡単じゃねぇな。」
近藤はゆっくり高杉に近づく。
ギリッと近藤を睨みつけ、高杉は隊服の刺さった刀を近藤に向けようとした。
近藤はそれを左脚で蹴り、水中に押さえ込む。
そして左手を差し出した。
「なんのマネだ、てめぇ?」
「水遊びにはまだ早ぇよ。風邪ひかないうちにあがろうぜ。」
互いの視線が交差する。
近藤は口の端を上げた。
「俺なんか、斬ったって。世界は変わらねぇよ。」
それを聞いて、高杉もニヤリと笑った。
「てめぇを斬っても、変わらねぇことは百も承知だ。」