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□月見酒
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…忘れ物を届けるなんて…自分の人の善さに呆れてしまう。
不本意な場所へ足を運んでしまった自分に心底後悔した。


「あ、姐さん!」

門前に立つ名も知らない殿方2人に、馴染みたくない愛称で呼ばれる。
言い返すのも面倒になり…。


「ゴリラ、いる?」

きつめの口調で言ってやる。


「あ、局長でしたら…今はちょっと…。」

「いるの、いないの?私、急いでるんだけど…。」



「いるよ…。」

不意に奥から声がかかり、嗅ぎなれた煙草の匂いがする。


「あら、副長さん。」

「珍しいな…なんか用なのか?」






【月見酒】





「忘れ物を届けに来ただけよ。」


握りしめていた刀を見せる。

「あぁ…そうか。すまなかったな。」

「本当に、よ。全くどこまも迷惑な男ね…。」



ニコチン中毒に刀を渡そうとした時、屯所の一室から物を破壊する音とそして叫び声が響いた。


「なんなの、あれ?」


隊士たちは俯き、ニコチン中毒は視線を反らした。


「なんなの、あれ?」


私は声にやや怒りをこめて、再度尋ねなおした。

どうあっても聞き覚えのある声だ。
でも誰一人、その現場に向かおうとしない。


「…なんでもねぇよ。」


ニコチン中毒は素っ気なく応える。


「何でもないはずないわ。あれって、ゴリラの声よね?あの人らしくない感じにとれるけど…?」



「いいんだよ、今は逢わない方がいい…。」


「…?おっしゃってる意味がよくわからないわ。」

「今の近藤さんは…どうにもできないんだよ。」

「はぁ?それでも貴方たち仲間なの?」

「うっせーな。それができたら俺たちだって苦しまねーよ!」


確かに皆、浮かない顔をしている。
あれだけ信頼厚い彼だ。
皆が放っておくはずもない。
でもそれができないって…。


「そんなに言うんなら、アンタ、見てくるといい……。」

意味有り気な面持ちで、副長さんは私を見る。

噛みついた私も引くに引けず、ゆっくりと局長室へ足を進めた。








あまりに静かだ。
先ほどの騒音とうってかわり、局長室に近づくにつれ、物音一つせず、人の気配も消えた。


まさか、ゴリラ…。



気がつくと局長室の前まで来ていた。
開けるのをやや躊躇ったが、ゆっくり襖を開けてみる。



視線の先には縁側に座りこちらに背を向け座っているゴリラ。



なーんだ、生きてるじゃない。



私は安堵した。
が、次の瞬間、部屋の中を見て唖然とした。
物が散乱し、畳が見えないくらい破られた書類が散らばっている。
服も布団も方々に点在し、よく見ると血が付着しているところもあった。
力一杯物を叩き壊した痕もある。
先ほどの騒音がこれであったことをあらためて認識した。




人の気配に気づき、ゴリラがピクリと動く。





「誰だ…トシか?」


片膝を立て、傍らの酒を煽り、よく見ると煙管をくわえ紫煙を吐いている。



近藤さん…?




「いつも言ってるだろ、飯はいらねぇって。今は誰とも逢いたくないんだ…独りにしてくれ。」


あの穏やかな漢からは想像もできないような台詞だ。
しかもその声のトーンは氷のように冷たい。



瞳の前にいるのは、明らかに太陽みたく暑苦しいいつものゴリラではない。
何かに傷つき、疲れきった近藤勲だった。



酒を煽り続け、時折紫煙を吐きながら背後にいる私を無視し、1人きりの宴は続く。






「今日も死に損なったよ…隊士はあんなに傷つき、倒れてったっていうのに…。」

彼は心なしか苦笑した。





重責の上に立つ故の彼だけの苦悩。
今までも知らなかったわけではなかった。


私はゆっくり歩みを進め、散らばった書類を踏みしめると、落ちている隊服を拾った。


その音に近藤さんはまたピクリとした。



「トシ、頼むから独りに…。」



ゆっくりと彼の顔がこちらを向こうとする瞬間、私は背後から隊服の上着を肩からかけ、その背中にそっと顔を埋めた。
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