短編集

□君は夜風
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さらりと風が吹いた。 
貴方の髪を微かに揺らす夜風。

いつもは後ろで束ねられている黒髪が、解かれて貴方の輪郭を隠している。

縁側に腰掛け、涼を取っている貴方。
額に掛かり、瞳も半分隠した黒い絹糸を。
貴方の綺麗な指が無造作にかきあげる。

その様(さま)を。
私は見つめていた。

「…芹菜?」

黙っていたから擦れている低い声。

「どうかした?」

そのビロードの様に心地よい声が、視線に気付き私に問い掛ける。

「…髪が…」

私も黙っていたから。
声が乾いている。

「髪が下りてるルイって、凄く…」

凄く。
何だって言おうとしたんだろう、私。

「………」

言葉を見失い、私は再び黙り込んだ。
蚊取り線香の匂い。
藍色に沈む世界が、昇る白い煙りに揺れる。
どこかで鳴き始める蝉。
その声に息を潜めた私を、ルイは手招きした。

「…なに?」

もっと側に寄れる事にときめきながら。
蟻が砂糖に集(たか)るみたいに私は彼に近づいた。

と。

ぐいと腕を引かれて、更に引き寄せられる。

とすん。

そしてルイの膝に落下。

ぽん、ぽん。

勿体無いくらい優しく。
貴方の指が頭を叩く。
愛しげな動作の後で。 
その指先は、私の髪を梳(す)き始めて。

「…やわらかい髪…」

呟きながら。
貴方が顔を近付け私の髪に口付ける。
ルイの長い指に絡む黒髪が。
自分のものだと思うだけで、どうしようもなく疼く心の底。

「芹菜の髪…誘ってる?」

下心を見透かす様に。
彼は私を見下ろし、一房を唇にくわえた。
細められた目の艶めいた輝き。
それだけで…
私は。


「…髪だけは素直なの」


昂(たかぶ)る蝉の声。
短い時を鳴き尽くす彼らに煽(あお)られて。
私は告白してしまう。 

誘いたい。 
誘われたい。
欲しい。 
目の前に在る、この魅惑的な黒い影が。

「……つまり、いいってこと?」

分かっている癖に尋ねる貴方は意地悪。

「じゃあ遠慮無く」

だけど天使。
髪を絡めたままの指が私の顎を捉えた。
するとルイの黒髪が、さらっと私の頬に落ち掛かって。
唇に甘い吐息を感じた。



君は夜風。
私の砂糖。



           2010

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