物語の続きを
□第一章
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「昔々あるところに、ピンクのドレスを着た、かわいいお姫様がいました。お花を育てるのが好きな、優しいお姫様でした」
ぱらり――月明かりにおぼろげに照らされた細い人影が、手に持った小さな本を捲る。
「お姫様は王様のお父さんと、お妃様のお母さんと、幸せに暮らしていました」
ぱらり――あまりに小さく微かな音は、しかし風の音とは交じり合わずに、空気に静かに溶けていく。
「けれどある日、お姫様は悪いドラゴンに捕まって、お城の一番上の部屋に閉じ込められてしまいました」
ぱらり――絵本と思しき本の頁が、闇夜に透けるように浮かび上がる細い指に捲られて。
「ドラゴンはお姫様があまりにきれいなので、お嫁さんにしたくなったのです」
ぱらり――本の絵に、読み上げる声が優しく滑る。
「その噂を聞いてドラゴンの住む城に向かったのは、隣の国の王子様でした。勇敢な王子様は、ドラゴンに戦いをいどみます」
ぱらり――頁は撫でるように捲られていく。
「そしてとうとう火を吐くドラゴンに勝って城の階段を登り、お姫様を助け出したのです」
ぱらり――残り少なくなった物語を、いとおしむように音は優しい。
「お姫様は王子様のことが大好きになって、王子様もお姫様を大好きになって、二人は結婚しました」
ぱらり――最後の一枚を、まるで硝子細工を扱うように丁寧に、捲った。
「そして、ずっとずっと、幸せに暮らしましたとさ。――おしまい」
ぱたり。小さな本が閉じられた。
この瞬間が、あまり好きではなかった。置いていかれるような、そんな寂しい気持ちにさせられるから。おしまい、のその言葉に、どこか突き放すような響きを感じるから。
ひとつの短い物語を終わらせた人影は、日焼けも痛みもなく大事に扱われてきたのだと一目でわかる絵本の表紙に指先で触れる。その仕草は、そこにあるものを確かめるかのように。
それからその本を、ぎゅっと胸に抱きすくめた。それは、逃がさないようにするためにも、留めておくようにも、どちらにも見えて、どちらにも思えない、そんな仕草。
けれど人影はすぐに、ぴくん、と空を仰いで腕の力を緩める。そのまま膝の上に本がそっと下ろされた。
「……?」
誰かに呼ばれたかのように、ふらりと立ち上がる。ただその前に、絵本はそっと、人影が座っていたその位置に置かれた。
まるでこの場所が定位置であると主張するかのごとく、本はその位置に。
人影は、声をかけた。
「――ちょっと、行ってくる。なんだか呼ばれているような気がするから」
言葉に応える者はいなかったけれど、人影が浮かべた笑みはふわりと名残惜しげにその場に残って、一面のただただ赤い色に吸い込まれるようにして、消えた。
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