物語の続きを

□第八章
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「うわっ、マスターこれ、いいお嫁さんになれますよ!」



商人が感動の声を上げた。

場所は当然、町唯一の酒場で。

理由も当然、カウンターの上の皿に乗った、ピクルスで。



「美味しい……! こんなに美味しいピクルスは、生まれて初めてです!」

「いやあ、さすがに口が上手いねえ。あんまり褒めたって、ピクルスのおかわりくらいしか出せないよ」

「そうやってほいほい無料でおかわり出すから赤字経営なんですよ」

「いいんだもん。お金が無くなったりして困った時にはみんな助けてくれるからそのお礼なんだもん」

「理由と原因に終わりがないのはともかく、その口調はやめましょう」



やはりタダでサービスしてくれたミルクをちびちびと啜りながら、落ち着いた口調でダージュは言った。ちなみに、リンゴジュースは朝に来ていたリリスで完売したらしい。

商人を連れてきたらマスターは快く了解、どころか大喜びで迎えてくれた。マスターが一頭だけ飼っているマスターの牛――名を『ピクルス』――の住んでいる小屋に商人の馬を連れて行った、その短い間でこんなにも仲良しに。

ちなみに牛の住居に一緒に並べて入れられた馬は納得のいかなさそうな憮然とした表情をしているように思えて、少し笑った。

するとその時、店の奥の方のテーブルから酔っ払ったオヤジの声がかかる。

そんなに裕福でも酒を飲んでいられる余裕もないはずのこの町なのに、夜になればこの酒場は必ず満席になる。それは今夜も変わらない。

それは会計が飲んだ半分の値段で済むことと、何よりマスターの人柄のためなのだろう。



「マスター! 酒とオニオンのピクルスおかわりー!」

「はい、まいどー! それじゃあ商人さん、ゆっくりしてってくださいね」

「ありがとうございます」



マスターはカウンターの向こうで窮屈そうに方向転換すると、心優しき熊のようにのっしのっしと客の元へ向かった。

商人がピクルスを詰め込んだ頬をもごもごさせながら言う。



「本当に楽しいところだね、ここは。来てよかったと心から思うよ。それで、僕に聞きたいことってなんだい?」

「楽しんでる割に、随分と気が早いですね。誰も取らないんだから、なにも飲み込むより前に話し出さなくても」



やはり冷静に言う。

商人ははっとして、ごくんと音をたてて口の中のもの嚥下すると、コホンと咳払いをして真面目くさったふうを装った。



「ほら、こんなに素敵な宿を紹介してもらって、だんまりなんてできっこないからね。君も僕が酔っ払う前に話を聞いておかないと納得いかないだろう?」

「それは……確かに」



ちらりと後ろの方を見やる。

まだ宵は始まったばかりなのに最早でろんでろんに酔っ払ったオヤジたちが、酒場のマスターのくせに酒が飲めないマスターを、半ば無理矢理宴会に参加させていた。

こつん。

木のコップがカウンターに置かれる音で、商人の方に目を戻した。

その表情に酔いは全く見られない。



「じゃあ、何から聞きたい? 僕も、君が何を聞きたいか教えてくれないと、何を話せばいいものやらわからないからね」

「なら……いくつかあるんですけど、じゃあまず最初に、石像の広場と呼んだあの場所に、今はない石像のことを」

「石像……ああ、そういえば、聞いていたのと違った数少ない点だったから驚いたよ。でも、確かにそんなことを言った気がするけど、よく憶えてたなあ」



褒められたのは確かなはずなのに素直に喜べず、ダージュは肩を竦めただけで話を戻した。



「俺の記憶では、そんなものが立っていたことはありませんでした。その石像がどんなものかは聞いてますか?」



商人にとってはさりげない記憶のようで、再び記憶のひきだしを順々に開くためうーん、と首を捻る。

癖らしいとわかって見守った。

けれども今度は妨害もなくて、そう時間もかからずに商人はひきだしを閉じる。



「それはあまり。ただ、男性の像だったってことだけだね。ハンサムか不細工かは聞いてないよ」

「いや、そこまでは求めてないですけど」



そう?と商人は首を傾げた。

ダージュはこっそりと溜息を吐く。

どうしてこうも、自分の周りにはつっこんであげなくてはいけないボケ側の人間が多いのだろう。



「でもさ、そんなに石像が気になるのかい? 単に、老朽化したりして壊してしまっただけかもしれないのに」

「まあ、その可能性もありますけど。でもさっき貴方は、このあたりで戦争が起きていたと言っていました。それに、お父さんからは小さな国と聞かされて来たって、言ってましたよね」

「そうだね。……ちなみに、僕も今は本当だけれど知らない事実を知る機会を失ってしまったから、わからないことには答えられないけれど、それでもいいのかい?」



構いません、とダージュは簡潔に答える。

商人の慎重な物言いに、むしろ確信を掴めたような気がした。



「つまりここは昔――町ではなかった。戦争を起こせるくらいの権力者……収める者がいた、国だったってことでしょう? 石像は、その権力者のものだったんじゃないかと思うんです」

「なるほど……続きがありそうだから、よければ続けて。君の推理は?」



商人の唇が弧を描く。

どこか探るように光を帯びた瞳が、商人としての本能を感じさせた。

その目を睨み返すような勢いでじっと見返して、ダージュは答える。

なんとなく、押し負けるのは悔しかった。



「けれど今、その石像は跡形も無い。さっき貴方が言ったとおりに古くなって壊されたか――もしくは、像が壊されるほどの出来事があったんじゃないですか? 例えば……戦争での敗北、とか」



戦争、とは言わない。

戦争での敗北。

商人の右の眉が微かにぴくりと動いたのを、ダージュは見逃さなかった。



「……約束でもあるし、答えるには答えよう。けれどその前にひとつ、こっちからも聞いていいかな? それを知って、君はどうするの? 君にとって知識とはなんだい?」

「……」



なんとなく、思ったのはこれは商人が自らに問い続けていることではないかと。

商人にとって、知識とは必需品。けれどもそれは、時としては諸刃の剣となる。

知識が真実であるか虚言であるか、判断して活用するのは本人の経験と、やはり知識だからだ。

ダージュは一つ呼吸してから、それに答えた。



「俺たちは、この町のことに対してあまりに無知だ。事実をあまりに知らない。最近初めて、知らないことは悪いことではないけれど、怖いことだと少し思ったんです」



最近初めて、ソフィとグラヴェルという二人の『吸血鬼』に会って。

吸血鬼だ吸血鬼の奴隷だと言われていたその二人の正体、その事実を知った時から、少しだけ。

繰り返すのは嫌だと思うくらいには。






「知らないせいで誰かを傷つけてしまうなら、いっそ何も喋らない方がいい。国や町を巡るために色々な知識を蓄えてる貴方なら、俺が必要としてることも教えてくれるような気がしたから。俺の見立て、間違ってませんよね?」



仕返しか何かのように、探るような目を向けてみせる。

商人は数秒間、ダージュの目をじっと見つめていたけれど、言葉が口からでまかせではないということを知識からか判断して、苦笑するように小さな息を吐いてから頷いた。



「さっきの言葉通り僕は像のことについては詳しく知らないから、王国が滅びた時そのシンボルも破壊されたのだ、って断言することはできないけれど……きっと君は、同世代の少年で群を抜くほど聡い子供だね」

「……ありがとうございます」

「誇っていいと思うよ、その聡明なところ。――じゃあ、約束だ。僕の知ることを話そう。きっと父も祖父らから教わって、僕が父から教わった、できる限りをそのままに」

「お願いします」



酒場の賑わいが遠ざかる。

商人の手がほんの少しだけ、話の大切さを保つように酒の僅かに残ったコップを遠ざけた。
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