物語の続きを
□第四章
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「そうだ。前の質問、答えるね。はぐらかされたような気分になったでしょ? 私うっかり、ちゃんと答えるの忘れちゃってたから」
「…何のことだったかな」
唐突に言い当てられて、どきりとする。
けれどもそれを認めるのがなんとなく悔しくて、ダージュは誤魔化すように紅茶のカップに口をつけた。
時は、初めて吸血鬼の正体を知ってから、一日後の深夜。場所は同じ、石のタイルのテラス。
もちろんグラヴェルが控え、紅茶がいい香りを漂わせ、皿の上のビスケットが香ばしい。
『でもさ、どうしてこんな時間に起きてるんだ?』
初めてのお茶会でうっかり口を出た不躾な質問。
まさか、ソフィがそれを憶えていたとは思わなかった。
ダージュは中身の残り少ないジャムの瓶に視線を逃がしていたが、ソフィの瞳は納得した色合いにはならない。
「誤魔化されないわよ? 私、確かにドジではなくて不器用だけど、意外と鋭いんだからね?」
それは知ってます、という言葉はビスケットと一緒に口の中に押し込んだ。
ソフィは冗談のつもりらしいから、自分が何かを言うと皮肉で冗談を認めるようで、それがなんとなく嫌だったから。
観念して、続きを問うた。
「なら……実際のところは? 吸血鬼の魔女は関係ないんだろ?」
「うん、それがね、なんて言うか……外に出ないわけじゃないんだけど、お買い物とかは全部グラヴェルさんに任せているの」
「任されております。ちなみにソフィエル様、そろそろ食費が底をつきかけておりますが、いかがなさいますか?」
「そうねえ……無くなったら考えましょ」
小動物のようにまくまくと、そして同時にとても幸せそうにビスケットを齧りながら答えるソフィ。
ついでに続けられた方の会話はほのぼのと交わすものではないような気がしたが、本人たちがそれでいいらしいから、それについては黙っていた。
「それより、本当にこのビスケット美味しい! 前に作った時よりパワーアップしてない?」
「左様でございますか?」
「食べてみたら絶対わかるよ。グラヴェルさんもせっかく自分で作ってるんだから、どう? もう本当に、すっごく美味しいんだから」
「ありがとうございます。しかしわたくしめは恐れ多くも、味見をしておりますので。どうぞ、美味しいと思ってくださるのなら、心ゆくまでお食べくださいませ」
そう、と少し残念そうに、けれどやはり美味しそうに、ソフィはビスケットをさくりと齧った。
そんな二人を見ていて、けれど、やはり頭をもたげる疑問。
「なあ、聞いても大丈夫か? 買い物までグラヴェルさんに任せてる理由」
知る限り、少なくともダージュの周りの女性は割りと料理が好きだった。
母親はシチューが特に得意で、いろいろなアレンジを加えて作り溜めしても飽きないようにしてくれる。
リリスはお世辞にも料理上手とは言えないが、たまに手伝って作ったのだという料理を一口ダージュに毒見もとい味見させてくれるのだ。
だから材料も、自分で選んで買うくらいにはこだわっている。
ダージュの母とリリスは仲がいいので、ダージュは二人分の荷物持ちとして連れ出されることもしばしばだった。
女性とはそういうものではないのか、そういった概念があったために、ダージュは立て続けに質問を繰り出すことになったのだ。
ソフィはそのままのテンポで答える。
「私、お料理苦手なの。グラヴェルさんは逆にお料理すごく上手だし、そうすると自然にお買い物も頼むことになっちゃって」
「ああ……妙に納得」
ごくごく自然に手が伸びてしまっていたビスケットに目を落とす。
微かにシナモンの香りを纏うその甘すぎない美味しいビスケットは、有り余る職人技を感じさせた。
――でも。
「料理、できないんだ」
にやりと笑う。それはそれで、妙に納得できてしまって。
あっ、とソフィは口を手で覆ってグラヴェルを見た。
救いの目を向けられたグラヴェルが、すました表情で主人の代わりに答える。
「以前に一度、ソフィエル様に夕飯のパンをお任せした時は……」
「……時は?」
ダージュは、ず、と紅茶をひと啜りで続きをせがみ、
「――厨房が吹き飛びかけました」
「……え?」
予想外、というより予想以上の事実に、笑ってやろうとした気分を忘れさせられた。
ソフィは恨みがましそうに泣きそうな表情で使用人を見上げる。
「グラヴェルさんの意地悪……」
けれど、その見上げられたグラヴェルを見て、ダージュはまたもや驚いた。
「いいではないですか、ソフィエル様。人には得手不得手というものがございます。ソフィエル様は、ソフィエル様にしかできないことを、確かにお持ちなのですから」
その主人を見る目の、まるで小川の穏やかなせせらぎのようにやわらかいその光に。
笑顔と呼ぶにはあまりにさりげないものかもしれないが、それでも確かな優しさを感じた。
「でも……お料理もお裁縫もお掃除もできないなんて、女としては悔しいなあ」
一瞬とても嬉しそうに表情を緩ませたソフィだが、思い直したのかぷうっと頬を膨らませ、不満げに言って紅茶を啜る。
紅茶ひとつにしてもすごく美味しいし、と複雑そうな吐息を漏らした。
彼女の中では割と深刻そうなので、とりあえずフォローめいたことを言ってみる。
男でよかったと心底思いながら。
「まあまあ。グラヴェルさんが特別すごいだけだって。俺も料理はしたこともないし、できないと思うし」
「お褒めに預かり光栄です。ですが料理の味の良さはわたくしめの力などではなく、ここでお料理やお飲み物に使う水に、特別美味しいものを使用しておりますゆえ」
言って、グラヴェルは右手を添えたポットから、特別美味しい水で作った紅茶をダージュのカップに注ぎ足した。
どうも、と言って飲めば、やはり美味しい。
聖水でも使っているんじゃなかろうかとふと思って、馬鹿らしいと頭の中で切り捨てた。
「で、でもね、お料理下手なのは私のせいじゃないわ。これは、お母さん譲りなの」
「まだ言ってるし」
「ま、まだって何よう。本当だものっ」
身を乗り出したソフィの目の前の子供っぽい表情に思わず吹き出した。
あまりに必死な様子に笑いを噛み殺す。
「なら実際、グラヴェルさんから見てはどうなんですか? ソフィは母親似で?」
そうですね、とグラヴェルは考えるように顎に左手を軽く添えた。
けれども考える時間はほとんどとらずに。
「あくまでわたくし個人の意見といたしましては、本当にお二人はそっくりで――最近など、ますます似てこられたように感じます。ソフィエル様の母君、ライラ様も、お料理はあまりお得意ではございませんでしたね」
「へえ、例えば?」
「例えば、お料理に一つまみのはずの塩の代わりにうっかり小麦粉を大量にお入れになったり、果物を切ろうとしてうっかりナイフを鍋に落としたり、パイを焼こうとしてうっかり厨房を吹き飛ばしかけたり――でしょうか」
うっかりで済めばいいのだけれど、とりあえずそれは確かに遺伝だな、と言葉にはせず納得する。
ちらりと見ればどうやら同じようなことで身に覚えがあるらしく、母とそっくりの娘のソフィは居心地悪そうに小さくなってちびちびと紅茶を舐めていた。
けれど。
「――ん……?」
ふと気付いて、すっと体が寒さを感じたのを自覚する。
おかしいな、そんなはず、と思いついたことを否定する言葉がふらふらと頼りなく頭の中を彷徨った。
今、グラヴェルはなんと言った?
厨房を吹き飛ばしかけ――違う。
ナイフを鍋に、塩の代わりに小麦粉――違う。