犬タロの作文

□―鳥籠の中で…――
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「…少し顔色が悪いね…大丈夫かい?」

心配そうな表情で顔を覗き込まれて、思わず一歩後ろに下がってしまった。
それを誤魔化すように、シンジはにこりと引き吊ったような笑顔を浮かべる。

「…平気。大丈夫だよ」
「そう、ならいいけれど…」

そんなシンジに、少年は怪訝そうな顔をしたがそれ以上の追求はして来ない。
それに少し安心して、シンジは肩から下げていた鞄の中から1枚の楽譜を取り出した。

「…今日はね、新しい楽譜を持って来たんだ。ショパンの『ノクターン』っていう…」

そして再び、その造りものの様に美しい顔を見上げた瞬間…一筋の涙が頬を伝った。

「………」

パタリ…と落ちたその雫石に少年の血の様に紅い瞳が、まるで痛みに耐えるかのように細められる。

「あ……の、素敵な曲…だよ?たぶん君も気に入ってくれると…」

流れた雫石を慌てて拭い…それを誤魔化すように笑い掛けると、一粒の涙に濡れた目尻を白い指先でそっと撫でられた。

「…また、泣いているね…」
「…っ」

緩やかに触れる指先は、そのまま涙の跡を辿り…そして唇へと移動する。

「…どうして…君は此処に来る度に泣くんだい?」
「………」

その問いに…無言のままシンジはうつ向いた。
うつ向いたまま何の答えも示さないシンジに、少年は再び静かに尋ねる。

「僕のせい…なんだろう?」

何の抑揚もないその声にシンジの瞳が揺らいだ。
少年はシンジの少し震えている頬に右手を滑らせ、上向かせると微かに濡れた瞼に口付ける。


「…僕は何者なんだ?」


此処で生まれたヒトの形をしたもの。
後は知らない。
何も知らない。

「教えて…」

怖がらせないように優しく。
彼がこれ以上傷付かないように、穏やかに問掛ける。


答えて…
僕は君の何…?


生まれた時から…いや、目が覚めた時から此処にいた。
この姿で、何も記憶が無いまま。

そんな僕を、目の前にいる彼はいつも悲しい瞳で見つめていた。
名前を呼ぶと、嬉しそうに笑ってくれるのに…それは一瞬で…。

その刹那…光り輝いた瞳はその瞬きを止め、悲しみに彩られた幼い表情を飾る。


何故?


僕は、君の笑顔を見たいのに…





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