犬タロの作文
□special night
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まるで凍えてしまいそうな寒さにぶるりと体が震えた。
両手に大きな荷物を持って足早に歩くボクの息はもう真っ白に染まっている。
すっかり飾り付けられたこの街で擦れ違う人達も、口々に"寒い寒い"と洩らしていた。
けれど、横目に見えるその表情はいつもと違ってどこか柔らかくて幸せそうにも見える。
今日が特別な日だからかな?
特別なヒトと過ごす大切な日だから?
そんな事を考えたら、あんなに寒かったはずなのに胸の奥がぽかぽかと暖まっていくように感じた。
今日はクリスマス
特別な日
特別なヒトと過ごす…大切な日
『special night』
すっかり通い慣れてしまったその建物の見上げた窓に明かりは灯ってはいなかった。
少し前に貰ったばかりの合い鍵を使ってドアを開けると、手にしていた荷物を置いてふぅと小さな溜め息をつく。
「…カヲル君…いつ帰ってくるかなぁ…」
持ち主が居ないこの部屋は何だかガランとしていて落ち着かない。
なんの変哲もない、至って普通のワンルームマンション。
1人で暮らすには充分な部屋。
1人で待つには…広い部屋。
必要な物など何一つ存在しないその部屋のベッドに腰を下ろして、腕時計の文字盤を見るとその短針は既に午後6時を指していた。
「確か…5時までだったよね」
彼が良く顔を出すようになったという楽団が行うクリスマス演奏会。
本当ならボクも行きたかったが…生憎の用事(ボクというかアスカの用事に付き合わされた)のためどうしても行けなかった。
「…本当に行きたかったのになぁ」
なにせその演奏会に誘われて以来、カヲル君はバイオリンにすっかり夢中だった。
あまりの熱中具合にボクよりバイオリンの方が大事なんじゃないの?、と思わず拗ねてしまう程に。
(だってすごく楽しそうに弾くんだもの…)
(br)