バルカローレ ―水平線の狭間の物語―

□トゥーレ編
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 聞きたいことは山のように  ―里はずれの小屋―




ふわふわと揺蕩う意識の中で、アメリアは聞き慣れない声を聞く。
包み込むように温かいのに、どこか悲しげな声。


 ――また、繰り返すの?

(え?)


唐突な言葉に、アメリアの意識は疑問を抱いた。


 ――また、何もできない。

(またって、どういうこと?)

 ――傷つけたくないのに。戻りたいだけなのに。

(戻りたい? 何に?)

 ――強く優しい子。どうか、"私たち"にならないで……

("私たち"って一体……)


哀願するように告げられた祈りの言葉を最後に、正体不明の声は遠ざかる。


(ちょっと、待っ……)




「ちょっと待ちなさいよ!」


叫びながらアメリアは飛び起きた。


「アリィ! 良かった、気が付いて……」


安心したせいで溢れた涙を拭うこともせずにライリーはアメリアに駆け寄った。
アメリアが困惑しながら周囲を見渡すと、見慣れない室内が目に入る。


「アメリアどの、お久しゅう」


声の方向を向くと、エルフのヴェリタスがいた。
ここは彼の小屋の一室なのだろう。気絶している間に運び込まれたようだ。
セクトルとチェイスもその場におり、椅子から立ち上がってアメリアの様子を見ていた。


「アメリア。気分はどうですか?」

「別に何ともないけど……」


セクトルにそう言いながら、ここにいるはずのもう一人の人物を探す。
探し人はすぐ隣のベッドにいた。
アメリアの目の前で倒れたリトルは、毛布に包まって穏やかな寝息を立てている。


「リト……」

「そちらの子は魔術の使い過ぎだの。すぐにでも目を覚ますだろうから心配はいらん。アメリアどの、これをお飲み」


アメリアはヴェリタスから受け取ったカップに口をつけて中の水を飲んだ。
喉を通る清涼な水は、体の隅々まですっきりさせていくようだった。


「ありがと」

「礼には及ばんよ」


人のよさそうな笑みを浮かべるヴェリタス。
以前来た時にあった足の怪我は癒えているようで、アメリアからコップを受け取ると部屋から出て行った。


「アリィ、本当に大丈夫なの?」


ベッドに座ってアメリアの顔を覗き込むライリー。
必死な様子から、どれほどアメリアを心配していたかがうかがえる。


「ええ、大丈夫よ。それより、あれからどうなったの?」


ライリーの頭を乱暴に撫で、アメリアは尋ねる。


「そうですね、まずはここに来た経緯でも説明しましょうか」


セクトルが口を開き、アメリアが気を失った後の状況を淡々と説明していく。

アメリアが倒れた後、セクトルとチェイスは形勢不利と判断し、グレイスにその場を退くよう要求したらしい。
グレイスの方も防戦一方だった上に戦意喪失したアンジェリクがいたことからそれを受け入れ、アンジェリクと共に撤退したという。
その後、気絶したアメリアとリトルを抱えながらヴェリタスの小屋へと向かって、今に至るようだ。


「そうだったの。世話かけたわね」

「ラルム術を使わされた反動が大きかったのでしょう。無理もありません。この子にも無理をさせてしまいました」


セクトルは労わるようにリトルの頬を撫でた。
それに呼応したように、リトルの瞼がぴくりと動く。


「「リト!」」


アメリアとライリーが呼ぶ声に反応して、ゆっくりと目が開く。
深緑の瞳はぼんやりとセクトルを見ていた。


「せくとる……?」

「ええ、私ですよ」

「ラルムの子を、皆を、ちゃんと守れた?」


気を失ってもなお周囲を案じるリトルに、アメリアは心の中で驚いた。
セクトルは優しく笑い、毛布ごとリトルを抱き込む。


「ええ、大丈夫です。あなたのおかげですよ、リトル」

「……まもれて、よかった」


少しだけ表情を和らげるリトル。アメリアとライリーの表情も緩む。
セクトルはリトルを離すと立ち上がった。


「ではヴェリタスに水でももらってきましょう」

「いっしょにいく」

「はは、分かりました。では部屋を出てゆっくりしましょうか、リト」


相変わらずセクトルにべったりのリトル。
起き上がったリトルを見て、アメリアも苦笑しながらベッドから出る。


「じゃあアタシもそっちに行くわ。寝たままで話すのって落ち着かないし」

「では、そちらで話をするとしましょうか」


"話"という言葉にアメリアの表情が引き締まる。
自身に降りかかった事態の深刻さに、否が応にも身構えてしまうのだ。
緊張気味のアメリアは、リトルの手をひくセクトルに続いた。
ライリーは不安そうにしてアメリアの後ろにくっついて歩く。
そのさらに後ろに黙ったままのチェイスが続いた。

寝ていた部屋から出ると、何やら作業しているヴェリタスの姿と、見覚えのある内装が目に入る。
こちらは旅の途中でアメリアたちがヴェリタスと対面した部屋だ。
部屋は以前のまま変わった所はない。


「もう起きて大丈夫かの?」


柔和に微笑むヴェリタスが、アメリアとリトルに尋ねる。
アメリアはひらりと手を振ってみせ、リトルはこくりと小さく頷いた。


「こちらで話をさせていただいてもかまいませんか?」

「構わぬよ。ゆるりと過ごすといい」


頷いたヴェリタスは、全員に席を勧めると手際よくお茶の準備をする。
配られた温かいお茶からは、ほっとする優しい香りが漂っていた。
アメリアは礼を言って一口飲む。緊張して張りつめた心が解れていくようだった。


「それにしても、お二人とも無事に目覚められて良かった。そちらのチェイスどのは、アメリアどのを背負ったままとは思えぬ速さで、血相を変えてこちらへ駆けつけたのだからな」

「ごほっ!」


自分に話が及ぶと思っていなかったチェイスは、飲んでいたお茶を思い切り喉につまらせ咽た。
彼の慌てようと、男性陣から否定の言葉がないことを鑑みるに、それは真実なのだろう。


「……悪かったわね、世話かけて」

「いや。気にするな」


きまり悪そうなアメリアに、チェイスもぼそりと返した。
何とも言えない沈黙を振り払うように、アメリアは咳払いをした。


「じゃあセル。アンタの話を聞かせて」


セクトルを見据え、そう切り出す。
彼の真意を確かめ、信用できるか否かを見極めるために。


「どれ、私も同席しても?」


ゆったりとした声で割り込んだのはヴェリタスだった。
しかし、これから話す内容は決して世間話などではない。
申し訳ないと思いつつ断ろうとしたアメリアだったが、セクトルがそれを遮った。


「それは智者として、ですか」

「ほっほ、そんな大層なものでは。ただ、知っていたいだけよの」

「……分かりました」


ヴェリタスの同席を了承すると思っていなかったアメリアは驚く。


「いいの? 結構深刻な話だと思うんだけど」

「ええ、ヴェリタスなら。彼は"智者"ですから」

「智者って?」

「歴史の語り手、とでも言いましょうかの。私は様々な時代、様々な場所の事実を識っておる。ゆえに智者、あるいは賢人などと呼ばれておる。なに、若人の話を聞くのは趣味なようなもの。その呼び名は大袈裟だとは思うがの」


アメリアの疑問にはヴェリタス自らが答えた。
可笑しそうに言うヴェリタスは、声のトーンを少しだけ下げて続けた。


「歴史を識り、伝えることこそ私の務め。ゆえに私は、どの国にもどの種族にも属さない。どのようなことを話そうと、あなた方の不利になることはせぬと誓おう」


少しだけ真剣な声音にアメリアたちも神妙な顔になる。
だがその空気を壊したのもまた、ヴェリタスの言葉だった。


「ほっほ、もの知りじじいの道楽とでも思っておくれ」


おどけたように笑うヴェリタスに、アメリア以上に緊張しっぱなしだったライリーの力も抜ける。
真剣さが抜けたわけではないが、ぴりぴりとした緊張感がほどよく和らいだ。



和やかなムードが漂った、その時。
外から小屋の扉を叩く音がした。
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