バルカローレ ―水平線の狭間の物語―
□トゥーレ編
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乗り込んだ先
目を焼くような強烈な光。
それは猛スピードでアメリアたちを空の国まで運んでいく。
やがて、以前も感じた何かを通り抜けたような軽い衝撃を受けてアメリアたちは空の国の地へと投げ出された。
五人を運んだ光は役目を終えると幻のように掻き消えた。
目の前に広がるのは、以前見た豊かな緑の風景。
人気はなく、木々が風に揺れる音だけが聞こえていた。
「……降ろして」
静寂の中ぽつりと言ったアメリアにチェイスは無言で従う。
アメリアは自らの足で立とうとしたが、すぐによろめいてしまいチェイスに支えられた。
「大丈夫か?」
気づかわしげなチェイスの問いかけに、アメリアは黙って手を振り払う。
鞘ごと抜いた太刀で自分の体を支え、何とか立っていた。
ラルムの力を強制的に引き出されたために体が言うことを聞かないのは確かだ。
だがそれ以上に大打撃を受けていたのは、アメリアの心だった。
空の国を滅ぼせという、予想だにしない王命。
これだけでもアメリアにとっては衝撃だったが、彼女をさらに追い込んだのは、信頼する仲間からの敵意。
彼を信じていた分だけその事実は心に突き刺さる。
「どうして……」
茫然として呟くライリー。
先ほどの出来事を受け止めきれないでいるのは彼も同じだった。
アメリアとライリーにとって、ブルクハルトは幾度となく頼り、支えられ、自分の弱さをも受け入れてくれた相手。
言葉で言い尽くせないほど大きな存在であり、だからこそ彼が敵に回ったことは二人の心を深く傷つけた。
「……セルは、知ってたの?」
長い沈黙を破ったのは、アメリアの堅い声。その疑問にライリーはハッと息を飲んだ。
思い出されるのは、ここに来る直前のこと。
あの出来事に際したセクトルの言動は、何も知らないにしては不可解な点が多すぎた。
セクトルを見据える彼女の目は鋭い。
厳しい視線を向けられたセクトルは、目を細めるとゆっくりと口を開く。
「私は全てを知っているわけではありません。ですが、語らなかったことがあるのは事実です」
「語らなかったことって?」
意図せず詰問口調になるアメリア。
幼いうえに素直すぎるライリーは例外として、アメリアはセクトル、そして彼のそばに立つリトルに対して疑心を抱いていた。
ブルクハルトに裏切られたことが、他人への信頼を大きく揺らがせたのだ。
アメリアは自然とライリーを背にして、セクトルと対峙するように立っていた。
ライリーは、不安そうにアメリアを見上げている。彼はこの展開にただただ怯えきっていた。
「……包み隠さずお話します。信じるかどうかはあなた自身が決めてください」
アメリアを真っ直ぐ見返すセクトルには、普段の飄々とした雰囲気はない。
しばし考え、アメリアは頷いた。
「分かったわ」
アメリアが了承したのを見届け、セクトルはリトルの手をとった。
「では一先ず、ヴェリタスの小屋へ行きましょう。長い話になりそうですから」
「ヴェリタスって……ああ、あのエルフの」
以前会った、年老いた親切なエルフのことを思い出したアメリア。
アメリアたちを見下すエルフの中で、唯一と言っていいほど対等に接してくれた相手だ。
色々とアドバイスをくれたヴェリタスのことを、アメリアはよく覚えていた。
(そう、あの時はブルックと一緒で――)
彼との思い出を、ぶんぶんと首を振って頭から追い払う。
(ダメダメ。今に集中しないと)
アメリアは自分に強く言い聞かせる。
そんなアメリアの陰から、ライリーがおずおずと顔を出した。
「あ、あのさ……。セル、前ここに来たときセルはヴェリタスさんに会ってないよね。何で知ってるの?」
ライリーの指摘にアメリアも気づき、目を見開く。
二人に疑いの目を向けられるセクトルだが、彼には動揺した様子はなかった。
「それも含め、お話しますよ」
今は何よりも情報が欲しいアメリアは小さく頷いた。
そんな彼女にチェイスが声をかける。
「オレも、行っていいか?」
遠慮がちに聞いてくるチェイスに敵意はない。
かといって敵対していた相手に対し簡単に心を許すこともできない。
「……いいわ。アンタにも聞きたいことがあるし」
散々悩んだ結果、利害の一致ということでアメリアはチェイスの同行を承諾した。
ほっとした様子を見せるチェイスから目をそらすアメリア。
意識を切り替え、足を踏み出そうとした時だった。
「ちょおっと待ってくれるかしら?」
唐突にかけられた、聞き覚えのある声。瞬時に全員がそちらを振り返る。
「ふふふ、お久しぶりねぇ。海底洞窟以来かしら?」
「あっははー、海の国から逃げてきたのー?」
振り返った先に立っていたのは、グレイスとアンジェリクだった。
「ねえねえ、故郷から追われるってどんな気持ちー? つらい? 絶望した? ま、アンジェには関係ないけど。いい気味!」
楽しそうに言うアンジェリクに、アメリアたちの表情は自然と厳しくなる。
「アンジェちゃん、その位にしておいて頂戴な」
「はーい、グレイスが言うなら」
たちまち大人しくなるアンジェリク。だが油断はできない。
以前二人と対峙した時アメリアたちは海の国へ逃げることができたが、今はそれができないのだから。
そのため、警戒心を露わに彼女たちに向き合っていた。
「あらあら、そんなに警戒しないで。あたくし達はお話をしたいだけなのよ」
臨戦態勢に入るアメリアたちを余裕たっぷりに見るグレイス。
「お話?」
「そう、お話」
訝しむアメリアに、グレイスはにっこりと笑ってみせた。
アンジェリクは不機嫌そうに沈黙を保っている。
「あなたたちがこちらに来たってことは、海の国から逃げてきたってことでいいのかしら?」
「……」
「答える必要を感じませんね」
黙り込むアメリアに代わり、セクトルが短く答えた。
その様子を見たグレイスは笑みを深める。
「うふふ、答えがないってことはそうなのね。だったら、空の国に乗り換えるつもりはないかしら?」
「は?」
「あたくし達の任務は、ラルムの子の回収。だから、あなたからこっちに来てくれたら争う必要もないし嬉しいのよ」
以前と同じく、狙いはアメリアらしい。
重りをつけたように重く感じる体に焦りを感じながらも、アメリアは強気に睨み返す。
「何言ってんの。前から言ってるでしょ、行かないって」
「でも、海の国に戻れないんでしょう? だったらこっちに来たっていいじゃない。空の国はあなたを兵器になんてしないわ」
兵器にしない。その言葉にアメリアの心が揺れた。
海の国に戻ればアメリアは、空の国に対する兵器としての行動を強制されるだろう。
だが、空の国だったら?
そんな考えがアメリアの頭に浮かぶ。
「耳を傾けるな。あいつらの言葉には何の根拠もない」
ぼうっと考えていたアメリアは、チェイスの言葉でハッと覚醒した。
「あぁら、あとちょっとで落とせそうだったのに」
残念そうなグレイス。
アンジェリクは眉を吊り上げながらチェイスを睨んだ。
「チェイス、あんたはこっち側じゃなかった? 何でそっちにいるわけ?」
「元々俺は、俺の目的のために動いていたんだ。抜けさせてもらう。もうそちらに戻るつもりはない」
袂を分かつ。そう宣言したチェイスに、アンジェリクだけでなくアメリアやライリーも驚く。
セクトルは冷静に、リトルはいつもの無表情で彼の様子をうかがっている。
全員の視線が集まる中、チェイスは迷う素振りもなくトンファをグレイスとアンジェリクに対して構えていた。
本気で空の国に反旗を翻すつもりのようだ。
「へーえ、僕らを裏切るんだー。ふん、やっぱ人間って信用ならない。グレイスは別だけど」
「まあまあアンジェちゃん。実質、この命令に従わなきゃいけないのはあたくしだけなんだし。でも、残念ね」
芝居がかった仕草でグレイスは溜息をつく。そして銃を手にした。
「なら、力づくで奪う努力くらいはしましょうか」
銃口が向けられたのはセクトルとチェイス。
アメリアの周りの者たちを倒した後に、目的のアメリアを連れ去るつもりなのだろう。
そうはさせまいとセクトルはグレイスに矢を放つ。
真っ直ぐグレイスに向かう矢。体の中央を狙った、避けにくい軌道。
グレイスは横に飛びながら銃弾で矢を強制的に逸らすことで回避した。
そして銃を捨てたもう片方の手で鉄扇を開き、振り下ろされたトンファを受け止める。
次々と繰り出されるトンファと蹴りをグレイスは険しい顔で捌いていた。
時折セクトルも援護に入るが彼の動きは鈍い。ブルクハルトと戦った時の影響か。
その間アンジェリクは、ゆっくりとアメリアの方へと向かっていた。
「あんたなんかをグレイスの所に連れていきたくないんだけど、アンジェちゃんについてきなさい」
「誰がっ……!」
太刀を構えようとしたアメリアだが、ふらつく体では自身の武器を支えきれずにたたらを踏む。
「アリィ!」
ライリーの叫びを聞き力を振り絞ってアンジェリクに相対するが、すぐに片膝をついてしまった。
「抵抗すらできないんだ。ラルムの子なんて所詮その程度――」
心底馬鹿にしたように言うアンジェリクの声が途切れた。
原因はアメリアの前に現れたリトル。アメリアを庇うように両手を広げている。
「……そういえばあんた、前はよくもグレイスにやってくれたわね。薄汚い半端者のくせに!」
怒りからか、アンジェリクの周囲を魔術の光が取り巻く。
「それに、お前のせいで僕は……。あははっ、もういっか。魔術の暴走でラルムの子も木っ端微塵になったって、後のことは僕がなんとかすれば」
壊れたように笑うアンジェリクの瞳には、爛々と狂気の光が宿っていた。
「殺してやる……お前らなんか、僕がっ! 【切り刻め】!」
「【風よ、護れ】!」
アンジェリクが叫ぶと同時にリトルも叫んだ。
殺意を込めた苛烈な風が殺到する。
リトルはアメリアとライリーを覆うように風の層をドーム状に展開し、猛攻から身を護る。
切り刻まれるか守り切るかは、魔術の力比べに委ねられていた。
以前競り勝ったのはアンジェリク。
その時から魔術の腕は逆転していないようで、リトルの表情が徐々に強張っていく。
「「リト!」」
アメリアとライリーが叫ぶ。
どうすることもできないもどかしさと眼前に迫る脅威に、二人は悲壮な顔でリトルを見た。
リトルは二人の声を聴いてピクリと反応する。
「だいじょうぶ。ぜったい、まもる。……絶対、守ってみせる!」
全てを跳ね除けるように、リトルは声を張り上げた。
途端にリトルの魔術の威力が跳ね上がり、残忍な風の刃を穏やかな風で押し潰した。
「嘘だ……よりによってあいつに、なんで僕が、負け……」
ありったけの力で魔術を放ったのか、アンジェリクはその場にへたり込む。
愕然としたまま動くことができないようだ。
「すごいやリト!」
「ありがと、リト。助かったわ」
命の危機から救われたアメリアとライリーはほっと息をつき安堵した。
二人は口々にリトルを褒めるが、彼女の様子がおかしいことに気が付いた。
元より色白なリトルの顔はさらに白くなり、息が荒く目の焦点も定まっていない。
「り、リト? だいじょ」
ライリーが心配そうに言いかけた時、リトルの小さな体がぐらりと傾き地面に倒れ伏した。
「リト?! しっかりして、リト!」
リトルに駆け寄るライリーにアメリアも続こうとした。
(あれ……?)
アメリアは急に世界が遠くなったように感じた。周りの音や景色に現実感がない。
指先の感覚がなくなり、頭の芯が急速に冷え切っていく。
太刀を支えに立とうとしてもほとんど力が入らず、体が大きく揺れた。
「アリィ!」
ライリーの悲痛な声を耳に、アメリアは気を失った。