バルカローレ ―水平線の狭間の物語―

□旅の始まり編
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「どっわあっ!」



真昼の海に、一つの水しぶきが上がった。



「おいおいアメリア、随分と色気のない声だなー」


一人の男が海に落ちた人物を見下ろし、愉快そうに笑う。
海に落ちた人物――アメリアという名らしい――は、目を吊り上げ男に文句をつけた。


「うっさい! ちょっと足滑らせただけでしょ! そもそもアンタがドジ踏んでなけりゃ、アタシまで修理に駆り出されることなんかなかったのに!」

「わりいわりい、じゃあ右舷もちらっと見といてくれなー」

「ちったあ反省しろ! 船長が客をもてなしてて忙しいからって好き放題して! って、もういないし。……はぁ」


自力でロープを伝って船へと登り、すっかりずぶ濡れになった服を絞る。
濃いピンク色のポニーテールからも水が滴り、服がまた濡れていることに気づくと海色の目を吊り上げてアメリアは舌打ちした。


「ああもう! 今日は厄日ね!」


ぷりぷり怒ったまま髪の水気も絞ると、先程言われた通り右舷の様子を見に行った。
相変わらず口からは絶え間なく文句が漏れているが。

すると、アメリアは先程とは違う男に呼び止められた。


「おーいアメリアさん、今日はもう良いらしいっすよ」

「はあ? 何で?」

「アメリアさんに客だと。客室に来いってマーリン船長からの伝言っす」

「あたしに? 外の知り合いなんていないけど」

「でもピンク頭のポニーテルなんて、この船じゃあアメリアさんだけって船長が言ってたし……」


確かにアメリアの乗っているこの船――名をギュールズ、通称闘技船と呼ばれている――には女性も多いものの、アメリアと似た容姿の者はいない。


「ほら、早く。遅れたら船長に何言われるか分からないっす」

「ハイハイありがとねー」


手をヒラヒラ振り、アメリアは客室へと向かった。


「ホント、この船以外の知り合いなんていないのに。……指名手配もされるようなこともしてないし。何だろう?」


客室の扉の前で首を傾げつつ、アメリアはノックとほぼ同時に扉を開いた。
中にいたのは隻眼の大男――この船の船長のマーリンだ――とアメリアが知らない、ダークグレーの髪をオールバックにした藍色の目の男性。


「失礼しまーす」

「こらアメリア、行儀がなってねぇ。すまねぇなぁ、王国騎士さんよぉ」

「いえ、構いません」

(王国騎士?!)


アメリアは大いに驚いた。この船全体は有名なギルドの一つで、王国の干渉を嫌っている。
その証拠に、マーリンの機嫌が下降気味であるのが付き合いの長いアメリアには分かった。

王国は今まで、わざわざ使いを寄越すことはほぼなかった。問題がない限り、王の世代交代の報告くらいしか来ないとアメリアは聞いたことがある。
そんな王国船の騎士がアメリアに用だという。


「え、えっと、アタシに一体何の用?」

「アメリア嬢、私は王国騎士のブルクハルトと申します」

「はあ、どうも」


アメリアは全く訳が分からなかった。
マーリンは混乱するアメリアの肩に手を置き、ブルクハルトを睨むように見据える。


「王国騎士さん、コイツが何か悪いことしたってんなら俺が聞く。船員の責任は船長の俺の責任だ」

「船長……」


普段は飲んだくれな船長の真剣なセリフに、アメリアは思わず感激していた。


「いや、悪い知らせではないのです。アメリア嬢に直接お願いしたいことがありまして参上しました」

「ほぉう? 言ってみろ?」


ブルクハルトは真っ直ぐにアメリアを見つめた。


「アメリア嬢に、ラルムを探す旅をしていただきたいのです」

「……らるむ?」


いかにも何も分かっていませんという返答に、マーリンは頭を抱えた。


「……アメリア。おめぇ、頭が悪いとは知っていたがここまでとはな」

「ちょっ! 船長! さっきの感動返せ!」

「まあまあ。ラルムというものは普段の生活では意識しないものですから。私から説明しましょう」


ブルクハルトも苦笑気味だ。内心憤慨しつつ、アメリアは大人しく説明を聞くことにした。


「ラルムとは色を司るもの。そしてこの世界のエネルギー源にもなるものです。我々は空気や海の中など自然界にあるラルムを取りこみ、エネルギーとして使用しています」

「だいたいは目に見えねぇがな。俺達の船だって赤のラルムで動いてんだぞ」

「へ、へぇー……」

「ラルムがなければ世界から色は失われ、生物が生きていくための生命エネルギーもなくなってしまいます」


アメリアは知らなかったらしく、驚きの表情だ。それを見たマーリンはますます頭を抱えていた。


「近年、空の国から攻撃がなされているのはご存知ですか?」

「それは知ってるわ。空の国からこっちに来るのは難しいから、上からこっちの船を攻撃しているんでしょ?」

「その通り。二つの国をつなぐ門のビフレストが現れ互いに干渉ができる時に、空から攻撃を仕掛けてきています。そして、空の国の狙いはこちらのラルムを奪うことにあるのです」

「それってヤバいんじゃないの?」

「ええ。我がポルトラーノ船団王国は強大でありますが、空からの攻撃となると相手の動きが見えづらい。ですから、早急にラルムの源となる結晶を集め国の船を守る必要があるのです」

「ラルムの結晶……そんなものがあるのね」

「ラルム・ジュエルと呼ばれるものです。それは各地に散らばって存在しているそうです」

「じゃあコイツじゃなくて王国の暇な奴がやりゃあ良いんじゃねぇか?」


もっともな質問に、ブルクハルトは首を振った。


「いいえ、純粋なラルムは人が触れるにはあまりに強いエネルギーなのです。ですから、アメリア嬢に協力していただきたい」

「え? 人が触れないのにアタシがどうにかできるの?」

「……ギルド船の奴ならどうなってもいい、と? おめぇさん等はコイツを生贄にするつもりか? あぁん?」


マーリンがむき出しの殺気をブルクハルトに向ける。


(ヤバい、超ヤバいって! 船長怖い!)


隣にいたアメリアが顔面蒼白で震えていると、ブルクハルトは慌てて言った。


「いえ、そのようなことは決してありません! アメリア嬢は、ラルムの適性が強いお方なので」

「て、適正?」

「簡単に言うと、ラルムに触れても平気な人物、ということです」

「なぜそんなことが分かった? ハッタリじゃねぇだろうなぁ?」


すぐには信用ならないのか、マーリンは懐疑的だ。


「これを見てください」


そう言うとブルクハルトはカバンから淡く光る瓶を取り出した。首にかけるための物なのだろうか、細長いチェーンがついている。


「この瓶の中身は、空気中からラルムを抽出してラルムの濃度を高めた気体です。この瓶をよく見てください」


彼はチェーンを持ち、瓶から静かに手を放した。
するとその瓶は重力に従わず、すぐさまアメリアのほうへ真っ直ぐ引き付けられていく。
ブルクハルトが真横にぴんと張ったチェーンから手を放すと、瓶はアメリアの手の中に吸い寄せられた。


「え? なにコレ?!」

「こりゃあたまげた。アメリアがラルムの子だとはなぁ」

「ら、ラルムの子?」

「ラルムの適性が強い人物のことを俗にそう呼ぶのです。ラルムの気体はラルムの子に引き寄せられるという性質を持っています。ですからアメリア嬢がラルムの子だと分かったのです」

「こんなに強く引き付けられてりゃあ船の外からでも分かる、か」

「その通りです」

「ちょ、ちょっと整理させて!」


混乱したアメリアは頷き合っている二人を静止した。


「アタシはラルムに触ることができる。空の国がラルムを狙っているから、アタシにラルムを集めてほしい。そういうことでオッケー?」

「はい。ご理解が早くて助かります」

「で、でも、ラルムの集め方なんて知らないわよ!」

「ご心配なく。既にラルム学の権威に協力を要請しております。それに、道中は私が命に代えても貴女を危険から守ります」


(なんか大変なことになってきたーーーーっ!!!)

逃げ道を塞がれたアメリアは心の中で大絶叫した。彼女の人生最大の混乱である。
つい先日カジキマグロに海に引きずり込まれそうになった時よりも盛大に慌てていた。


「アメリア、おめぇはどうしてぇんだ?」


マーリンの冷静な声がアメリアを現実に引き戻す。考えを巡らせるため、アメリアは目を閉じた。


「……えっと、ブルクハルトさん。ラルムを集めないと国中の船が危ないってこと?」

「そうです。最近は空の国の攻撃が頻繁ですから……」

「じゃあ行くわ」


吹っ切れたように笑うアメリア。あっけないほどの即断にブルクハルトのほうが戸惑っている。


「ほ、本当ですか?」

「ええ。アタシ、この船のみんなが好きだもの。この船のためにアタシが力になれるってんなら、行くっきゃないでしょ! よし、そうと決めたらさっさと準備しなきゃ!」


ブルクハルトはアメリアの切り替えの早さに目を白黒させていた。その様子をマーリンはニヤニヤと見ている。


「こいつはこういう奴だ。このくらいでビビってたら、道中大変だぞ」

「は、はあ。アメリア嬢、私どもの願いを受けて下さってありがとうございます」

「あはは、アタシのためにそう決めたんだから気にしないでー」

「アメリア。行くってんなら、まず着がえて来い。おめぇずぶ濡れだぞ。まあ男勝りだから関係ねぇか」

「もう、船長は一言余計! 着がえてきますー!」


騒々しく扉を閉め、アメリアは走り去っていった。
それを見送り、マーリンはゆっくりとブルクハルトを見る。その目はとても真剣だ。


「アイツは俺等にとって家族みてぇなもんだ。くれぐれも頼んだ」

「はい、必ずお守りします」

「まあ振り回されるだろうな。覚悟しときな」


愉快そうな笑い声に、ブルクハルトは曖昧に苦笑した。
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