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□陰る、月(Follow Ver.)
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連絡もなくいきなり訪れた私を見て、碓氷は最初は驚いていたがすぐに微笑むと部屋に通してくれた。
ソファに並んで座り、いつものように碓氷が淹れてくれたお茶を一口飲む。

「何も…訊かないのか?」

「何を?」

「いきなり来た理由…とか…
 急に…迷惑…だろ?」

碓氷の顔が見られなくて、じっと手のなかにあるカップに視線を留めさせたまま呟くように答えた。

「言いたくなったらでいいし、そもそも理由なんてなくても来て欲しいと思ってるんだから、嬉しいくらいなんだけど?」

そう言った碓氷は、肩を引き寄せるようにして抱き締めてきた。
力を入れない、ただ身体に腕を回すだけの抱擁に、気遣われているのだと気付く。

当たり前か。
きっと今の私は情けない表情をしているに違いないのだから、聡いコイツが何かあると気付かない訳がない。
それでも何も訊かずにいてくれることに、安堵と、それ以上の切なさが沸き上がった。

ごめんな…

心のなかで呟き、持ったままだったカップを静かにテーブルに置く。空いた手を碓氷の背中に回し、縋るように抱き付いた。
少し遅れて碓氷の腕にも力が籠もる。それを合図に私から唇を重ねた。
最初は触れるだけ。
重ねるごとに長さと深さを増していき、絡まり始めた舌が口内で水音を響かせる。

「…どうしたの?
 もしかして…誘ってる…?」

僅かに離れた隙に碓氷が問い掛ける。
私からキスするなんて滅多にないからと、からかうような問い掛けにまだ気遣われていると感じた。

「…――…だったら…悪いかよ…」

何度か繰り返された行為。
いまさら…と言われても恥ずかしさは薄れることなく常にあり続け、今も顔を朱に染め上げていく。
碓氷は頬に手を添えるとニヤリと笑い「大歓迎v」と囁いて私をソファに組み敷いた。

絡み合っていた舌がほどかれ、碓氷の唇が首筋から胸元へと滑っていく。
時折強く吸い付いたり舐めあげたりする度に私の口からは鼻にかかったような吐息が漏れて、その声ははだけた素肌に碓氷の愛撫が直接施されることでなお高くなった。

そんな自分の声を聴きたくなくて片手で口許を押さえて声を押し殺そうとするが、気付いた碓氷がその手を退けてしまう。
だが、代わりにとでもいうように口付けが与えられ、私は離れないように碓氷の後頭部に手を回し引き寄せてキスを深めていく。
その間にも碓氷の愛撫の手は下半身へと移動し、下着越しに秘部を弄り始めた。

すぐに反応を見せ始めた中心部をさらに刺激しようと、碓氷の指が下着をずらしあてがわれる。
ちゅく…と濡れだしていたその部分は難なく指を迎え入れ、さらに奥へと誘うように蠢いた。入れられる指の本数が増え、その先を知っている躯はより強い快楽を求める。

「っ…ふ、ぅん…碓…氷…」

首にしがみ付き、耳許で囁く。
いつもは恥ずかしさが先にたって決して言えないが、今は…碓氷が欲しかった。
碓氷に触れていたかった。

深く繋がり、幾度も躯を揺らし合った果てに迎える白濁する瞬間。
意識が途切れる前に視界に入ったのは、男の表情で私を見つめる碓氷の瞳だった。

気付くと狭いソファの上、半ば碓氷の身体に乗り掛かるようにして眠っていた。
私を腕のなかに捕らえた碓氷は規則正しい呼吸を繰り返している。
起こさないようにそっと腕を外すと、脱ぎ散らかされた衣服を拾い着ながらバスルームに向かう。
途中テーブルの上にあった携帯で時間を確認すると、日付が変わってからさほど経ってはいなかった。

コックを捻り少し熱めの湯を頭から浴びる。
俯き加減の視線の先に映ったのは、碓氷に付けられた幾つもの紅い痕。
指先で触れるとそこだけが熱を帯びているかのような錯覚を受け、視界が滲んでくる。
シャワーに紛れて声を押し殺して、泣いた。

いつもいつも助けられて。
返し切れない借りばかりが増えて。

悔しかった。歯痒かった。

一方的に守られるんじゃなくて、私もアイツを守りたいと…

…助けたいと思っていた。

対等な立場で隣に立っていたかった。
でも、傍に居ること自体が碓氷の足枷になるというのなら…
私は…傍に居るべきじゃ…ない。

もし…
あの時碓氷にバイトがバレなければ…
碓氷が私に興味をもたなければ…
私が碓氷を嫌いなままでいたのなら…

いまさら言っても詮ないことだと判っているのに仮説の可能性が頭から離れない。
善いかどうかは別としても、碓氷自身受け入れていた未来を変えることはなかったかもしれないと思うと遣り切れない。
だが現状はすでに変わっていて、碓氷にとっても喜ばしくない方向に動いている。
そうなってしまった一因は私だ。
それが判っていて、なおも傍に居続けることはできない。できる訳がない。
これ以上アイツの立場を悪くさせないためにも、私は離れるべき…

再びコックを捻ってシャワーを止め、思考を断ち切るように髪を掻きあげた。

バスルームから出てソファに近づくと、碓氷はまだ眠っていた。
しかし寝たふりをしていることが多かったことを思い出し、もしかして起きているかもしれないと…暫らく横に佇んだまま見下ろして様子を窺ってみる。
変わらず繰り返される呼吸。
試しにそっと頭を撫でてみるが変化はない。
どうやら今日はちゃんと眠っているようだ。

碓氷の前髪を指で梳くようにしながら、昼間のことを思い出す。
イギリスから来たという人物との会話。
その内容は―…碓氷をイギリスに引き取り、祖父の監視下に置くというものだった。
碓氷に拒否権はなく、今すぐにでも連れて行くというその人の言葉に、明日まで待ってくれと頼んだ。
せめて別れを告げる時間が欲しい、と。
いきなり連れられては納得できないだろうから、と。
そうしてできた僅かな猶予。
…タイムリミットは夜明け。

月が姿を消すころに、入れ替わるように碓氷に迎えが来る。そうしたらきっと、2度と逢うことはないだろう。

また泣きたくなってきたのを堪えていると、雲に隠れていた月が現われ、室内に淡い光を届けた。
月明かりに照らされた碓氷の寝顔は穏やかで…知らず私の気持ちも穏やかになっていた。
悲しさは残ったままだったけれど。

そしてまたすぐに月が雲に隠れ、薄暗闇に包まれる。
そのときにはもう、私の心は決まっていた。

伏せられた瞼に口付けを落とし、ごめんな…と呟いて部屋を出る。
決別の決心が鈍らないように、振り返ることなく私はマンションを後にした。

ここから先、私たちが歩く道は別れ、再び交わることはない――…

――――――――――――

浮かない気持ちで迎えた週明け。
休日だった昨日は昼間はバイトがあって気が紛れていたが、夜になると碓氷の事を思い出してしまい、結局よく眠れなくて通常よりも早い時間に登校した。
溜まっている仕事をしていれば忘れられる…
そう。余計なことに振り回されずにやっと生徒会の仕事に集中できるじゃないかっ…と、半ば自分に言い聞かせるようにして無理矢理碓氷の事を思考から消そうとした。

溜め息をついて生徒会室のドアを開ける。
すると室内には、いるはずのない人物がこちらに背を向けて机に腰掛けていた。

入り口で立ち止まったままの私に向かってゆっくりと振り向いた碓氷は、静かな笑みを湛えている。

「…おはよ鮎沢。早いね」

「お…前…何で…」

イギリスに行ったんじゃ…という私の小さな言葉は、問い掛けではなくて思わず洩れたものだったのだが、しっかりと碓氷には聞こえていたようだ。
机から降りて近付いてきた碓氷は、私の腕をとり室内に引き入れる。もう片方の手でドアを閉める静かな音がやけに大きく聞えた。

「鮎沢を置いてどこかに行く訳ないでしょ」

手放すことなんてもうできないのに、と続いた言葉と共に抱き締められても、まだ私は信じられないでいた。

「この間は吃驚したよ〜? 起きたらミサちゃんはいないし、ウザイ人はやってくるし」

「だっ…て…お前…」

碓氷はまともに言葉を発することができない私の背中をぽんぽんと軽く叩き、さらに続ける。

「いつか縁を切るのなら、今切っても同じでしょ? むしろ関わりが長いほど後々面倒なことになるかもしれない。そう言って縁切ってきちゃった」

そう言った碓氷の声はいつもどおりで。ただ少しだけ清々したような響きが感じられた。

「でも暫らくはちょっとまだ周りが煩いかも…だけど…」

言葉を濁した碓氷が気になって見上げると、真面目な顔をした相手に見つめ返される。
真剣な…でもどことなく淋し気な表情にどきりと心臓が反応した。

「――…鮎沢が本当に厭なら、無理強いはしない。けれど…厭じゃないのなら…俺から離れていかないで」

「……碓氷…」

「鮎沢、前に言ったよね? たとえ俺でも助けてみせるって。俺を…助けてよ。俺の隣に居て…独りに、しないで…」

段々と視界がぼやけてきて碓氷の姿が滲んでくる。胸元に顔を押し付けて涙を隠し、震える声でなんとか返事をした。

「卑…怯だぞ…っ答えを知ってて…訊いてるだろっ…」

「だって、鮎沢の口から聞きたいんだもん。…それとも、厄介な事情がある俺の傍には…居たくない?」

碓氷の言葉に、私は首を横に振ることしかできなかった。
それでも背中に腕を回して抱き締め返す。

「碓氷の…あほっ…お前こそ…私の傍を離れるなよ?!」

照れ隠しの憎まれ口。
こんな風にしか言えない自分が厭だったが、碓氷はホッとした声で「当然」と返した。
腕に力が篭もってぎゅっと強く抱き締められて。
碓氷の匂いに包まれてようやく“碓氷が居ること”に安堵して、また涙腺が緩んできたが碓氷が続けた言葉に涙は完全に引っ込んだ。

「俺、近いうちに引っ越すから」

「え?」

「あのマンション“碓氷家”が用意したものだから出なきゃならないんだよ。で、鮎沢ん家の隣にあるマンションに空き部屋があったから、そこ契約してきた」

「は?」

「これからはお隣さんだからねv」

にっこりと笑う碓氷と展開の急激さに私は言葉を失い、ただ見上げるしかできない。
けれど碓氷の笑顔につられて段々と口許が緩んでくるのが判った。

これからも傍に居られる―…
嬉しかったがこの数日振り回されたような気がして口惜しかったから、言ってやるものかと心のなかで舌を出す。
代わりにさっきの碓氷と同じようにぎゅっと強く抱き締め返して、ほかの役員が来る時間ぎりぎりまで抱き合っていた。


end.(2010.03.09)

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