Short

□ORANGE
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従業員用の出入口の扉を開けた途端、鼻腔に漂ってきた清々しく甘酸っぱい香り。
控え室どころか店内にまで充満している香りの原因は、大きな箱一杯(しかも1箱ではない)に入った大量のオレンジだった。

「店長、どうしたんですか? これ」

店で使うのであれば数が多いのは分かる。しかし、いくら業務用としてもこの店で使うには多すぎる青果に疑問を持った美咲は、近くにいたさつきに問うた。

「友人が旅行のお土産って送ってくれたの。最近、フルーツが高くなってるって話したこと覚えていてくれたみたいで」

嬉しいんだけど、やっぱりミサちゃんも多いと思うわよね… 苦笑しつつもさつきは、それでもやはり嬉しさが勝った表情で続けた。

「でね。あまり日持ちしないから、今日から少しの間特別メニューとして搾りたてフレッシュジュースを追加しようと思ってv」

確かにジュースにすれば食べるよりも消費は早くなる。傷んでしまう前に使い切ってしまうこともできるだろう。

「あとデザートもいくつか作ってもらう予定なの。ちょっとメニューが変わるから、しばらくはお願いね?」

さつきの言葉に了承の意を伝え美咲は仕事に入った。


早番だったバイトを終えて帰る準備をしていた美咲にさつきが紙袋を手渡した。中身は案の定オレンジ。有り難く受け取って裏口から出ると、そこにはやはり同じ紙袋を持った碓氷が待っていた。

「お疲れさまv」

「おぅ…お前もな」

もはや臨時とはいえないが、あくまでも臨時バイトとして今日も美咲と同じく早番で来ていた碓氷は、先程まで厨房に立っていた。

碓氷は美咲の紙袋を取ると自分の分と共に片手で持ち、もう一方の手で美咲の手を繋ぐ。

「行こっか」

歩き始めた瞬間、碓氷からオレンジの香りがした。美咲がそのことを言うと

「搾ったり切ったり、ずっとオレンジに触っていたからね」

と、笑いながら繋いだままの手を美咲の鼻先にもっていく。碓氷の言うとおり彼の指からオレンジの香りがしていた。そんなになるまでスイーツを作っていたのに、碓氷はこれからまた作るのだという。美咲のためだけに。
申し訳ない気持ちになる美咲だったが、碓氷の作る料理の誘惑には逆らいがたいものがあり、「味見しに来て」という碓氷の言葉に頷いた結果、今向かう先は彼の部屋。

けれど美咲は、逆らいがたいのは碓氷の料理ではないことに気が付いていた。なぜなら美咲自身も望んでいたことだったから。

――側に居たい――

紛れもない自分の気持ちに戸惑いつつも、一度認めてしまったあとは一種の清々しさを伴って美咲の胸の内を占めていた。

エレベーターから降り、碓氷の部屋の前に着く。鍵を開けるために碓氷が手を離そうとする前に美咲は、先程碓氷がしたように繋いだままの手を持ち上げ、まだなお甘く香る彼の指に口付けた。

驚いた碓氷は一瞬目を見開いたが直ぐに口角を上げ、荷物を置いて自由にした手でドアを開けた。繋いだ手を引き、抱き寄せるようにして美咲を部屋の中へ入れると、扉が完全に閉まるのも待たずに唇を合わせる。

「…もっと…」

閉じたと同時に離れたキス。相手に聞こえるかどうかの声で美咲が囁いた言葉に、碓氷は益々笑みを深くした。

「仰せのとおりに―…」


これから2人が過ごす時間は、きっとオレンジの香りにも負けない甘い時間。


end.(2009.10.29)

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