Short
□宣戦布告
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とうに下校時間は過ぎた放課後。
時折、部活動をしている生徒の声が聞こえるほかは静かな廊下の片隅で、1組の男女が向かい合っていた。
男はこの学校の制服を、女は白いワイシャツに濃紺のタイトスカートを身につけている。一見するだけでは生徒が教師に質問でもしているかのような、別段珍しい光景ではない。だが、2人の間にはそんな生温い空気は存在していなかった。
生徒の方は口許を上げいかにも楽しげだが、教師はといえばあからさまに不機嫌さを表わしていた。
「ねぇ、いつになったら俺のものになってくれるの?」
生徒――碓氷は言いながら片手を教師――美咲の後頭部に伸ばす。
髪を纏めている髪留めを外され、癖のない髪が美咲の背中に流れた。髪を手に取った碓氷は、指で梳くように動かして指の間を流れていく感覚を愉しむ。
「センセーの髪って綺麗だよね。いつも下ろしていればいいのに」
美咲は無言で相手を睨み、髪を触る手を払い除けると、反対の手にある髪留めを取り返して手早く髪を纏め直す。
そして何か言おうとして口を開きかけたが、結局何も言わずに溜め息をつくと相手と擦れ違うようにして歩きだして離れた。
直ぐに後を追った碓氷は、相手が無視しようとしていることを承知していながらさらに話し掛ける。
「センセー。質問の答えは?」
美咲は背後から聞こえる声にまたもや溜め息をつくと、振り向きもせず答えた。
「コドモに興味はない」
はっきりとした口調で言い切った美咲にそれでも碓氷は言い募る。
「俺、子供じゃないよ。もう18になったし」
階段を昇る美咲の後ろ姿に向かって言った言葉は、真っ直ぐ伸ばされた背中に弾かれ相手の心に届きはしなかった。
「まだ18だ。コドモだよ、お前は」
「歳の差なんて気にする必要ないよ?」
「そういうことじゃない」
踊り場を曲がって振り向きざまに手摺りから身を乗り出し、反対側の階段にいる、普段は上にある相手の顔を見下ろす。
気付いた相手が僅かに顔を上げた瞬間に、掠めるように唇を合わせた。不意討ちの出来事に動きが止まった男にふ…と笑い、少し移った口紅を人差し指で拭う。
「学校を卒業してから出直してこい」
言い残して階段を昇っていく美咲の後を碓氷は追うことができないでいた。
瞳には先程の笑った顔。耳には先程の台詞。
そして唇には一瞬だけ触れた相手のそれではなくて、口紅を拭っていった指の感触が強く残っていた。
美咲が言うコドモとは、単に年齢のことを言っているのではない。未だ未成年で親の保護下にいるという立場を言っているのだと気付いた碓氷は、感触を辿るように自分の唇に指を這わせ不敵に笑う。
「…長期戦ってことか…」
出直せっていうことは“コドモ”でなければいいってこと。
「望むところだ…」
彼の呟きが静かな階段に響いたが、碓氷しかいないその場所では聞いていた者はいなかった。
end.(2009.10.28)