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□惚れた欲目を差し引いても
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メイド・ラテのバックルームで美咲が慌てた様子で夕食の賄いを食べていた。いつもはゆっくりちゃんと噛んで食べる美咲にしては珍しい姿に、同じく賄いを食べていた碓氷が首を傾げる。
確かに今日はイベントdayで、客足が多い。しかし、スタッフの手は足りているし、休憩時間は充分にある。別に彼女が何か用事を頼まれている訳でもないはずだし、急ぐ理由はないよな……と、碓氷が不思議がっているうちに美咲は食べ終えてしまった。
「ご馳走さま」と一言残して、美咲は碓氷に頓着することなく食器を片付けに席を立つ。そのあまりにも素っ気ない態度に、碓氷はちょっとどころではない不満感を感じた。何しろ店に着いてからこっち、碌に言葉を交わすこともなければ、瞳が合うことすらなかったのだ。
せっかく二人でいられる時間を潰されて堪るかと、美咲が食器を洗っている間に追い付こうとして碓氷も食べるスピードを上げる。
だが碓氷の心情を知らないはずの美咲は、水音が止まった後も部屋を出ていかないばかりか、シンク付近で何かコソコソと作業をしているようだった。
心持ち余裕を取り戻した碓氷が食べ終わるのとほぼ同時に、美咲がこちらに戻ってくる。その手には1客のティーカップがあった。
何やら小声でゴニョゴニョ言いながら視線を右に左にと忙しなく動かせつつも、美咲は持ってきたカップを碓氷の目の前に置いた。柔らかに立ち上る湯気と共に甘い香りが碓氷の鼻腔を擽る。

「食後に飲むには甘いかもしれんが……」

中身を見て確認しなくても碓氷にはそれが何か判った。甘ったるいともいえる特徴のある香り。なにより今日という日。
――成程。これが彼女からのバレンタインなのか――碓氷は独りごちる。

「よかった。もしかして忘れてるのかなーって思ってた」

碓氷がにっこり笑って応えると、美咲は不機嫌そうにそっぽを向いた。

「忘れるわけないだろう! メイド・ラテでもイベントdayやるからって準備してたんだから」

「だからだよ。お店用のだけで満足して、プライベート用の用意を忘れそうなんだもん、ミサちゃんって」

せっかく“恋人”になって初めてのバレンタインデーなんだから、“彼氏”としては期待するでしょ〜? などと続けられた科白に、横を向いたままの美咲の耳許がほんのりと色付いていく。

「それなのに学校じゃあ全くそんな素振り見せないし、メイド・ラテに来たら俺は放ったらかしだし……」

「学校はお菓子の持ち込みは禁止しているだろうが! いくら今日は大目にみたといっても、普段煩く言っている私が率先して持っていけるか!!」

なおも続く碓氷の愚痴に、美咲が猛然と反論する。美咲とて恋愛イベントに慣れないながらも、チョコをどうしようかと悩んでいたのである。人の気も知らないでっ! と、いささか剣呑な気配を漂わせ出した美咲を見て碓氷は軽く苦笑する。

「……そんなことだろうとは思っていたけれどね……」

苦笑いはしているものの含まれている苦みの割合は少ない。どんなものであれ“美咲が自分を想って用意してくれた”というその事実が碓氷を喜ばせているからだ。
そしてそんな碓氷にさすがの美咲も気が付かないわけがない。すでに赤みを帯びていた頬がさらに朱に染まる。結局のところ、碓氷が嬉しそうだということが美咲にとっても嬉しかったりするのだ。
しかしそれを素直に受け入れるには、まだまだ生来の負けん気が邪魔をするようで、美咲は口惜し気に口許を歪ませた。
美咲の表情の変化を見てとった碓氷は、黙ってソーサーに手をかけて手元に引き寄せるとゆっくりカップを持ち上げて、まずは香りを楽しんだ。
温めたミルクにチョコレートを溶かし込んだホットショコラ。
これなら料理が苦手な美咲でも失敗することはないだろうし、端から学校ではなく店で渡すつもりだったとしたらアリなものだ。
事前に店長に相談したのだろう。休憩時間が一緒で、しかも二人っきりというのがいい証拠だ。もっとも、休憩が同じなのはいつものことなので、あまり当てにはならないか? などとつらつら考えながら一口含む。と、向かい側に立ったままだった美咲の手がエプロンをキツく掴んでいるのが視界に入った。よく見るとその手は力が入りすぎてか小刻みに震えている。
碓氷が視線を上げると、美咲はこれ以上ないほど顔を赤らめて俯いていた。心なしか瞳も潤んでいる。美咲としては見られないようにしているつもりなのだろうが、座っている碓氷には意味がない。それに気付いているのかいないのか、美咲は自分の足許に視線を固定し続けている。
やがて――堪えかねたようにキッと顔を上げて碓氷を睨むと、

「ニヤニヤしてないでさっさと飲めっ!! そしてとっとと仕事に戻れ!!」

一喝してバックルームを飛び出していった。
半ば呆気にとられて見送った碓氷は、美咲の言葉を脳内で反復し、ようやく自分が笑っていたことに思い至る。

「――自覚なしとか……どんだけだ、一体。……でもまぁ、それも鮎沢が可愛すぎるのがいけないよね」

さらりと理不尽な責任転嫁をして、思わず顔を覆っていた掌のなかでクツリと笑みをこぼす。
どうやら自分で思っていた以上に嬉しかったみたいだと納得すると、碓氷は残りの休憩時間を目一杯使って“彼女”からのバレンタインチョコをじっくりと味わった。


end.(2013.02.14)

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