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□逢えない時間の取り返し方
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休日前夜。
いつもの復習・予習を終えた美咲がちらりと時計の盤面を見ると、針はもうすぐ日付が変わるという位置を指していた。
翌日のバイトは早番だし、持ち帰った生徒会の仕事もないからと、美咲は早めに寝ようとして机の上の勉強道具を片付ける。
ベッドに入り込み枕元に携帯を置く。と、直後にメールを受信した。
送信名は碓氷。
[明日早番だよね。その後空いてる?]
[なんで早番だと知っているんだよ!
宇宙人め!]
質問の答えになっていない返信をしたら、間を開けずに今度は電話が掛かってきた。
ディスプレイに表示される“碓氷”の文字を凝視しながら美咲は暫らく出るのを躊躇っていたが、一向に鳴り止まない着信音に根負けしたように通話ボタンを押した。
『やっと出た』
「――…なんの用だ」
『だからぁ明日空いてる?』
「だからっどうして早番なことを知っているんだよっ?!」
『ご主人様だからv で、どう?』
変わらずマイペースな碓氷の返事にどっと疲れた美咲は「…空いていたらどうだって言うんだ…」と半ば投げ遣りに答えた。
『じゃあ……俺の部屋に来て?』
言外に漂う2人っきりになりたいという碓氷の心情が、電話越しでもはっきりと届いて美咲の頬が赤くなる。
それというのも昨日まで試験期間で、碓氷に対抗心を燃やす美咲は時間があればテスト勉強に集中しバイトもシフトを減らしていたため、気付けば2週間近くまともに顔を会わせていなかったのだ。
試験が終わった今日も、思い返してみれば体育の授業で姿を見掛けただけで声も聞いていない。
この電話が久し振りの会話だと気付けば、途端に沸き上がる“逢いたい”という感情。
心の底では行きたいと思っているのに、それを言葉にできない美咲が黙ったままでいると『沈黙は了解ってことで決定!』と碓氷が強引に結論付けた。
『俺も臨時頼まれてるから、終わったらそのまま一緒に……ね?』
電話の向こうでは絶対にニヤニヤしているであろうことが容易に想像できるほど、からかいの色が強い碓氷の声音。
しかしそこには隠しきれない嬉しさも滲んでいるのが判って、美咲の心臓がきゅうと苦しくなる。
美咲は顔の火照りが治まらないまま、それでもなんとか不機嫌そうに聞こえるようにわざと大きく溜め息をつく。
「――…判ったよ。…その代わり美味い夕飯食べさせろよな……」
『仰せのままに…お嬢様v』
「阿呆か…っ」
クスクスと今度ははっきりと笑い声が聞こえたが、今はそれが耳に心地好く。
無意識のうちに口許が笑んでいることに美咲は気付かない振りをした。
『じゃあ明日ね。……おやすみ』
「…ぉう。おやすみ…」
美咲は通話を終えた携帯を両手で包み込むようにすると胸元に引き寄せる。
そっと目蓋を閉じると耳に残っている碓氷の声が子守唄のように優しく再生され、美咲は頬を赤くしながらそのまますぅ…と眠りへと落ちていった。
**********
翌日、バイトを終えた美咲は宣言どおり碓氷に手を取られ彼のマンションへと連れていかれた。
大分慣れたとはいえ、未だに手を繋ぐことにすら照れてしまう美咲は、道中ずっと俯き加減で碓氷の隣を歩いている。
美咲がそんな状態だからという訳でもないだろうが、碓氷もからかうようなことはせずにいたから当然会話が盛り上がることもなく。
言葉少なく歩く2人はそれでもどこか幸せそうで、周囲の目に微笑ましく映るのだとは気付いてはいなかった。
碓氷の部屋に着き「お茶淹れてくるから」と離れた碓氷がキッチンに消えたのを見送ってソファに座る。
広いくせに何もない碓氷の部屋はとても殺風景で、ローテーブルの上に置かれたノートパソコンがさらに無機質さを強調させていた。
…それなのに何故か落ち着く。
それは単に見馴れただけではなく、生活感のないこの部屋が碓氷らしくもあるのだと感じているせいだと気付き、美咲は否定するようにブンブンと頭を振った。
――碓氷らしいからって…なんでそんなことで落ち着いているんだよっ私は…っ
「鮎沢?」
美咲の挙動不審な行動に、お茶を持ってきた碓氷が「どうかした?」と問い掛ける。
「なっ、なんでもないっ」
美咲は自分でもよく判らない動悸に慌てながら、お礼を言ってお茶を受け取った。碓氷はそんな美咲を無言のまま見ていたが、ニヤリと悪戯を思い付いたような笑みを零すと身体が触れる程の距離で隣に座る。
そして平常心を保とうとするかのようにお茶を口にする美咲の耳許に唇を寄せ低い声音で囁いた。
「…期待…しちゃった…?」
「何をっ!! って、近いっ離れろよ!」
碓氷の囁き声にビクリと肩を揺らした美咲は碓氷の胸に手をつき、腕を伸ばして彼の身体を遠ざけようとした。
しかしそれよりも早く碓氷の腕が美咲の肩を抱き抱え、離れるどころかぴったりと密着してしまう。
「俺はしてるよ?
…久し振りの2人っきりなんだし」
「なっ…!」
碓氷の言葉に硬直してしまった美咲の手からカップを奪った碓氷は、零れないようにテーブルに避難させると、自分の膝の上に美咲を横抱きにして座り直させた。
「ちょっ、なんだよ?!」
「なにって…補給。ずぅ〜っと鮎沢不足だったの我慢してたんだからいいでしょ?」
言いながら碓氷は美咲の肩口に鼻を埋めてぎゅうと強く抱き締めた。
碓氷の包容は美咲の両腕を押さえ込むように腕を回しているために、離れようとして暴れるだろうことが容易に予測でき、また、実際じたばたと暴れた美咲の動きを封じるのに成功していた。
身動きができないことを悟った美咲は口惜しいからか、ゔ〜と唸りながらではあったが諦めて暴れるのを止める。
美咲が大人しくなったのを感じて、ほんの少しだけ腕の力を弛めた碓氷は笑みを深くして美咲に擦り寄った。
「――…やっぱり落ち着く…」
瞳を伏せて呟いた碓氷の声が思いのほか安堵しているように聞こえて、美咲は何故か居心地の悪さを覚えた。
以前碓氷が自分で言っていたとおり、彼は独占欲が強い。そのうえかなりの甘えたでもあった。
他人の目がなければ、すぐ今のようにくっつきたがる。
碓氷の本心としては人目があろうが関係ないのだが、そこは美咲の性格を考慮して2人きりのときだけにしていることは、美咲も気付いている。
だからこそ、意図していた訳ではないが結果的に碓氷を遠ざけていたという事実に、今更ながら後ろめたさが募る。
それでも美咲の羞恥心は薄れることはなく、碓氷が力を弛めたことでできた腕の戒めの隙間から、おずおずと碓氷のシャツを掴むしかできない。
それが美咲の精一杯の甘え方だと識っている碓氷はますます口許を綻ばせた。
「…本当はさ、デートしたかったんだけど」
「デ、デート?!」
「うん。でも鮎沢、手繋ぐだけでも恥ずかしいみたいだから…慣れてもらおうと思って」
「はぁ?」
碓氷は抱擁していた腕を一旦解き、するりと美咲の腹部に回し直す。
多少の身体の自由を得られたとはいえ、碓氷の膝の上から逃れられないことに変わりはなく、美咲はもう諦めて大人しくしていた。
「手を繋ぐ以上のことに慣れたら平気になるでしょ?」
「い、以上のことって…」
碓氷の言葉に真っ赤になった美咲は口をぱくぱくと動かし、碓氷を凝視することしかできずにいる。碓氷はそんな美咲の様子にニヤリと意地悪気に笑うと、またもや美咲の耳許に唇を近づけた。
「ミサちゃんてばやーらしーv
ナニ想像しちゃったのかなー?」
にやにやと厭らしい笑顔で美咲をからかう碓氷は、反論とともに暴れだす美咲を押さえ付ける様に再びきつく抱き締めた。
「本当に鮎沢ってば可愛いなぁーv」
「なっ、可愛くなんてないっ! 阿呆かっ」
ふいっと顔を背けて吐き捨てるように言った美咲の言葉ですら、碓氷には可愛く思えて仕方がない。
髪の間から覗く耳朶が赤くなっているのが見えて、照れ隠しなことがバレバレなのは美咲自身気付いているだろう。
その証拠にわずかな戸惑いを見せながら、視線を合わせないように俯かせた顔をぽすっと碓氷の肩口に凭せかけた。
「――悪いが…人前でその、手を…繋いだりとかそういうのは…どうしたって慣れん…ましてやそれ以上なんて…無理、だ」
ボソボソと呟く様に喋る美咲の言葉を碓氷は黙って聞いている。
そして促すように美咲の頭をそっと撫でた。
「…だが、その…こうしていることは…別に嫌じゃ…ないから…その……」
「…うん…。俺もこうやって鮎沢と一緒に居られればそれでいいよ」
元々小声だった美咲の台詞は、最後の方は耳を近づけなければ聞こえ難いほどに小さくなっていたが、2人しか居ないこの部屋の中ではなんの支障もなかった。
美咲の言いたいことを引き継いで言葉にした碓氷は、頭を撫でていた手を滑らせて頬に添えると美咲の顔を上げさせる。
至近距離で見つめ合うその距離は次第に短くなっていき、どちらともなく唇を合わせた。
深くはならない啄ばむような口付けを繰り返すうちに、いつしか美咲の腕も碓氷の身体に回されて、お互いに相手を引き寄せるように抱き締め合っていた。
じんわりと感じる相手の体温と心音に安らぎを覚えた2人は、逢えないでいた時間を埋めるように、共に過ごす時間の心地好さに浸り続けた。
end.(2010.09.13)