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□ヒトトキノ逢瀬
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バイトが終わって辿る帰り道。
少し前までは、裏口で勝手に待っていた奴に送られて2人で帰っていた。

しかし今は1人。

このところ用事があるというアイツは、臨時バイトはおろか客として店に来ることも少なくなった。
休むことはないが遅刻や早退が多く、学校でも顔を会わせない日も増えた。

以前なら…掴み所のないアイツにからかわれることが腹立たしくて、近付かれない日は清々していたというのに…今は、顔を見ないと落ち着かない。
いないと判っていても、無意識のうちにその姿を…声を探している自分がいる。

…―なんてざまだ…

自分の心境の変化を、僅かながらにも認めつつあった矢先の、相手の不在。
不在の原因である“用事”が思い当たるものだからこそ、何もできないでいる今の自分に…遣る瀬なさが募る。

日に日に増えていく溜め息をつき、いつの間にか下がっていた視線を上げれば自宅はもう目の前だった。
その視界に、門扉に寄り掛かるようにして佇んでいる人影が入り込む。
ビクリと強ばる身体を叱咤して、誰何する視線を投げかけながら近付いた。

周囲の家から漏れる僅かな明かりに照らされた、見覚えのある茶色い髪を認めた途端、身体の強ばりは解けて、代わりに心臓が忙しなく暴れ始めた。

「…なに…してるんだお前こんな所で…」

相手から数メートル離れた位置で立ち止まってわざとぶっきらぼうな声音で問い掛けた。
ドクドクと動きを速くした心臓の音が、耳の奥で響いて自分の声が聞こえにくい。
ちゃんと不機嫌そうに聞こえただろうか…

そんな私の些細な不安などお構いなしに、碓氷は私の方を向くとニヤ、といつもの笑い顔を見せた。

「最近、まともにミサちゃんと逢えていなかったから、逢いに来た」

丁度近くに来ていたしね、と言いながらゆったりとした足取りで、立ち止まったままの私に近付く。

「だからって…家の前で待ち伏せるな」

「えぇー? ミサちゃん不足なの我慢しててもう限界なのにぃ…じゃあ学校で抱き付いていい? 俺、朝の服装チェックのとき絶対我慢できないよ?」

「いいわけあるかっ!!」

目の前の相変わらずの碓氷との言い合いに油断していた。
気付けば、怒鳴り付けた直後にふわりと碓氷の腕のなかに捕らえられていて、耳許で囁かれる低い声に身体の自由が奪われた。

「やっぱり落ち着く…」

思いがけず嬉しそうな碓氷の声音を聞いて胸の奥が揺さぶられる。
その背中を抱き返したくなったが、私の腕は動かず自分の身体の横に下ろされたままだ。
抱き締める碓氷の力が強くて動けないわけじゃない。けれど動けなかった。
…私も逢いたかったと知られることがまだ恥ずかしさを伴うから。

ふいに碓氷が身体を僅かに離して顔を覗き込んできた。

「鮎沢、指切りしよう」

「はぁ?」

脈絡のない台詞に対応できずに返した間抜けな返事。しかし碓氷は私が理解するのも待たずに、勝手に左手の小指に自分の指を絡めてきた。
絡め取られたままの手が持ち上げられたが、碓氷の口からお決まりの台詞は出てこない。
代わりに顔を近付け、絡めた私の指に口付けを落とした。

目を伏せ、口付けたまま碓氷が呟く。

「もう少しでカタが付くから…待ってて?」

一連の動作を私は言葉もなく見ていた。
なんてこっ恥ずかしいことをするんだコイツは! なんて思っていると、碓氷がちらりと窺うような視線を寄越してきて、考えるよりも先に返事を口にしていた。

「厭だ」

碓氷は一瞬目を見開き、何か喋ろうと口を開きかけたがそれを遮ってさらに続ける。

「お前なんか待ってやらん。
 …だから…さっさと終わらせてこい」

言い終わらないうちに、空いている右手で碓氷の胸倉を掴んで引き寄せ、驚いたままの碓氷に口付けた。

触れるだけのそれはすぐに離したが、見つめ合う距離は近い。そして「…うん」と珍しく頬を赤らめた碓氷によって、再び距離がなくなった。

重なる唇を離すまいと言わんばかりに段々とキスの深さが増していく。
息苦しさとともに甘い眩暈をもたらす碓氷の口付けは、未だ根強く残る私の意地っ張りな心も溶かしていった。

碓氷の背中に腕を回して、縋り付くように抱き付くと、私以上の力を籠めてきつく抱き返してくる。
密着して感じる体温に、私はようやく相手の存在を確かめることができて…安堵の吐息を洩らした。

たとえ数分でも、触れ合える…ただそれだけのことで満たされるものなのだと…今更ながらに理解し、この数日の間に生じていた隙間を埋めるように、キスの心地よさに身を委ねていた。


end.(2010.05.22)

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