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□雪解け
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無理矢理力でねじ伏せることなど、彼にとっては造作もないことだった。
だがそれでは意味をなさない。
彼女が自ら望まなければ…

だから待っていた。
彼女が自分自身の気持ちに気付いて受け入れるまで。



「…帰ろう?」

碓氷は美咲に向かって左手を差し出して呼び掛けた。
しかし美咲は動かない。
応えてくれることはまだないと判っていても戸惑って動けないでいる美咲の姿を見てしまうと碓氷の顔には苦笑が浮かぶ。
頭では判ってはいても心の奥底では期待していたのだと気付けば、それは自嘲の笑みに変わった。

おずおずと、躊躇いがちに美咲の右手が伸ばされる。
しかし、その手は碓氷の手を取ることはなかった。


――――――――――


「寒川ーお前日直だろ? 担任が早く日誌だせって探してたぞ」

生徒会室のドアから顔を覗かせた男子生徒が室内にいた寒川に声を掛けた。

「! 忘れてた! 済みません会長、急いで行ってきますっ」

「判ったから、走るな」

バタバタと出ていく寒川を見送った生徒は、生徒会室に美咲1人が残ったことを確認して室内に入ってきた。

「…あの…会長。ちょっと話があるんだけど…今、時間いいかな…」

「ん? 大丈夫だが…なんだ?」

入り口からさほど離れず、しかし少し美咲のいる机に近づいた生徒は、緊張した面持ちで深呼吸をひとつしてから口を開いた。

「確認…なんだけど…全校生徒を覚えてるって本当?」

「ああ覚えてるぞ。それがどうかしたか?」

「…―俺の…ことも…?」

やや困惑した表情でさらに問いを重ねる男子に内心首を傾げながらも、美咲は淀みなく答える。

「寒川と同じ2‐6の藤枝だろ? 確か…美術部の」

お前はあまり私を恐れていない数少ない男子だしな、と続いた美咲の返事を聞いた藤枝はそっか…知ってたんだ…と呟くと、またもや大きく深呼吸をする。
一方の美咲はイマイチ藤枝の言動が理解できず、怪訝そうに様子をみていた。

何度か深呼吸を繰り返して、意を決した藤枝が美咲を真っ直ぐに見つめる。その頬にはわずかに赤味が差していた。

「会長……いや、鮎沢…美咲さん
 俺、貴女のことが好きです」

「っえ…?」

美咲はいきなりの告白に対応することができず、目を見開いたまま硬直してしまった。
そんな美咲に藤枝はなおも続ける。

「もちろん恋愛的な意味で―…俺のこと知ってるとは思っていなかったから、伝える気はなかったんだけど……やっぱり…知ってて欲しくて…」

言っている途中で段々と顔の赤味を強くしていく藤枝につられるように、美咲の顔も赤くなっていく。

「あっ…判ってるから……返事はいらない…伝えたかっただけだから」

言い終えた藤枝は少しだけ笑った。
それにはわずかだが諦めと、伝えたことへの満足感が確かに滲んでいた。

美咲は、じゃあと言って出ていこうとする相手を思わず呼び止めていた。だが、咄嗟に呼び止めたものの言葉が続かない。
申し訳なさそうに顔を歪めて、それでも何か伝えなければとの思いで言葉を探した。

「―…応えられなくて…済まない
 だが……ありがとう…」

それが今の美咲の精一杯だった。
藤枝はまた少し笑ってひとつ頷くと今度こそ出ていく。
美咲は静かに閉じられたドアが再び開けられるまで、動くことができずにドアを見つめていた。


美咲は、先程の告白で浮かない気分のまま見回りを始めていた。
人気のない裏庭に差し掛かった辺りで話し声が聞こえ、声からしてどうやら女子のようだと見当を付けた美咲は、最近、学校近辺で不審者がでたという話があるため早く下校するよう注意しようと声がした方へ足を向ける。
そうして聞こえてきた「好きです」という告白の言葉。

立ち聞きしてはいけない。

一瞬で判断して踵を返した美咲の耳に届いたのは、聞き慣れた男の声だった。

「だから? 付き合うとか無理だよ?
 俺アンタのこと知らないし、興味ない」

声から漂う冷たさに、美咲の足は動くことを忘れた。

今までにも何度か碓氷への告白シーンに出くわしたことはある。
だがそれはすでに女子が泣いているときで、碓氷の返事を聞いたのは今が初めてだった。

これは…泣くはずだ…
告白を断わられるだけでなく、こんなに冷たい声で言われたら一溜まりもないだろう。
美咲は自分が言われた訳ではないのに、何故か泣きそうになった。

そこにいたのは美咲の知らない碓氷。
美咲に見せてこなかった碓氷の姿だった。

「っ…判って…います…でも、あの……握手だけ…してもらえませんか…?」

「―それなら…」

いいけど…と続けた碓氷の声はまだ冷たさを含んだまま。
それでも女生徒は気丈に振る舞う。

「伝えたかっただけなんです……聞いてくださって…ありがとうございました…っ」

最後の方は泣き声に近く、やや聞き取りにくいものだったが、走り去る足音と碓氷の溜め息と共に美咲の耳に強く残った。


美咲は生徒会室に戻ってからずっと考え続けていた。
期せずして遭遇した二つの告白。
そのどちらも見返りを求めない、ただ自分の気持ちを伝えたいというものだった。
自分の気持ちに素直に行動したもの…

考えているうちに脳裏に浮かんできたのは、碓氷の顔。
はっと気付き頭を振って消そうとしたが、消えるどころか次々と浮かんでしまい、次第に顔に熱が集中していく。
片手で顔を覆い、深く息を繰り返して落ち着こうとした。それでもやっぱり映像は消えはしない。
それどころか、より鮮明になってしまった。

そうして気付く。

記憶の中の碓氷が、時折淋し気な表情で自分を見ていることに。
そんな表情をさせたくはないのに、させているのは紛れもなく自分だということに。

どうしたら…いいんだろう…
私は…どう…したいんだろう…

物思いに耽っていた美咲は、いつの間にか入室していた碓氷に気付かなかった。

「会〜長v
 ? …どうかした? ぼぅっとして」

目の前で掌をヒラヒラさせて訊いてきた碓氷に、いつもなら過剰なまでに反応して驚きを露にする美咲だったが、今日は違っていた。

今美咲の目の前にいる碓氷は、いつもの…美咲のよく知っている碓氷で、そのことが美咲の胸を痛めさせた。
美咲は何か訊きたそうな、言いたそうな表情で碓氷を見る。

「…どうしたの? 何かあった?」

「いや…何も…ない…が…」

「疲れているんじゃないの? もう遅いし…帰ろう?」

碓氷は勝手に机の上の書類を片付け始める。美咲はそれを止めることもせず、ただ碓氷のすることを見ていた。
美咲と自分の鞄を右手で持ち、空いてる左手を美咲に向ける。

「…帰ろう?」

美咲は動かず座ったまま。
それでもやがておずおずと右手を碓氷へと伸ばし始めた。

しかし碓氷の淋し気な顔を見て、くしゃりと泣きそうな顔をしたと思った次の瞬間には俯いてしまった。
伸ばしていた手も、碓氷の手に触れる寸前に拳をかたどり身体の横に戻される。
だがそれは拒否したのではなく、意を決したことの現われの動作だった。

顔を上げ、まるで睨んでいるのかと錯覚するほどに強く真っ直ぐに碓氷を見つめる美咲。
そして放った台詞に、碓氷は身体の動きと言葉を封じられた。

「今しか訊かないから…本音を言え
 ―…お前は…私に何を望む?
 お前が望んでいることは何だ…?」

黙ったまま見つめ合う美咲と碓氷。
美咲はゆっくりと立ち上がると碓氷の正面に立った。
強い視線を外さないままに「何を――望んでいる?」ともう一度問うと、ようやく碓氷が口を開いた。

「望むのは……鮎沢の隣
 鮎沢にとって1番の…特別
 鮎沢を俺のものにしたいし…
 鮎沢にも同じように俺を望んでほしい」

真剣な声と表情に美咲は碓氷の本気を悟る。

「……あほ…」

美咲は呟くのと同時に、まだ差し伸べられていたままだった碓氷の左手に向かって、再び手を伸ばす。
美咲が手を伸ばしてきたことに少なからず驚き、また、嬉しさを表わした碓氷の表情は、またもや驚きのそれに変化した。
美咲の手は碓氷の手の横を擦り抜けると、身体ごと碓氷の懐へと飛び込んでいた。

「あほ…そんなの…とっくに…っ」

抱き付かれた碓氷は美咲の顔を覗き見る。しかし、俯くように碓氷の胸元に顔を押し付けていたために見ることはできなかった。
それでも布越しでも美咲の顔が熱いのが判って、真っ赤になっていることが容易に想像できる。

「鮎沢…顔…見せて?」

碓氷の言葉に、美咲は胸元に顔を押し付けたままふるふると頭を振る。
しかし碓氷が諦める訳がなく、美咲の頬を両手で包むとゆっくりと上を向かせた。
予想どおり美咲は真っ赤で、羞恥ゆえの涙を浮かべていた。
碓氷はそっと唇で涙を拭うと、瞼、額、頬とキスを落とす。

「…やっと―…」

珍しく顔を赤らめて、ふにゃっと嬉しそうに微笑んだ碓氷を見て美咲も微笑う。
それは今までで一番柔らかな笑顔で、ますます碓氷の顔が赤くなった。

キツく確かめるように腕を回して抱き合い、口付けを交わす。
日毎に気温を増していく太陽が地平に沈んで室内をオレンジに染めるなか、二人はようやくの恋人としてのキスを繰り返した。


end.(2010.02.03)

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