Novel

□油断大敵
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程よく混雑した道を美咲と碓氷は手を繋いで歩いていた。
碓氷はどこか嬉しそうに。
美咲は思いっきり顔に“不本意”と書いて、それでも大人しく碓氷に手を握られていた。

何度も繰り返されるうちにようやく美咲はバイト帰りに送られることに慣れてきていて、手を繋ぐことにも、渋々といった感じではあったが夜ということもあって、徐々に抵抗を感じなくなっていた。
しかし今は振り解いてしまいたくてしょうがない。それというのも、まだ陽のある明るい時間帯で、人の目が気になってしまうから。
元来の恥ずかしがりを増長させるものでしかない今の状況は、美咲本人が招いたことで、だからこそ真っ赤になりながらも碓氷の横に並んで歩いているのだった。

そんな状況になったのは遡ること十数分前。
早番のバイトが終わった美咲が裏口を開けると、いつもの奴がいつものように壁に凭れて待っていた。

「お疲れさまv」

言いながら碓氷は壁から身体を起こして美咲に向き直る。

最初の頃こそ待ち伏せるなとか色々と文句を言っていた美咲だったが、今ではもう何も言わなくなっていた。何を言っても堪えない相手に諦めたというのもある。
しかし、一番の理由は言い合っている時間が勿体ないというものだった。早く帰ってその分を勉強に費やしたほうがいいと結論付けたのだ。
一緒に帰ることが嫌ではないという気持ちには気付かない振りをして…―

無視だ、無視っ

心の中で自分に言い聞かせて、美咲は碓氷を見ないようにして前を通り過ぎようとする。が、ふと違和感を感じた。
くるっと碓氷に向き直り相手を見れば、すぐに気付いた違和感の正体。
碓氷は、初めて部屋を訪れたときに見た眼鏡をかけていた。

「…珍しいな眼鏡なんて」

「ん? あぁ、コンタクト切れちゃって」

ふ〜ん、と気のない返事をする美咲の手をとろうとして、碓氷がすっと近づいて美咲の横に並ぶ。しかし美咲は逃げるように一歩足を踏み出した。
その瞬間。

「あ」

パキッ

碓氷の顔から眼鏡が外れ、踏み出した美咲の足元に吸い寄せられるように落ちて見事に踏まれていた。

「!! す、すまんっ」

慌てて足をどけるも、レンズは割れてフレームも曲がってしまっている。
目に見えて落ち込む美咲を余所に碓氷はのんびりと眼鏡を拾い、手に取った眼鏡と美咲を見比べた。

「気にしなくていいよ」

「そんなっ…わけにいくか…」

美咲の負担を軽減するための発言だったが、当然美咲は納得するはずもなく。
弁償するから…と申し訳なく言う美咲に、碓氷は苦笑しながら続けた。

「本当にいいよ。これ、度が合わなくなってきていたから新しいのにしようと思っていたところだし」

「でも…」

美咲はなおも言い続けようとしたが、碓氷はにっこりと笑いかけてそれを遮った。

「じゃあ、お詫びってことで…これから一緒に買いに行って…で、俺に似合うのを選んでよv」

美咲としてはそんなことでは詫びにはならないと思ったが、碓氷が自分で言い出したこと以外で手を打つとも思えず、「…そんなんでいいのか…?」とやっぱり申し訳なさそうに聞き返した。

「もちろん」

碓氷は笑顔を湛えたまま美咲の右手を絡め取ると「よく見えないから繋いだままでねv」と、それはそれは嬉しそうに宣言した。
負い目がある美咲に拒否権などあるわけもなく。かくして、恥ずかしさを我慢して手を繋ぎ続けているのである。

そんな2人が入ったのは駅前にあるチェーン店。休日の夕方というのに店内の客足はまばらで、逆に言えばそれは、ゆっくり商品を見られるということだった。

眼鏡とは縁のなかった美咲は物珍しそうに店内を見て回る。しかしその間も手は繋がれたままで、さらに、似合うものを選んでと言われたこともあって美咲の心中は穏やかではなかった。
そもそも何を基準に選べばいいのか判らないうえに、どれを選んでも隣にいる宇宙人には似合う気がして面白くない。
かといって選ばないわけにもいかず、仕方なしに壊してしまったものと似たようなものを探した。
ふたつみっつと手に取り碓氷に渡す。碓氷は渡されたものを順に試着してみせては美咲に意見を求めた。
美咲の予想どおり、どれを渡しても似合ってしまうためにこれと決められず、いっそのこと物凄い変なヤツを選んでやろうかとさえ考えてしまった美咲だったが、生憎その一角には該当するようなものはなく、美咲は内心で舌打ちしつつ次の眼鏡を渡した。
あまり深く考えずに選んだものだったが、それは壊してしまったものによく似ていて、美咲にとって腑に落ちるというか、納得できるものだった。
試着した碓氷の目の前に人差し指を突き出して一言。

「それ…で…いいんじゃないか…」

「――――。ん、判った」

碓氷は美咲の言葉にふっと笑うと店員のいるカウンターへと向かう。
碓氷が視力を測りレンズを決めている間、美咲は碓氷の後ろで面白そうにその様子を眺めていた。
なにしろ美咲には初めてのことなのだから興味深いのだろう。
美咲の楽しげな様子が見えずとも感じられ、碓氷もまたその表情を柔らかくしていた。

そして会計というときになって、碓氷は思い出したように踏み潰された眼鏡を取り出し、修理ができるかどうかを問うた。
店員は難しい表情をして暫らく考え込み、

「できないことはないと思いますが…折れてしまう可能性も高いです。ですが、できるところまで直してみましょう」

と言ってから店の奥へと消えた。
その頃には店内の客は美咲たちしかおらず、不意に静寂が訪れる。
すると碓氷がするりと美咲の手を捕らえ、指を絡めるように繋いできた。
再びの手繋ぎに、なんとなくの気まずさと恥ずかしさを覚えた美咲が、少し焦ったように話しかけた。

「っそ、そういえばお前、裸眼だとどれくらい見えるんだ?」

「ん? …そうだな〜」

碓氷は言いながら顔を美咲に近づけていく。

「ぼやけずに見えるのは…これくらい…かな?」

美咲の眼前15cmの距離で近づくのを止めて、じっと美咲の瞳を見つめるとニヤリと得意の意地悪気な笑みを見せた。

「これくらいのほうが好きだけどねv」

ちゅっ、と美咲が逃げる間もなくその唇を塞いだ碓氷は、互いの鼻先が触れるぐらいの距離を保ったままでにやにやと笑い、赤味を増していく美咲の顔を見つめた。
そして再び口付けようと近づいた瞬間、

「〜〜なっなにしやがるーっ!!」

もちろん美咲の鉄拳がお見舞いされたのは言うまでもない。


end.(2010.06.08)

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