Novel
□最後のウソ
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―お前なんか嫌いだ―
私を好きだと言ったアイツにそう返して。
私は自分にウソをつく。
1人残って仕事をしていると、ガラッとドアが開く音が響き1人の男子が入ってきた。
役員でもない生徒が気楽に入ってくるなど本来有り得ないが、この生徒はお構いなしだ。
いくら注意しても一向に改める気のない相手にいい加減言い飽きてきていて、最近では無視するようにしている。
他の役員達が何も言わなかったのも、もしかしたら早々に諦めていたのかもしれない。なにしろ相手は何を考えているのかイマイチ判らない宇宙人なのだから。
そこまで考えて溜め息を一つつくと、仕事を終わらせるべく書類に意識を戻した。
碓氷は黙ったまま机の横に来ると、ぴたりと立ち止まって暫らく私の様子を窺っていた。
碓氷からの強い視線を感じたが、やはり無視して書面の文字に集中する。居心地の悪さを意識しながらも、仕事を進めていくうちにいつしか碓氷の視線を忘れていた。
キリのいいところで終えて顔を上げると、傍の椅子に座っていた碓氷と目が合う。
「な、何見てんだよっ」
もしかしてずっと見られていたのだろうかと思い、何故か心拍数が上がる。
「…別に。集中してるなぁ〜って思って」
少しつまらなそうな口振りで言うと、ポケットに手を突っ込んだまま立ち上がって机の前まで近づいた。
「終わったの?」
「ああ、一応な。あとは明日各役員に振り分けてからになるし…」
注意事項等を書き込みまとめた書類を片付けながら視線を外して答えると、空いた机の上に碓氷の両手が置かれた。
「ねぇ…なんで視線を逸らすの?」
「は?」
上から覗き込むようにして顔を近付けてくる碓氷の息遣いを間近に感じて、思わず椅子を引いて後退った。
顔が火照っているのが判る。
「今だけじゃなくて、ここんとこずっと目ぇ合わせないよね。…なんで?」
「なんでって…言われても…」
意識して目を合わせなかった訳ではないから何故と言われても返答に困る。
しかし、確かにあの時以来碓氷と顔を合わせたくなかったのは事実だ。あの、夢咲の文化祭以来――
碓氷の顔がまともに見れない。いや、見たくないと言ったほうが正しいかもしれない。
だからきっと無意識に視線を逸らしていたのだろう。しかしそんなことを正直に碓氷に言える訳がない。
やっぱり目を逸らして言いあぐねている私を碓氷はじっと見ている。納得のいく答えを得るまでコイツは諦めないだろう。
――…認めたくなんて…なかったんだ…
星華を変える。
そう決めて今までやってきたし、まだまだやらなければならないことは山積みだ。余計なことに気をとられる訳にはいかない。
それなのにいつもいつもコイツには混乱させられて。ムカつくのに…嬉しい気持ちも…確かにあって。
認めるのは癪だし悔しい。
そもそも自分には縁遠いことだと、信じて疑っていなかった。自分がこんな感情を抱くなんて思ってもみなかったんだ。
それもよりにもよって、こんなセクハラ変態宇宙人なんかに。
コイゴコロ、なんて――
「意識して…恥ずかしかった…?」
碓氷の手が頬に触れる。
「っ…だ、誰がお前なんかに…っ」
顔を逸らしたいのに頬を包む碓氷の手がそれを許さない。僅かに顔を持ち上げられて、否応なしに碓氷と真っ正面から見つめあう。
睨み付けるように碓氷の目を見ていたら、ふいに碓氷の目が表情を変えた。
真剣な眼差しのままではあったが、僅かに淋しげな色が混ざったのを見てツキンと心臓に痛みが走る。
碓氷はそれでも口許を笑みの形にするとゆっくりと顔を近付けてくる。
「…あの時言ったことが…信じられない? なら…何度でも言ってあげる…」
囁くように小さな声で碓氷は続けた。
「好きだよ…鮎沢」
お互いの唇が触れる直前まで近づいた碓氷に私は答える。
「私は…嫌いだ…」
本当は。
ウソなんてつきたくない。でも…今、流されたくはないんだ。会長として…やるべきことが終わっていない。
それにこのままじゃあ負けっぱなしだ…そんなのは口惜しい。
だから、私はウソをつく。
自分自身に言い聞かせるように。
「お前なんか…大っ嫌いだ…っ」
一瞬動きを止めた碓氷は「……ウソつき」と呟いて唇を重ねた。
甘い口付けに泣きそうになる。
受け入れたい自分と拒否したい自分がいて…苦しい…
力の入らない手でそれでも力一杯碓氷の胸を押し退けて身体を離そうとした。
碓氷はゆっくりと名残惜しそうに離れると、僅かの呼吸を許した後に再び顔を近付ける。
私はそれを逃れるように、何より顔を見られたくなくて、俯いたまま同じ台詞を繰り返した。
「…嫌いだ…」
「俺は…好きだよ」
やんわりと抱き締めて慈しむように囁く碓氷の声が、耳の中でこだまする。
スキの言葉にキライを返して。
今はまだ応える訳にはいかないから。
「お前なんか嫌いだ」
バレバレなのは判ってる。
でもこれは私の意地。
まだ応えられない、流されたくない私の…
最後のウソ。
「お前なんか嫌いだ」
僅かな猶予を得るために。
私は自分にウソをつく。
end.(2010.01.12)