Novel

□搦め手
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放課後の人気のない廊下を歩いていたときだった。

ふいに聞こえた声。
荒げてはいないが明らかに怒気を含んでいるのが判り、また男子が言い争っているのかと思った。

未だ男子が八割を占める星華高校では、血気盛んな体育会系生徒も多く、些細な怒鳴り合いはしょっちゅうだ。
だからさっき聞こえた声もそういった類だろうと思い、溜め息をついた。
自分が体育会系ではないと自覚している身としては、正直、関わりたくないというのが本音だ。

しかし、図書室に向かうには声が聞こえた階段を通らなくてはならず、恐る恐る様子を窺ってみた。
踊り場の角から見えた後ろ姿は、校内でも有名な碓氷さんだった。

「いい加減、認めたら?」

「俺から逃げられるとでも思ってるわけ?」

碓氷さんの腕が動くのが見えた。どうやら壁に手を突いて相手を逃がさないようにしたらしい。

相手の声は小さくてよく聞こえなかったけれど、あの碓氷さんが口論なんて…と思うと、俄然、碓氷さんに喧嘩を売るような奴はどんな奴なのだろうと気になった。
誰なのか見ようとして少し身を乗り出した。
ほとんど碓氷さんの身体に隠れていたが、僅かに見えた制服は間違いようもなく女子のものだった。

えぇっ?!

じょ、女子? 女子生徒と喧嘩? いやいや、それはないだろう。もしかして告白シーンだったとか? で、確か碓氷さんは女に興味ないっていうから断ってたとか? あれ? でもさっきの台詞、碓氷さんが言ってたよな? あの台詞ってよく考えると…。つ、つまり碓氷さんが口説いてるってこと? えぇっ〜?!

半ばパニックになっていた俺は、碓氷さんの背中とその陰にいる女子から目が離せなくなっていた。

すると、碓氷さんの身体が前に屈んだ。直後にドンッと突き飛ばす音が聞こえて女子が走り去っていく。

階段を昇っていくあの姿は…

…会…長?

え? 確かに碓氷さんと会長が一緒にいるのはよく見かけるけど…

驚き、茫然としていたら視線を感じた。
気付くと碓氷さんが冷たい目で俺を見下ろしている。
あまりの視線の鋭さに冷や汗が流れた。
きっと蛇に睨まれた蛙はこういう気持ちなんだろうな…なんて呑気なことが頭の片隅に浮かぶ。

「だ、誰にも…言いません…っ」

必死の思いでそれだけを言った。
碓氷さんは暫らく俺を見ていたが、すっと視線を外し「いいよ、言っても」と呟く。

口の右端に滲んでいた血を親指で拭うと、碓氷さんは会長が去った方向を仰ぎ見て声なく笑った。その笑みは凄絶で、獲物を狙う肉食獣を想起させる。

「むしろ言いふらして。そのほうが――…追い詰められる」

そう言い残して会長の後を追っていった。

後に残された俺は緊張の糸が切れ、へなへなとその場に崩れ落ちた。
頭の中はまだ混乱している。言いふらして、とは言われたが、本当に言っても良いものなのだろうか。
相手は会長だし、もしかしたら冗談なのかもしれない。
…いや、冗談にしてはさっきの碓氷さんは怖すぎた。となると本気で会長を…?
そういえば…あの…拭った唇の血…その前の屈んだ体勢…もしかしなくても…キス…して…噛まれた…?

床にへたり込んだまま茫然としながら赤面していた俺を不審に思ったのだろう。
通りがかった数人のクラスメートが、どうした? と声をかけてきた。しかし俺は気が付かなかった。

そう。
気が付かなかったんだ。

混乱した頭の中で思ったことを小さくはない声に出していたことに。
声をかけてきた奴らの中にお喋りで噂好きな奴がいたことに。


噂が広まるのは早く、翌日の午前中には学校中に広まっていた。

当の碓氷さんは、気にするふうでもなくいつもと同じように見えた。
対して会長はあからさまに不機嫌で、その怒りのオーラによって、噂について質問しようとする生徒を遠ざけていた。
しかし放課後になっても真相を確かめようとする生徒は減らず、生徒会室の前に1人、また1人と集まり始めた。

言いふらした訳ではないが、結果として広めてしまった原因は自分にある。申し訳ない気持ちで、俺は人集りを遠巻きに見ていた。

ガラッと扉が開き、中から生徒会役員達が次々と出てきて帰っていく。
暫らくして会長がやはり不機嫌なまま出てきた。時間からして見回りに行くのだろう。
会長は集まった生徒達を一瞥すると、何も言わずそのまま歩き出そうとした。
進路上にいた生徒が後退り、道を空け始めたその時「か〜いちょっv」とこの場にそぐわない呑気な声が聞こえた。

いつの間にか会長の隣には碓氷さんが並んでいた。
噂の中心である2人が揃ったことで生徒達の好奇心が強まったようで、中の1人が勇気を出す。

「噂は本当なんですか?」

「碓氷さんが会長を狙ってるって…」

「会長とキスしてたってのも本当ですか?!」

1人の問いかけが切っかけとなって次々と質問が飛ぶ。

「ちがっ…」

慌てたように会長が否定の言葉を言おうとしたが、碓氷さんが片手で会長の口を塞いで自分の胸元に引き寄せた。

「そうだよ。今もこれから口説くんだから、邪魔しないでくれる?」

あっさりと肯定した碓氷さんはにっこりと笑うと

「邪魔するなら…容赦しないよ?」

笑顔とは裏腹なオーラを放ちながら集まった生徒達に言い放った。
雰囲気にのまれた生徒達は散り散りに逃げていく。俺も離れようとしたら碓氷さんと目が合ってしまった。
昨日の今日だ、顔を覚えられたのかもしれない…と内心冷や汗をかく。
碓氷さんはニヤッと片頬を上げると、会長を連れて生徒会室に消えていった。

扉の向こうからは

「お前っなに肯定してんだよっ!」

「本当のことだから否定する必要ないし。バレても構わないもん」

「私は構うっ!!」

会長と碓氷さんの応酬が微かに聞こえた。

考えてみれば、碓氷さんと対等にやり合えるのって会長ぐらいしかいないよな…と気付けば妙に納得する。

「…言っとくけど、俺まだ怒ってるからね」

「っだからって…っぅん…」

碓氷さんの言葉に対する会長の答えは途中から聞こえなくなった。

きっと数日もすれば噂は収まり、事実だけが残るだろう。会長と碓氷さんが付き合っているという事実が。

俺は邪魔しないように、そそくさとその場を後にした。


end.(2009.12.09)

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