Novel

□扉を閉じて
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いつも以上に長く感じた放課後までの時間。碓氷は、自分が案外冷静でいることに驚いていた。
本当なら授業なんて放って、直ぐにでも美咲のところへ行きたかった。しかし、以前美咲からだされた“授業にちゃんと出たら放課後なら来てもいい”という条件を守るためにそれはできなかった。
条件など守る必要はもうないかもしれない。だが、時間をかけてやっと最近、自分に笑いかけてくれるようになってきた距離を、また広げるようなことはできない、否、したくない。

そこまで思った碓氷は、いつの間にか臆病になっていた自分に気付き、自嘲の笑みを洩らした。
冷静なんかじゃない、ただ困惑しているだけだと自覚してさらに嘲笑う。

保健室の前、ドアに手を掛けたままで暫らく悩んだ。

このドアを開けたら中には彼女がいる。彼女に逢うために来たのに、今は逢うのが躊躇われた。彼女を見たら、今自分の中に渦巻いているナニかを抑えきれないかもしれない…

葛藤したまま…それでも碓氷の手は扉を開けた。

ドアの開く音に美咲が振り返り、驚いた様子で碓氷に近付いた。

「どうした碓氷、顔色が悪いぞ? どこか具合でも悪いのか?」

碓氷の額に手を伸ばしながら美咲が問い掛ける。美咲のひんやりした掌の心地好さに、少しだけ碓氷の表情が和らいだ。
後ろ手でドアを閉めると騒めく外界と遮断される。静かな室内はどこか冷たくて、今の碓氷の心情のようだった。

「熱はないようだが…取り敢えず横になれ」

美咲はベッドに横になるよう、碓氷の背を押す。碓氷はベッドに腰を下ろしたが横になることはせず、離れようとする美咲の手を掴んだ。

「昼間来てたの…誰?」

「昼間って…あぁ、吉川先生のことか?」

手を掴まれたことに驚きはしたものの、具合が悪いときの心細さのせいだろうと解釈し、美咲は大人しく碓氷の質問に答えた。
どうして碓氷がそんなことを訊いてくるのかが不思議だったが、それよりも俯いたままの彼の顔色が優れない方が気になっていた。

「…何しに来たの…?」

「挨拶と手続きに見えたんだよ。もうすぐ産休が終わるからな。引き継ぎもあるし…私もそろそろ手続きの準備をしないと…」

美咲の口から出た“産休が終わる”“引き継ぎ”という言葉に、碓氷は我慢ができなくなった。

「駄目だよ…許さない…」

呟くように言うと、掴んでいた手を引き寄せて美咲をベッドに押し倒す。

「俺の前からいなくなるなんて…許せる訳がない…っ」

苦し気に吐き出すように言って乱暴に唇を奪う碓氷。美咲は自分に対する想いが薄れるどころか強まっていたことを痛感した。

貪るように繰り返される口付けに、美咲は段々息苦しさを覚える。酸素を求めて口を開けた隙を見逃さず、碓氷の舌が侵入してきた。
逃げようとする美咲の舌を捕らえて絡めてくるキス。美咲は、逃げられないことを本能的に悟って、半ば諦めたように碓氷の口付けを受け止めた。

捕まった…と、最初に美咲が思ったのはそれだった。
一旦は距離を置き、再び保健室に通うようになった碓氷とは、一定の距離を保っていたつもりだった。だが、一度意識した事実は消すことはできず、美咲の中で燻り続けていた。
碓氷はあからさまに口説いたり、触れたりすることはしなくなったが、美咲を見つめる視線に含まれる熱は、日増しに温度を上げていた。それを美咲は見てみぬ振り、気付かない振りをしてきた。自分の中の置き火のようなモノに飛び火しないようにするために。
碓氷が段々と自分のことを諦めていくことを願っていた。

しかし、間に合わなかったことを思い知る。
碓氷は諦めるどころか、もはや執着に近い程の感情にまで育てていて、それは結局美咲に伝染した。
他人にも自分にも嘘を吐くことが苦手な美咲は、覚悟を決めて、碓氷の、そして自分の気持ちを認めて…受け入れた。

つっ…と銀糸を引きながら唇が離れる。乱れた呼吸を整えつつ、美咲はさらに口付けようとする碓氷を制するように言葉を発した。

「お前、勘違いしてるぞ…」

何をと聞き返してくる碓氷の表情は、まだ思い詰めたように暗いままだ。

「私はまだ…辞めないぞ…? 吉川先生は、産後の体調があまり良くなくてな。それにご主人が転勤することになって、付いて行くことにしたそうだ」

「それじゃあ…手続きって…」

「最初の段階では、期間は1年間だったからな。それが終わって、改めて、代理ではなくここに勤めるための手続きだよ」

判ったか? と見上げてくる美咲の表情に、碓氷は冷えて凍えていた心が解けていくのを感じた。

美咲がいなくなる訳じゃない。

理解した瞬間に、安堵するのと同時に力が抜ける。そのまま美咲に覆い被さるように倒れ込んで美咲の身体を抱き締めた。
美咲は軽い溜め息を一つつくと、片手を碓氷の背中に、もう片方を頭に回して宥めるように撫でる。

「少なくともお前が卒業するまではいるよ。お前受験生なんだからな?! ちゃんと卒業しろよ?」

美咲の言葉に顔を上げた碓氷は、もういつもの表情を取り戻していた。

「卒業したら、俺のモノになってくれるんだよねv」

生徒じゃなくなるんだから…片頬を上げニヤリと笑う碓氷に対して、苦虫を噛み潰したような表情の美咲。

「在学中、今日みたいなことをしなかったら考えてやる」

言いながら碓氷を押し退け、身体を起こしてベッドに座る。

「今日のことは忘れてやるから、お前も…忘れろ」

まだ寝っ転がっている碓氷に手を伸ばすと、碓氷の視界を奪い、そっとこめかみにキスを落とした。

「…忘れられる訳ないじゃん…センセーからのキ…」

反論する碓氷に即座に「忘れなければ卒業まで出入り禁止」と言い放ち、「もちろん卒業後の話もなしだ」と付け加えた。
碓氷は横暴だなぁとぼやいたが、それでも嬉しそうに笑う。

「それなら…今日だけってことで…もう一度…」

今度は互いに近付き、ゆっくりと確かめ合うように口付けを交わした。


end.(2009.11.06)
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