Novel

□閉じた扉の向こう
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「仕事するからそこからどけ」

美咲が椅子に座ったままの碓氷を見下ろして言うと、いつもなら大人しく退くはずの碓氷は美咲を見上げたまま動こうとしない。不審に思った美咲が疑問を隠しもせずに顔に浮かべると

「目がさ、痛いんだよね」

あまり痛がっていない声で碓氷が言った。

「……お前、裸眼か?」

「ううん。コンタクト」

「コンタクトがずれたとかじゃないのか?」

お前は目を酷使しそうじゃないしな…などと言いながら美咲は碓氷の目に手を伸ばした。両手で顔を包むようにすると目の状態を診ようと覗き込む。

「…別にズレてもいないし、ゴミが入ったわけでもなさそうだな…気になるなら目薬でも点しておけ」

言って離れようとする手を碓氷が掴んだ。

「治療してくれないの?」

「あのな…、私はあくまでも教師で医者じゃないんだ。だから治療というような治療はできない。応急処置しかできないんだよ」

やや溜め息混じりにそう言うと「解ったら離せ」と手を振り解こうとした。しかし碓氷は離すどころか、引っ張るようにして美咲を引き寄せ、下から覗き込むようにして目を合わせる。

「じゃあ目薬点してよ。俺自分で点すの下手だからさ」

片頬を上げながら楽しそうに言った碓氷だがその目は真剣で、何故か美咲は戸惑ってしまう。

客観的に見て、否、見なくても、この碓氷という生徒は整った顔立ちをしている。他の教師陣に聞いても成績優秀(授業態度に難はあるが)で運動神経も良いというのだから、学校内で有名だというのにも頷ける。
だが、何を考えているか判らない面があるのも事実。連日の告白も冗談半分であるのが丸分かりだ。
保健室に通い始めた頃言っていた『つまらない』という言葉が、嘘ではないことは判る。だからこそ自分にちょっかいをかけてくるのは、いい暇潰しのからかい相手ができたぐらいに思っているのだろうと、美咲は認識していた。
それなのに、今のように熱の籠もった真摯な目を向けられると、一瞬でも本気なのかと思ってしまう。
からかわれるのはムカつくが、本気だった場合は…困る。自分の教師という立場からも、相手にする訳にはいかない。いかないのに、完全に突き放すことができないでいる。
美咲はこんな風に振り回され、気持ちを乱されている自分自身に腹を立てた。

…まったく厄介な相手に捉まった…と内心溜め息をついた。

「点して欲しいのなら手を離せ」

不機嫌な声音のまま言うと碓氷は「もったいないけど…」と渋々といった態度で漸く美咲の手を離した。

何がもったいないんだよ…呆れて溜め息しかでないが、仕事をしない訳にはいかないので薬品棚から目薬を出そうと美咲が碓氷に背中を向ける。その際に揺れた美咲の髪の間から白い首筋が覗き、それを見て惹かれたように碓氷が立ち上がった。
美咲の背後から抱き締めるように近づき首筋に口付ける。気付き驚いた美咲が振り向きざま碓氷を突き飛ばした。

「お前っふざけるのもいい加減にしろっ!!」

「ふざけてなんかない」

碓氷は美咲の顔の両側に自分の手を付いて、逃がさないように薬品棚と自分の身体の間に閉じ込めた。目線を合わせたままゆっくりと顔を近づけていく。
動揺し顔を赤らめてしまった事実に気付き、さらに赤みを増してしまう美咲。

「好きだよセンセ。本気、だから…」

美咲の耳許で囁いた碓氷は、動けないでいる美咲の口に自分のそれを近づける。

「…いい加減、俺のモノになってよ」

閉じた扉の向こうから聞こえてくる、帰宅する生徒の足音に紛れた碓氷の小さな囁きは、妙にはっきりと美咲の耳に届いて鼓動を速くさせた。
その理由に思い至る間もなく、美咲は碓氷の口付けを受け入れていた。


end.(2009.10.17)
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