Novel

□閉じた扉の向こう
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職員会議を終えて足早に自分の仕事場へと向かう足音が誰もいない廊下に響く。
淡いグリーンのブラウスに黒のタイトスカート。その上に羽織った翻る白衣と微かに漂う消毒液の匂いが、彼女がこの学校の養護教諭であることを示している。

扉を開けると1人の生徒が室内にいた。逆光ではっきりとは見えないが、夕日を受けて色の薄い髪がさらに色をなくして、オレンジがかった色合いになっていることとその体格から、連日やってくる男子生徒だということは容易に想像が付いた。

「今日もか…」

溜め息をつきながら入室し扉を閉める。
カツカツと一定の速度で生徒に近づき相手の手の届かない距離で止まった。両手を腰にやり仁王立ちの格好をとると、教師用の椅子に座って見上げてくる生徒に問い掛ける。

「で? 今日は何だ?」

「今日“も”センセーに会いにv」

決まってるじゃん、とにっこりと笑って言う生徒とは対照的に教師――美咲の方は眉間に皺を寄せて大仰に溜め息をついた。


3カ月前、産休代理として美咲がこの学校に赴任してきたばかりの頃、午後の授業をまるまるサボって寝ていた生徒を『具合が悪くもないのに寝てんじゃない! 授業をサボるなっ!!』と特大の雷とともに叩き出した。それが今目の前にいる男子生徒――碓氷との出会いだった。
そのすぐ後に、本当に具合の悪い女子生徒が入れ違いでやって来たため、美咲は碓氷を放って女子生徒の介抱を始めた。その日はそれだけで終わったのだが、次の日から碓氷は、やっぱり授業をサボって保健室に顔を出し始めた。

あまりにも頻繁にやって来ては居座ろうとする碓氷に頭を痛めた美咲は、ひとつの条件を出した。それは『1日ちゃんと授業に出たら放課後なら来ていい』というものだった。

碓氷は意外なほどあっさりとその条件を呑みちゃんと授業にでるようになった。そして放課後になると保健室に入り浸る。
やってきては、授業がつまらないだとかクラスにいてもつまらないだとか、どれだけ自分にとって学校が退屈な場所であるかを話す碓氷に、最初のうちは美咲も相談に乗るように聞いていた。

しかし次第に『センセーがいるから我慢して学校に来るんだし、授業にもでるんだよ? だからさぁ…俺と付き合ってよv』と言い出し、髪や手を触ってきたり抱き付いてきたりと、過剰なスキンシップをとるようになった碓氷に、ある日美咲の堪忍袋の緒が切れた。
相手が生徒であることも忘れて本気で怒鳴りつけた美咲だったが、碓氷はその反応すらも嬉しいと言いたげで、懲りずに毎日やってきては美咲に纏わり付く。

あくまでもマイペースな碓氷に、根負けしたのか言っても無駄だと諦めたのか、美咲は碓氷が来てもまともに相手をすることもなく自分の仕事をするようになった。そんな美咲の姿に碓氷は少しつまらなそうにしながらも、椅子に座ったりベットに腰掛けたりしながら美咲を見つめて会話を交わす。
そんな風に2人で過ごす放課後が日課になり始めていた。


丁寧で正確な処置と真面目でさっぱりとした性格から、美咲は女子生徒に人気がある。しかし、赴任当初はその容貌から騒がれていたのにも拘わらず、厳しい性格ゆえに男子生徒からは敬遠されていた。校内でも有名な碓氷を怒鳴ったことも原因のひとつだろう。
そんなこともあって男子はよっぽどのことでない限り保健室には来ないし、来てもさっさと帰っていく。もちろんサボリ目的で来る奴もいない。
碓氷からすればそれはとても好都合なことだった。余計なライバルは少ないに越したことはないし、邪魔されることなく2人きりになれるというものだから。

碓氷は、会議が終わって美咲が戻ってくるのを待っている間、出会った日のことを思い出していた。
幼い頃からなんでもソツなくこなすことができた彼は、親を含めて他人に怒られた経験がない。それがあの日、初めて他人に怒鳴られるという体験をして、少なからず面白いと思っていた。美咲に対しても変わった教師が来たなと、それくらいの認識しかなかった。

保健室を追い出されたときも、女子生徒の介抱を始めた姿を見るともなく見ていただけだった。
しかし、その時に見せた美咲の笑顔――女子生徒の気持ちを和らげるためにふわりと優しく微笑んだのだ――に碓氷は目を奪われた。一目惚れ、と言っていいだろう。
何事にも関心を持つことがなかった碓氷が初めて興味を持ち、またあの笑顔を見たいと思うようになった。

そして始めた連日の保健室通い。
最初が最初だったせいか、笑顔どころか怒り顔か呆れ顔しか見られなかったが、それでも徐々に美咲の様々な表情を見ることができるようになっていた。ごくたまには笑顔も。しかし碓氷は見るだけでは物足りなくなっていることに気付く。
他人(ひと)に笑いかけるのではなく自分に笑いかけてほしい、自分のものにしたい…と、碓氷は美咲自身を欲し始めていた。

そしてそれは日に日に強くなっていた。


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