Novel

□包香
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気付くと全てが白い場所に居た。
濃い霧に覆われたように真っ白で形あるものは何も見えない。伸ばした自分の腕の先が霞んで見えて、余計に霧の中に居るように感じられる。
前も後も右も左も、天も地も何もかもが白いだけでその場所が広いのか狭いのかも判らない。解るのは“進まなくては”という自分の心だけ。でもどこへ進めばいいのかまでは解らず途方にくれる。
とにかく動かないとと思いはするのだが、反して足は全く動かない。立ち竦んだままでいるうちに色々な思いが湧き上がってくる。
困惑。焦燥。哀傷。憤慨。渇望。
あまりにも色々すぎてますます動けなくなった私の鼻腔を微かな匂いがくすぐった。
いつの間にか俯いていた顔を上げてきょろきょろと匂いの元を探すが、辺りは変わらず白いままで何も見えない。
それでも微かな匂いは確かに自分の周りにあって、そのことに何故か安心した。先程までのぐちゃぐちゃした感情はすっかり落ち着いて、今はただ“進もう”という思いだけ。
目の前の白を見据えて、ゆっくり足を踏み出す――

―――――――――――――――

はっと目が覚めた美咲は、自分が今どこに居るのか理解できなかった。だが、目に映る景色が見慣れた生徒会室だということを、徐々にはっきりしてきた意識で捉えてほっと息をつく。

テスト前の時期は学校に残る生徒も少なく、生徒会室にも自分以外は誰もいない。滞ってしまう仕事を少しでも進めておこうと残っていたが、ここ数日の寝不足と校内の静けさで眠ってしまっていたのだろう。
時間を確認しようと背後の壁に設置されている時計を振り返り、見上げる。さほど経っていないことに安堵しうつ伏せていた体を起こすと、ぱさりと肩から上着が落ちた。
自分のものではないそれに訝しみつつ拾い上げると、鼻先に覚えのある残り香が届いて上着の持ち主に思い当たった瞬間に思わず顔が赤くなる。
室内には自分1人しかいないのは解っているが、それでも手の甲で顔を隠して悪態を吐いた。

「ぁの…あほ…っ」

膝上で上着を握り締め、ひとつ深呼吸をしてから途中になっていた仕事に取り掛かる。そして急いで終わらせると上着の持ち主がいるであろう屋上に向かった。
そこには思ったとおり、薄着のままの碓氷が両手を後ろについた格好でいつもの場所に座っていた。

「風邪引くぞ」

背後から声を掛けると碓氷は首だけ動かして私を見る。

「お前のだろ」

手に持っていた上着を投げて返すと、器用に片手で受け取り片頬を上げて意地悪く笑う。

「俺のだってよく判ったね?」

「――…寝てる私に上着を掛けるようなヤツは…お前くらいしかいないだろ」

強く吹いた風に髪が乱され、それを押さえながらそっぽを向いて答えると「ふぅん」という碓氷の声がすぐ近くで聞こえた。いつの間にか立ち上がっていた碓氷が目の前にいて顔を覗き込んでくる。

「本当にそれだけ?」

「他に何があるんだよ…とにかく、ありがとな。一応礼は言っておく」

じゃあな、と帰ろうとして踵を返す。

「――冷えちゃったからさ〜暖めてよ、お礼代わりにv」

碓氷は私の片腕を引っ張り体の向きを変えさせて抱き締めた。身長差が20cm以上あるから私の顔は碓氷の肩口に埋まることになり、否が応にも相手の匂いを強く感じてしまう。
心拍数が上がるのと同時に安心している自分が居て困惑する。
そして気が付く。あの夢の中の匂いが同じだったことに。

何の反応もしない私をどう思ったのかは知らないが、碓氷は「あったかいなぁー」と言いながらぎゅっときつく抱き締めてきた。

「……何で上着を着ないのに屋上にいるんだよ。あほだろお前」

「え? それは目覚めた時に側に居て欲しかったってこと?」

「違うわっ!!」

「―…襲わないでいる自信、なかったからね…」

碓氷の言葉は小さかったうえに風に紛れて私に聞こえることはなかった。聞き返そうとしたが、また強く風が吹いてその冷たさに思わず身を竦めてしまいタイミングを失う。

「…少しだけ…だからな…私のせいで風邪なんか引かれたら気分悪い…」

そう言って碓氷のシャツを掴むと、今度は碓氷が私の肩に顔を埋めて擦り寄るようにしてきた。頬に掛かる髪がくすぐったくて僅かに身を捩ると、逃げると勘違いしたのか

「まだ、ダメ」

とさらにぎゅっと抱き締められた。
抱き締める腕の強さによる息苦しさだけじゃない顔の赤みは、たとえ見られていなくても恥ずかしくて、隠すように相手の肩に押し付ける。
目を閉じればより感じる体温。そして匂い。
それは恥ずかしくはあるものの嫌なものではなく、寧ろ……

碓氷の胸の中、らしくもない考えに耽り「そろそろ帰ろうか」と解放されるまで美咲の手は碓氷から離れることはなかった。


end.(2009.09.03)

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