Novel

□残り香
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リビングに戻ると、鮎沢は窓際の床に座って外を見ていた。

「何か面白いものでも見える?」

問い掛けたが彼女からの返事はなく、代わりにゆっくり振り返り上目遣いで見上げてくる視線が向けられる。

「…――世界が、違うな…って…」

また視線を窓に向けてポツリと言った言葉に少なからずショックを受けた。
恋愛事以外になら勘が鋭く働くことがある彼女は何か気付いているのだろうか…

「ただでさえ高層階なのに、雨で煙って…ちょっと面白い」

そう続いた言葉を聞いた俺は、ほっとした顔を見られないように背後から鮎沢を抱き締めた。

「気に入ったならいつでも見に来ていいよ。鮎沢なら大歓迎v」

「っ! 放せっ! ってか、顔が近いっ」

耳許で囁くとすぐに真っ赤になって暴れる鮎沢を放さないように、ぎゅっと抱き締め直して想像してみた。この部屋に当たり前に居る彼女の姿。それは口許を緩めるのには充分すぎた。
乾燥機の終了音が聞こえたので腕を放して取りに行く。

「服、乾いたけどまだ居てね? せめてもう少し雨が止むまでは。また濡れたくはないでしょ?」

ちょっと考えてから渋々といった風に了承した鮎沢はそれならと、鞄からノートを取り出して

「この前の試験で解らなかったところがあってな。教えてくれないか?」

お前に聞くのは癪だがな、と付け足して勉強モードに入った。
すっかりいつもの鮎沢になってしまったが、彼女から頼られることなんて滅多にない。例えそれが勉強のことだとしても頼られていることにかわりはないしと、嬉しさを隠して大人しく勉強会を始めた。



夜。1人になった室内で俺は数時間前のことを思い出していた。

何だかんだと碓氷に言いくるめられた美咲が結局、夕食まで済ませてしまっても雨は止まず、それでも比較的小雨になったときを見計らって帰ろうとした。
当然のように美咲を送ろうとした碓氷に気付いた美咲は頑なに断り、マンションのエントランスで暫らく言い合った。

「だから送らなくていいって! 傘貸してくれればいいからっ」

「駄目だって。1人でなんて帰らせないよ。それに俺傘1本しか持ってないから、貸しちゃったら明日も雨降るっていうのに俺はどうすればいいの?」

言葉に詰まった鮎沢は何か反論しようとして口を開閉させていたが、言葉になる前に肩を押して開いた傘の中に入れる。

「遅くなるから。諦めて相合傘しようねv」

恥ずかしさのためか申し訳ないと思う気持ちからか、家に着くまでずっと黙って下を向いていた鮎沢。
会話もなくただ並んで歩いているだけなのに俺は何故か嬉しかった。時折触れる肩が熱かったのは意識してくれてるってことだよね?

家まで送り届けて「じゃあまた明日」と踵を返した。

「ありがとう碓氷…き、気を付けて帰れよ」

振り返ったときには既にドアは閉じられ姿は見えなかった。言い逃げは狡いよ鮎沢。

ベッド代わりのソファーに横たわると背もたれに掛けたままだったシャツが目にとまる。鮎沢が着ていたそのシャツを手に取るとほんの微かに彼女の匂いがした。
それが呼び水となって、腕に彼女を抱いた感触と香りが甦る。抱き締めたとき想像した鮎沢が居る光景。きっとそれは遠くない未来…に、してみせる。

今更な決意をし直し、今は居ない彼女の代わりにシャツに残る香りを胸に眠りについた。


end.(2009.08.23)
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