Novel
□視線の先
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1人残った生徒会室で、夕焼けに染まりつつある空から視線を外し書類に戻した会長――美咲は、一通り書類に目を通すといくつか注意事項を書き込んでそれを片付ける。
仕事を終え、鞄を手に取り自分も帰ろうと席を立とうとしたとき、近づいてくる足音が聞こえた。思わず出入口を見ていると足音は生徒会室の前で止まり、美咲の予想していた人物がドアを開けた。
「仕事終わった?」
「…何でお前はいつもこうタイミングがいいんだ…」
「そりゃあ〜ご主人様だからねv」
「…うん。まともな返事を期待した自分がバカだったよ…」
がっくりと脱力した美咲を見て碓氷は愉しそうに近づく。
まだ座ったままの美咲の隣に立つと、右手を握り軽く引っ張って美咲を立たせた。じ…っと美咲の顔を見た碓氷はやや心配気な声音で訊く。
「ねぇ…何かあった? 最近、心ここにあらずって顔してること多いよね」
美咲は碓氷の言葉に握られた手を振りほどくことも忘れ、視線を床に落とした。
「別に…大したことじゃない」
「大したことじゃないなら話せるよね。何があったの?」
暫く言いにくそうにしていた美咲だったが、観念したのか下を向いたまま話し始めた。
「―…好意を寄せられるのは…それ自体は単純に嬉しいものなのに…応えられないことは…お互いに辛いなって……」
「――それって…三下君のこと?」
こくん、と小さく頷く美咲。下を向いたままだから表情は見えないが、碓氷には美咲が、申し訳ない気持ちで泣きそうな表情になっているだろうことが解った。
碓氷は握った手を揺すり顔を向かせる。思ったとおり辛そうな顔をした美咲は一瞬碓氷と見つめ合ったが、すぐに視線を外しまた下を向いてしまった。
「気持ちに応えられないからって、そんなに思い詰めなくてもいいんじゃない?」
空いているほうの手で美咲の頭を撫でながら言うと、ゆるゆると美咲が顔を上げる。
「――お前、何で解ったんだ? 私が悩んでいたこと…そんなに分かりやすかったのか…?」
「それもあるけど、見てたら解るよ。鮎沢のことはいつも見てるから」
「変態…」
「酷いなぁ〜。好きな相手を目で追うなんて当たり前でしょ。鮎沢だって俺のこと見てるよね?」
みるみるうちに赤面する美咲は確かに解りやすい。たとえ口では見ていないと言っても、これでは反対だと言っているのも同然ということを解っているのかいないのか。
「どうしたらいいか…解らないんだ…あいつの気持ちに応えられないことは…確かなのに…」
いつの間にか美咲から繋ぎ返されていた手に力が入っていくのが伝わってくる。
美咲の気持ちが“向こう”に向いていないことに嬉しくなった碓氷は、繋いだ手を持ち上げて美咲の手の甲に口付けた。
「いつものままでいいんだよ。鮎沢は、俺だけ見ていればいい」
あいつ――深谷もきっと鮎沢のことを見ているはずだから、嫌でも解るだろう。気持ちにケリをつけるのはあいつにしかできない。鮎沢が気に病むことじゃない――そう心の中で呟いた碓氷は、指を絡めるように手を繋ぎ直した。
「帰ろっか」
「……ぉぅ」
赤い顔をしたまま硬直していた美咲は、碓氷の言葉に我に返った。
碓氷の心の声が聞こえたわけではないだろうが、何か納得したかのように、そして困ったような、怒ったような表情のまま手を繋いで帰っていく。
その視線は時折、少し上にある碓氷の顔に向けられる。そして碓氷もまた、美咲の顔に視線を向ける。
お互いがお互いだけを見つめる視線は、言葉よりも雄弁にその気持ちを語っていた。
end.(2009.08.17)